教員コラム

文学部には100名を超える教員が在籍しています。一人ひとりのリアルな教育・研究活動を紹介します。

COLUMN

読む、書く、歩く、「ことば」で世界の平和を紡ぐ――AIと共存する時代だからこそ、人に会い、本を読み、町に出よう。

コミュニケーション表現専攻

言語コミュニケーション学域
教授

西岡 亜紀

私は、詩や小説はどのように生まれるのかというシンプルな問いを、ずっと探究しています。新しい表現方法を探して、人に会い、本を読み、町に出ます。近年は、表現の未来を見据えて、他の言語の文学研究者や実作者たちと連携しながら新たな書き手を育てる「文学レジデンシー活動」にも参加しています。

世界の争いはやまないし、自分のせいでもなく悲しい思いをしたり、大切な人を失ったり、命を奪われたりする人もいる。私にできることはないだろうか。本を読み、教室やパン屋で友達と語らうごく普通の生活を送りながら、高校生の頃はいつもそんなことを考えていました。弱い立場の人の力になりたいと、高校 2 年生くらいまでは法律家を目指していましたが、あるときふと、自分が興味のあるのはむしろ、どうにもならない悲しみや苦しみに寄り添える「ことば」を探すことだと気づきました。直感的に「学ぶなら文学か哲学だ」と思い、両方学べそうなフランス文学科に進みました。そこで詩人のボードレールや小説家のモーリアック、ジッド、カミュや福永武彦、遠藤周作などを読み、一方で「人生の階段図」というフランスの民衆版画との出会いから、日本の絵解きや紙芝居などの口承文芸や高畑勲のアニメーションにも関心を広げました。そんなさまざまな学問との出会いを経て、現在は小説や脚本の創作や表現の研究をする学生の教育に携わっています。

私のゼミ(専門演習)では、小説や脚本やエッセイなどの文章創作を行う学生と文章やメディア表現の研究に取り組む学生とがともに学んでいます。ゼミ生は3回生と4回生が合わせて30名ほどで、そのなかには留学生もいます。授業では、学生が作品の構想や研究計画を発表したり、制作物や論文などについて互いにアドバイスしあったりしながら、卒業制作や卒業論文を準備します。表現を自ら創りたい人と表現の仕掛けを解読したい人との問題意識が絶妙に絡み合い、互いに刺激しあって、よい相乗効果が生まれています。教育現場での学生との対話は、私にはいつも教わることの宝庫です。「先生にとって一番悲しいことってなんですか」「三宮駅の近くに大きな穴があって空襲の後だと教わりました。戦争はそんなに遠い時代のことでもないのですね(アジア圏留学生)」など、学生の「ことば」でこちらが立ち止まって自己を振り返ることがしばしばです。

いつもは静かな研究室(左)も卒論・卒制提出前には学生で溢れる(右)

幼い頃から物語がいつも近くにありました。高齢の祖母は繰り返し「桃太郎」「一寸法師」「金太郎」や石童丸の話を語ってくれました。祖母の歌声は今でも耳に残っています。就寝時にはいつも母が絵本を読み聞かせてくれました。同じ頃に『人魚姫』の異なるヴァージョンを探して旅先の本屋で迷子になった話は、父から何度も聞かされています。破れるほど読んだ『苅萱一代記 石童丸』、結末の違いが気になっていろいろ集めた『人魚姫』、祭りのバザーで伯母に買ってもらって再読を重ねた『アンクル・トムの小屋』『コルベ神父』。物語の記憶には、それを読んだときの時代の風景や人の思い出も貼りついています。実はその後、『石童丸』には学部と立命館で、『コルベ神父』には長崎調査で、『アンクル・トムの小屋』には立命館で、母に読み聞かせてもらった絵本の出版社の編集者にはハイジ研究で、再び「出会い」ました。物語と長くつきあっていると、それを軸に過去と現在が共鳴するような体験がときどきあります。

左は『ハイジ』舞台のアルムの夕焼け、右は遠藤周作文学館から臨む長崎外海(そとめ)の空と海とド・ロ壁

ここ15年ほどは、長野、長崎、岩手、スイスなど、物語が生まれた土地を踏査しています。その土地に身を置いて初めてわかることがある。スイスでアルムの夕焼けを見たときはアニメーション『アルプスの少女ハイジ』の「山がみんな燃えてるわ」という声がよみがえったし、長崎の外海(そとめ)という集落で険しい山道を抜けて目の前に海が開けたときには、「人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです」(遠藤周作『沈黙』)が胸にすとんと落ちてきました。

物語には即効性はなくそれ自体には大きな商業性もないので、その意味では社会の役に立つとは言えないかもしれません。しかし、絡まった心の糸をほどくことや寛容に他者を受け止める想像力を育むことは得意です。そんな想像力を養い、「ことば」のチカラで社会を耕したいと思っている人は、ぜひ一緒に表現の種を探してみませんか。

PERSONAL

西岡 亜紀

専門領域:
比較文学、文芸メディア、文章表現教育
オフの横顔:
小さなスーツケースで東奔西走し休暇中も長崎や長野の調査に。人生そのものが旅のようです。コロナ禍のなかではじめてゆっくり京都を歩き、念願の銀閣寺にも行けました。大家族を賄う母を小学生の頃から手伝っていたので趣味も特技も料理。