立命館大学情報理工学部2回生の山口上総(やまぐちかずさ)さんは、この夏、異色の挑戦を経て栄冠を手にした。キックボクシングの学生アマチュア大会「K-1カレッジ2025」65kgトーナメントにおいて、わずか2ヶ月の準備期間で優勝を飾ったのである。幼少期から続ける格闘技の道で、競技や環境の変化に直面しながらも、山口さんを突き動かしてきたのは、父の教えであり、自らの経験が証明する「継続」という揺るぎない信念だ。痛みに泣き、恐怖と葛藤しながらも、技術と精神力を磨き続けてきた彼の軌跡は、まさに「努力は報われる」という言葉を体現している。情報理工学部でAIや人工知能について専門的に学びながら、体育会日本拳法部に所属し、多忙な日々を送る山口さんにとって、K-1への挑戦は、自らの格闘技人生における集大成の一つとも言えるだろう。大学生活と部活、そして学業を両立させる中で、彼はどのようにして短期間でアマチュアの頂点に立ったのか。そこには、長きにわたる格闘技経験と、ここ一番で最大限のパフォーマンスを発揮する彼の強さが見て取れる。

痛みに泣きながら歩んだ幼少期

山口さんの格闘技人生は、小学1年生のときに始まった。きっかけは、空手の選手として活躍していた兄の姿を見て、「自分もやってみたい」と口にしたことだった。しかし、その道のりは決して順風満帆ではなかった。幼少期ついて、山口さんはこう振り返る。「空手はもう、めちゃくちゃ嫌いでしたね。痛くて、すぐ泣いてしまって……」。

厳しい練習と痛みに耐える日々は、幼い彼にとって“楽しさ”とはほど遠いものであった。稽古に加え、父の厳格な指導。何度も涙を流す日々の中で、彼を支えたのは、まさにその父の言葉だった。「絶対に後で『続けて良かった』と思う日が来る。勝てなくてもいい、とにかく続けることが大切だ」。何度も「やめたい」と訴える息子に対し、父は空手の技術以上に、“継続することの大切さ”を説き続けたのである。この教えが、後の彼の精神的な土台となっていく。

転機となった日本拳法への挑戦と「ジャイアントキリング」

高校に進学した山口さんは、空手を続けながら、部活動として日本拳法を選択した。この競技転向には、父親の助言が大きく影響している。空手では全国レベルの成績を残せていなかった山口さんであるが、“テクニックで相手をかわし捌く”という格闘スタイルは、防具を着用し、ポイント制で勝敗を競う日本拳法にこそ適している――父はそう睨んだのである。山口さんは、この新たな舞台でその才能を大きく開花させた。未経験で入部した日本拳法部において、最終的には団体戦で全国3位という快挙を成し遂げている。
この成功の裏には、地道で並々ならぬ努力があった。入部当初、拳法経験者に比べて明らかに劣っていた山口さんは、「まずは部内の経験者2人よりも強くなろう」と決意し、練習に打ち込んだ。やがて、その努力が実を結び、日本拳法は彼にとって「好きな競技」へと変わっていく。こうして山口さんは、より深く競技に熱中していったのである。

山口さんにとって、最大の達成感と喜びを味わった瞬間がある。それは、高校最後の大会で起こした“ジャイアントキリング”だった。代表戦という大一番。本来であればキャプテンが出場する場面で、山口さんは自ら「自分が行きます」と名乗りを上げた。対する相手は、春の大会で完敗を喫した格上の強敵。だが、その敗北を糧にして、彼は勝つための特訓を重ねてきた。そして迎えた本番。これまでの努力が結実し、見事に勝利を収めたのである。練習が報われたという確かな手応え、さらに「あの相手に勝てるのか」と周囲を驚かせたあの瞬間の歓喜は、山口さんにとって「最高」のひとときであり、生涯忘れられない記憶となった。

大阪いばらきキャンパスで孤軍奮闘した1回生

その後、立命館大学に進学した山口さん。高校が立命館大学の系列校であったことや、実家から通いやすい立地、そして自身の興味関心から、情報理工学部を選択した。理系学部における専門的な学びと部活動との両立により、多忙な日々になることが予想されたため、当初は大学で日本拳法を続けるつもりはなかったという。

しかし、状況が大きく動いたのは、日本拳法部の部員不足を知ったときのことだった。もともと知り合いでもあった日本拳法部のキャプテンから「最初の試合だけでも出てくれ」と頼まれたのだ。“とりあえず”のつもりで出場したその試合で、偶然高校時代に敗れた相手との対戦となり、見事に勝利を収めた。過去の雪辱を果たしたこの勝利を通じて、山口さんは「やっぱり格闘技は楽しい」と、競技そのものへの純粋な喜びを再認識し、そのまま入部を決意することになった。

入学後の学生生活は、情報理工学部での高度な学びと、部活動での厳しい環境との両立に苦心する日々であった。山口さんは大阪いばらきキャンパスに所属していたが、日本拳法部の練習は主に京都の衣笠キャンパスで行われており、大阪いばらきキャンパスの部員は山口さん一人だけという状況。平日に京都まで通うことは困難であり、定期的な練習場所を確保できないという問題に直面したが、それでも山口さんは諦めなかった。土曜日の合同練習には欠かさず参加し、平日は近所の道場に通い、母校を訪れて後輩とともに汗を流したりと、自ら練習環境を切り開いていった。この粘り強い努力が実を結び、厳しい環境下においてもレギュラーの座を勝ち取り、団体戦に出場し続けたのである。

わずか2ヶ月での挑戦へ

大学2回生に進級し、学業と部活動の両立に励んでいた山口さんに、ある転機が訪れた。プロのキックボクサーへと転向していた兄から、大学アマチュア大会「K-1カレッジ」への出場を勧められたのである。「競技としては未経験でも、格闘歴は絶対お前のほうが長い。自分のやってきたことを信じて挑めば、きっと勝てる」。そう背中を押された山口さんだったが、すぐには決断できなかった。というのも、日本拳法は防具を着用し、顔面への打撃を制限する競技である一方、キックボクシングはグローブのみで、顔面への攻撃も当然認められている。これまで経験してこなかった“顔面への攻撃”に対する恐怖が、心理的な壁となって立ちはだかった。「正直、自信がなかったし、顔面にパンチが飛んでくるのが怖かったんです」。そう語るように、挑戦への不安は大きかった。
しかし、夏休みに入り、山口さんは兄が紹介してくれたジムに通い始める。大会までのわずか2カ月間、週3回、終盤には週4回ほど、集中的な練習を重ねていった。この期間で最も苦労したのは、やはり「グローブで直に顔を殴られる」という恐怖心だった。長年の空手や日本拳法による身体のクセから、顔への攻撃を避けようと無意識に“逃げ腰”になってしまう場面が多かったという。しかし山口さんは、この弱点の克服とともに、「自分の強みを活かす」ことを大切にした。日本拳法で培ったスピードとフットワーク、空手仕込みの蹴りと下半身の強さを武器に、キックボクシング特有の「頭を振り続ける動き」を徹底的に体に染み込ませていったのだ。

極限の緊張を乗り越え、つかんだ優勝

わずか2カ月という準備期間で挑戦することとなった「K-1カレッジ」。その大会当日、山口さんを襲ったのは、“極限の緊張感”であった。「初めてすぎて、めちゃくちゃ緊張した」と本人が語るように、初戦では身体が思うように動かず、2カ月間積み重ねてきた練習の成果を「ちょっとしか出せなかった」と振り返る。長年の空手や日本拳法で体に染みついた顔面打撃への警戒心が抜けず、反射的に動きが止まってしまったという。試合は延長戦にもつれ込む苦しい展開となったが、「延長になり気合が入った」と山口さん。ようやく体が動き始め、執念で勝利をつかんだ。この一勝が精神的な壁を大きく取り払うこととなった。迎えた決勝戦では、「緊張もなくなっていた」と語り、ヘッドギアなし、グローブのみという初めての状況にもかかわらず、「自分が練習してきたことを全部出せた」と実感できるパフォーマンスとなった。日本拳法で培った鋭いフットワーク、空手によって鍛え上げた蹴りと下半身の強さ――それらを融合させた彼のスタイルは、まさにこれまでの格闘技人生の集大成であった。そして見事、トーナメント優勝を成し遂げたのである。

わずかな準備期間で掴んだこの勝利は、山口さんの中に確かな誇りとして刻まれた。それは、これまでの経験と努力が間違いではなかったことの証明であり、「みんな本気で出てきている」アマチュアの舞台で、自身の勝負強さを最大限に発揮した瞬間であった。

格闘技が教える人生哲学

山口さんが格闘技を通じて最も大切な教訓として挙げるのは、やはり「継続」という言葉である。「継続すれば、こんなに楽しいことがある」と語るように、嫌々ながら続けていた空手も、長く続けた結果、高校での日本拳法の基盤となり、その経験がキックボクシングでの優勝という大きな成果につながったのである。山口さんは、この「継続」を、自分がこれまで歩んできた道が正しかったことの証明だと信じている。
現在も情報理工学部での高度な学業と日本拳法部での活動を両立させている山口さん。理系の専門的な勉強は非常に難しく、友人と協力しながら何とか食らいついている状況だが、ここでも諦めずに続けることの重要性を強く噛み締めている。
彼が格闘技を通じて得たもう一つの重要な学びは、「ここ一番の勝負時」に自分の最高のパフォーマンスを発揮することである。試合のプレッシャーのかかる場面を何度も経験してきたからこそ、山口さんはこの能力を、学業やこの先迎える就職活動など、あらゆる「勝負時」に活かしていきたいと考えている。

苦難を乗り越えてきた者だけが持つ確かな自己肯定感と、未来へ向けた強い意志をにじませる山口さん。その歩みは、「継続こそが自らの可能性を広げ、最大の喜びをもたらす」という格闘家としての哲学を静かに物語っている。

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