2025年7月、立命館大学男子ホッケー部は、全日本大学ホッケー王座決定戦を“二連覇”という輝かしい成績で飾った。中学時代から日本代表に選ばれるなど、常に世代のトップを走り続けてきた主将の川原大和選手(政策科学部4回生)。競技への深い愛情と飽くなき探求心、そして周囲への感謝の念が、彼を「世界」へと導く。

二連覇を達成した「今」の心境

大学王座決定戦での二連覇は、主将としてチームを率いた川原にとって、これまで準備してきたことが形となる納得のいく結果であった。普段の練習から、「どうすればチームがより良くなるか」を自分自身で考え、他のメンバーたちと議論しながら取り組んできたことが身を結んだ喜びはひとしおだ。しかし、彼はその喜びも一過性のものと捉えている。「嬉しいことではあるけど、もう終わったことなんで、今は切り替えというか、次の試合だったり練習に向けて取り組んでいます」。すでに視線は次なる目標へと向けられている。

ホッケーとの出会い

川原がホッケーと出会ったのは、小学1年生の時だ。両親がホッケーの経験者で、姉もホッケーをしていることから、ごく自然に競技の世界に入っていった。父親は地元のクラブの創設者でもあり、川原は、今年で25年目を迎えるそのクラブで、小学生から中学生までホッケーに打ち込んだ。年齢に関係なく皆が仲の良い、アットホームな環境だったと振り返る。

小学生、中学生の頃はただホッケーが好きで楽しんでいたという川原選手だが、その情熱は着実に実を結び、中学時代には、U-15日本代表にも選出された。中学卒業後は、奈良県の強豪校である天理高校へ進学。中学までとは比べ物にならないほど練習は厳しくなったが、どんな状況でもホッケーを楽しむ気持ちを忘れず、競技に打ち込んだ。また、高校では、身体の感覚を磨き、自然に体が動くようなホッケーを学んだ。その一つとしてトレーナーから教わった「BCエクササイズ」との出会いは、今日の川原のホッケー観を形成する上で非常に大きな転機であったと語る。高校時代は全国大会で複数回の優勝を経験し、U-18日本代表の選考メンバーにも選ばれたが、2年時には新型コロナウイルスの影響で楽しみにしていた大会が中止になるなど、悔しい経験もした。

立命館での挑戦、自分自身との戦い。

大学進学にあたっては、一人暮らしをしながら興味があることを追求し、ホッケーも両立できる環境に魅力を感じ、立命館大学を選択した。大学ではディフェンスのポジションでレギュラーとして安定した出場を続けていく。ディフェンスには攻撃の起点となるビルドアップの面白さがある、と川原は語る。

大学での競技生活において、大きなギャップを感じることはなかったという川原だが、個人的な苦労として挙げたのが、高校時代にトレーナーから教わって以来、現在も毎日個人で継続している「BCエクササイズ」との向き合い方である。これは一般的なウェイトトレーニングとは異なり、“柔らかさの中に強さがある体”づくりを目指すものだ。体を整え自律神経を調整することで、怪我をしない体、動きやすい体を作り上げるというこのエクササイズを、川原は自身のホッケー全体の質を高める基盤づくりと位置付けている。

BCエクササイズは、すぐに結果が目に見えるものではないため、本当に良くなっているのかどうかが分かりにくいという難しさがある。ひたすら継続するしかなく、「なんとなく良くなっている」感覚はあっても、具体的な成果が見えにくい。さらに、一つの課題がクリアされても、次から次へと新たな課題が見つかる“終わりがない”トレーニングだ。この見えない努力との継続的な向き合いこそが、彼の強さを支える根幹となっている。

“same old”を貫いた大学王座決定戦

4回生になり、川原は主将を務めることになった。代表合宿などで自身がチームの練習に参加できない時期があることから、「主将を務めることは難しいのでは」とも感じていたが、最終的には「やります」と自ら手を挙げた。チームのテーマは、川原自身が提案した“same old”だ。これは「いつも通り」という意味の英語スラングだが、チームで込めた意味は、単に「いつも通りでいこう」と現状維持を意味するのではなく、「いつも通りのレベルを毎日上げていく」という、常に向上し続ける姿勢であった。

全日本大学王座決定戦に臨む際も、川原は“same old”の精神を貫いた。特別なことをしようとせず、いつも通りの意識で試合に臨んだ結果、個人としてもチームとしても、追い込みすぎることなく良い状態でプレーできたと感じている。初戦の準々決勝・福井工業大学戦を2-0で勝ち上がり、東京農業大学との準決勝は3-2で接戦を制し決勝にコマを進める。決勝戦の相手は、競合・山梨学院大学。チーム全員がやるべきことを遂行し、特にディフェンス面では1対1で負けないことに徹底した結果、無失点での優勝に繋がった。 「“same old”という言葉の奥に潜むものを、ようやく形にできた実感がありました」と川原は語る。この結果は、仲間や見えないところで支えてくれる人たちがいて初めて掴めたものだと強く感じたという。

川原は、全日本大学王座決定戦の優勝を「あくまで通過点」と捉えている。チームとしては、今年のインカレや全日本選手権でのタイトル獲得を目指しつつ、長期的には立命館大学ホッケー部を世界のトップチームにまで引き上げたいという壮大な目標を掲げている。個人としては、世界トップレベルの中でも通用するプレイヤーになることを目指している。8月下旬からは日本代表としてアジアカップに出場する予定であり、それも世界最高峰のプレイヤーになるための通過点だと位置付けている。

ホッケーが与えてくれたもの

ホッケーを通して得た最も大きな財産は、「人との出会い」だと川原は強調する。特に高校で親元を離れて寮生活を送る中で出会った友人や先輩方とは、今でも連絡を取り合う大切な存在だ。また、生活の全てをサポートしてくれていた親への感謝の気持ちもホッケーを通じて感じることができた。「やる時はやる」という人間的な成長はもちろんのこと、ホッケーがなければ見ることができなかった景色や、海外での様々な経験も、彼の人生を豊かに彩ってきた。これらは今後の成長にも繋がる経験だと断言する。

大学卒業後は、海外でプロホッケー選手としてプレーするつもりだ。まだ所属先は未定だが、小さい頃から抱き続けてきた「世界のNO.1プレイヤー」という目標をぶれることなく目指していく。

何事も楽しむこと

川原のような活躍を夢見てホッケーに取り組む子どもたちに、「ホッケーにしても何事も楽しんでほしい」と語る。最初は“楽しい”という気持ちで始めるものだからこそ、その気持ちを忘れずにプレーしてほしいと願う。結果がついてこない苦しい時でも、そこで得られる経験は一生ものになる。だからこそ、どんな状況でも“良い意味で楽しむ”ことを大切にしてほしい。
ホッケーへの尽きることのない情熱と、常に高みを目指す探求心、そして周囲への感謝の気持ちを胸に、川原はこれからも自身が「最も輝ける場所」で、世界へと羽ばたき続ける。

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