コラム

2018.09.20

夏休みの想い出

 長い夏季休暇、みなさんはどのように過ごされたでしょうか。思い起こすと、私自身、大学に入ったばかりの1年時は、2ヶ月の長い期間を、どのように過ごしていいかわからず、ぼんやりしていました。オーケストラサークルに入っていたので、合宿には参加しました。逃れようのない、山間の少年自然の家で、朝から夜遅くまでの練習に、1週間ほど参加しましたが、バイオリン初心者で、なかなかうまく楽器を演奏できるようにならず、きつい経験でした。しかし、夜遅くまで、友だちとおしゃべりして、楽しい時間でもありました。バーベキューをしたときには、みんなが我先に牛肉をとろうと競い合い、生々しいお肉を食べることになったりもして、つらい練習を、笑ってふきとばす勢いがありました。
 次の夏には、山小屋行きのバスガイドをしてみたこともありました。バスに乗って山頂に行けば、地上の暑さから離れることもでき、気持ちよいかと考えたのです。実際、とても涼しく、休憩時間に山頂の花畑を歩いたり、鳥を観察したり、観光客の方と話したり、よい時間を過ごすことができました。さらに次の夏には、日中には塾で、夜には懐石料理店で働きました。
 そして、最後の夏には、貯まったお金で、イギリスに短期の英語研修ホームステイに行きました。初めての海外。そして一人旅。香港経由でイギリスに向かいました。南東部のヘイスティングスという、小さな街を選択し、アイルランド出身の優しい奥さんが、弁護士のご主人と一緒に迎えてくださいました。午前中に英語のクラスに行き、午後は自由な時間。入ったクラスには、フランスからの高校生、スペインからの主婦、イタリアからの社会人などがいました。なかなか思うように話せず、四苦八苦。しかし、カフェで自国の様子をたどたどしく話し合ったり、住所を交換して、後々まで文通が続いたり(メールなどは、まだなかったので)がありました。ほかに、週末を利用して、ドーバー海峡からホバークラフトに乗って、フランスに渡り、パリで、美術館見学して、世界の絵画に感動したことも、懐かしき、よき思い出です。
 社会人になってふりかえると、大学生のときにしか、できないことがあったなあと思います。時間があったからこそできたことが。そんなことも考えながら、みなさんがよい休暇を過ごしてくださったらいいなと思います。

学生サポートルームカウンセラー

2018.08.09

チンパンジーの話

 いまさら言うまでもないことだけれど、チンパンジーはとても賢い動物である。日本ではチンパンジーをはじめサルの研究が伝統的に盛んなためもあり、私はそれらに興味をもってきた。類人猿の研究はそれ自体について明らかにすることだけではなく、人間について理解を深めるのに役立つと考えられている。それは、人間と似ているが違いもあるものと比べることで、人間を相対化してとらえることができるからだろう。そこで、チンパンジーについての知見をいくつか紹介しよう。  
 こんな研究がある。人が「水差しの水をコップに注ぐ」という動作をして見せたとき、どこに注目するのかを調べたところ、チンパンジーは水差しからコップに水を注ぐ「手の動き」を注視する傾向が強かった。同じ動作を人間に見せたところ、手の動きにも目を向けるが、それ以上に注目するのは水差しの水をコップに注いでいる人の「顔」だったという。この傾向は幼児にも認められた。つまり、人間は小さいころから人の顔を観察することでさまざまな情報を得ようとする傾向あるいは能力があるらしいのである。  
人間はどのようにして人の顔に注目するようになるのかを示唆する次のような指摘がある。チンパンジーは、赤ん坊のとき、母親と長時間くっついて過ごす。こうして母子の愛着関係が形成される。しかし、赤ん坊は母親のおなかのあたりにしがみついていることが多く、母子が顔と顔を向き合わせることはほとんどない。これに対し、人間は赤ん坊のとき、母親と顔が向き合う機会をとても多く持つ。それは授乳のときだけではない。母親は、着替えさせるときやおむつを替えるとき、あるいはあやすときや寝かしつけるとき、赤ん坊に自分の顔を見せ、赤ん坊の顔を見る。そのような機会が生まれるのは、人間が赤ん坊を仰向けに寝かせた形でいろいろ働きかける習性があるためである。人間は赤ん坊を仰向けに寝かせる唯一の動物なのだそうである。  
 赤ん坊を仰向けに寝かせるという、われわれにとって当たり前のおこないが、顔と顔を向き合わせ、見つめ合うという人間行動の基盤になっているというのは興味深い。そうすると、ではなぜ、そしていつごろから、人間は赤ん坊を仰向けに寝かせるようになったのだろうかという疑問が生じる。赤ん坊をこのような姿勢にして赤ん坊と関わるためには、いろいろな意味でゆとり(つまり、ゆったりとした時間が持てるような状況)が不可欠だろうという気がする。このような点についての解明は、人類学がいつか成し遂げてくれるかもしれない。目下、人類学は日進月歩のようで、研究手法の進歩によって、これまでの説が確かな説得力を持って次々と覆されつつあるようだから。
 もう一つチンパンジーの研究について紹介しよう。チンパンジーは学習能力が高く、課題に正しく反応したらおいしい食べ物を一口もらえるという条件下で、かなり高度なことまで理解できるようになるという事実がある。たとえば、1から10までの序数を覚えることができるが、これについて驚異的な能力を持つことが明らかになった。訓練を受けたチンパンジーは、大型テレビほどの画面に1から10までの数字がランダムに提示されると、それを瞬時に記憶し、数字が消えた後も、1、2、3…という順に「さっき数字が提示されていた場所」を正確に指させるのである。しかも、ランダムな数字配列を提示される時間が1秒未満というごく短い時間であっても、この課題をいとも簡単にやってのけるのだという。ちなみに、比較対象となった某有名大学の学生は誰一人この課題をクリアできなかったそうである。  
 上記のことから分かるのは、チンパンジーが視覚情報を処理する高い能力をもっているということである。これに関わって、次のような研究もある。チンパンジーとよく似たサルにボノボというのがいる。チンパンジーより小柄なのでピグミー・チンパンジーとも呼ばれている。ボノボに言語を学習させた有名な研究では、絵文字をたくさん用意し、それを学習させた。すると、ボノボは複数の絵文字を次々に指さして「文」を構成し、さまざまな要求を「言葉」で表現できるようになった。感情に関わる文さえ作ることができた。一方、簡単な英語なら耳で聞いて理解でき、たとえば、“What kind of food do you like?”と聞かれると、“banana”を意味する絵文字を指さすことができた。しかし、人間とは声帯の構造がまったく違うので音声言語を使える(つまり言葉を「話す」)ようになることは期待できないのだという。そこにボノボの限界がある。  
 最後にチンパンジーの話をもう一つ。あるチンパンジーが腰痛になり、寝たきり生活を余儀なくされた。しかし、気分的には少しも落ち込まず、明るく(?)過ごしたらしい。人間なら、こんなとき「こんな生活がこの先もずっと続いたら自分はどうなってしまうのだろうか」などと思い悩み、落ち込むのが普通ではなかろうか。では、チンパンジーが寝た切り生活になっても落ち込まなかったのはなぜか。それは、「将来の自分について考える能力」をそもそも持っていないからであるらしい。逆に言えば、人間はいろいろなことを考える能力を持つがゆえにいろいろと悩みも生じるのである。  
あれこれ思い悩むことがあったら、チンパンジーのことを考えてみるのもいいのではないか。人間である自分という存在をちょっと相対化して見直すきっかけになるかもしれないからである。  
 What kind of worry do you have?

学生サポートルームカウンセラー

2018.07.06

はじめの挨拶にかえまして ~妖怪・歴史・街のイメージの更新について~

 お盆のシーズンになると、京都の京福電鉄(いわゆる嵐電)には「妖怪電車」なる妖怪を乗せた電車が走り、私にとってはそれは夏を実感させるものになります。水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』を子どもの頃見て育った世代の特徴なのか、個人的な興味関心なのか、「妖怪」という言葉は、常に何か私を引き付けるものがあるようです。
 今年の4月からOICに来させていただくようになって、茨木駅に降りることが多くなると、朝の出勤のあわただしさの中でも、頭の片隅には「茨木童子のいた地に降り立った」との思いがあります。かの有名な京都大江山の鬼、酒呑童子(しゅてんどうじ)の一番の子分。頼光四天王の一人、渡辺綱に片腕を切り落とされた、あの茨木童子です(皆さんも当然ご存知のことと思います)。確か、どこかの橋の欄干には茨木童子の石像がありましたし、茨木市の飛び出し坊や(子どもに、車の注意喚起をする看板)は、通常、道路に飛び出そうとしている子どもの絵ですが、茨木市で飛び出そうとしているのは、茨木童子です。茨木童子が飛び出してきたら、むしろ車が壊れます。

 歴史、特に幕末が好きな人は、先斗町のあたりを歩いているときに、幕末期に不逞浪士たちが徘徊しているのをイメージしたりしませんか?それを取り締まる新撰組のイメージとか…(私はします)。熱狂的な阪神タイガースのファンは、阪神甲子園球場に聖地の神々しさを感じませんか?打者の特徴に合わせて獲物を狙うようにするすると守備位置を換え、打者の打った白球が舞い上がると、獣のような俊敏さで走り、即座に落下点に入り、フライを何事もなくキャッチする外野手に、神を称える舞のような優雅さを感じたりしませんか?

 何気ない街の風景でも、私たちがそこから感じ取っているものは、当然ですが、お互い全く違うのでしょう。人がそれまで得てきた知識、興味、経験、思い入れ、そういったものが、街に投影されていろどりを与え、街は「その人だけの街」へと変貌していきます。妖怪好きにとっては、茨木は「茨木童子のいた地」であり、戦国時代好きにとっては「豊臣秀頼の忠臣、片桐且元が治めた地」かもしれないし、スイーツ好きにとっては「ハワイアンパンケーキの名店○○がある地」かもしれません。その他にも、好きなあの子が住んでいたり、交通違反で警察に取り締まられたり、ポケモンGoでレアポケモンをゲットできるスポットがあったり。そうやって、街のイメージは複合的に積み重なっていきます。OICに来させてもらうようになって、私の中の茨木のイメージは茨木童子がいるだけではなくなり、「私が働いている地」へと更新されました。この茨木という土地が私にとって良いイメージのままであるような未来を期待したいと思います。

*このコラムは2018年5月に執筆されたものです。
 この度、大阪北部の地震により被災された皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。

学生サポートルームカウンセラー

2018.06.11

映画から学ぶ 依存症の論理

 なにやら重苦しいタイトルだがお付き合いいただきたい。カウンセラーは映画好きな人が多い気がするが、私も映画をよく見る。その濃密な描写を通じて、人間の生き様を学ぶことが多い。
 今回は依存症について、ある映画から学んだことを書いてみたいと思う。
 
 ポールトーマスアンダーソンというアメリカの映画監督がいる。処女作を撮ったのは1998年で、その年に生まれた人がちょうど成人になるくらいのキャリアがあるが、作品数は8作品と寡作である。しかしその中でいくつもの映画賞を受賞しているいわば「天才」と評される監督である。
  この監督の作品には依存症を抱えた登場人物がたくさん出てくる。薬物やアルコールなどの場合もあれば、金や権力、過去の栄光、人間関係などに“取り憑かれた”人たちもいる。代表作の「マグノリア」(2000年)は、そんな依存を抱えたやや奇天烈な登場人物たちによる群像劇である。
 
 今回は「ザ・マスター」(2012年)という作品について話をしてみたい。

 映画は、太平洋戦争時海軍兵であった主人公が、赴任先の南国で、戦闘行為にも及ばず、浜辺で飲んだくれているシーンから始まる。そう、主人公は重度のアルコール依存症である。帰還したばかりの主人公は、他の帰還兵と一緒にひとところに集められ、次のように言われる。『これから社会に出て、商売をするのもいい、店を開くのもいい、云々』 くしくもそのときアメリカは、戦後の好景気に湧く黄金期であった。戦争のさなかにいた人間が突然社会に放り出され、“アメリカンドリーム”を叶えるよう言われるのである。

 その後主人公は飲酒をやめられないながら、それでも職を見つけ、一見うまく適応しているようにふるまっている。(そのとき就いていた職が、アメリカンドリームを叶えた一般市民たちのポートレイトを撮影する仕事であったことはなんとも皮肉である。) しかし、依存症と、それに伴う暴走によってどんどん社会とのひずみが生み出され、主人公は職を追われ、逃げるように職を変えていく。いつしか酒を飲むことが目的になり、職も失い、無一文の状態で他人の客船に忍び込む。そこでのちに傾倒し、人生を共にする宗教家(マスター)と出会い、その人との関係を通して、主人公の心に慰めと自由さがもたらされる様子が描かれる。主人公はマスターの側近になることで、宗教集団での居場所も見つけたかのように見えるのだが、もちろん映画はそこでは終わらず、その後主人公とマスターの関係にひずみが生じていく。後の展開については映画をぜひ見てみてほしい。

 注目したいのは、主人公が帰還した直後に心理検査を受け、なんらかのトラウマを追っていることが示唆される短いシーン(*)が差し挟まれていることである。戦争や、あるいはその前から背負っていたかもしれない、心の傷になんの手当もされないまま社会に放り出された主人公は、道を見失ったまま依存行為によって自分を支え、社会に適合していこうとしているようにも見える。

 こうした描写について考えながら、かつて薬物依存の当事者であった人が述べておられたことを思い出した。要約すると、『他人から、薬を使ったのは生きづらさがあったからだろうと言われることに違和感がある。依存症のさなかでは、どうやって次の薬を手に入れるか、など依存行為を続けることで頭がいっぱいで、生きづらさなんて感じている暇がなかった』、と。依存症のさなかでは、“生きづらさ”という言葉ではくくれない心の問題は本人からも見えなくなっているのだということを実感させられるとてもリアルな言葉である。

 「ザ・マスター」の主人公も、アルコールに依存することで自分の傷つきや痛みを緩和させ、社会に適合しようと必死であったのかも知れない。しかしそのために、本人の傷つきや痛みは社会からも、そして本人からもどんどん見えないものになっていったかも知れない。 そして、主人公がマスターと出会ったことで、自分について見る目が開かれていったように、そうした傷は、共に眺めてくれる誰かがいて初めて見えてくるものなのかも知れない、ということを考えていた。
 
 依存症は、いまだ偏見にさらされやすい疾患のひとつであるが、依存を持たざるを得ない理由もまたあるのではないかということを、映画を通じて学んだ次第である。

 なお、ポールトーマスアンダーソン監督の最新作、「ファントムスレッド」(2017年)が公開となった。これもまた、“美”に取り憑かれた人の話である。興味のある方はぜひ見てみてほしい。

(*…これについては、あくまでも個人的見解であることをお断りしておく。)

学生サポートルームカウンセラー

2018.05.11

実感をもつこと

 みなさんはほんとうの闇(やみ・くらやみ)をみたことがありますか。
 学生の頃、障害のある子どものサマーキャンプのボランティアで、京都の北の丹後の海に行った時の話です。昼間は子供たちと海水浴や焼き板作りなどをしたり、食事を作ったり汗だくになって何枚もの布団を干したりしたのですが、夜になりキャンプ場の周囲を周って点検する役割に当たりました。懐中電灯を持ってキャンプ場の周りの砂浜などを歩いたのですが、その日は月もなく、真っ暗闇でした。漁火(いさりび)といってイカ釣りなどの夜に明るい光をつけて漁をする船があると、海にいくつもの光がついて浜の方まで明るく見えるのですが、その日はそれもありませんでした。浜辺も海も空もしんとした暗闇なのです。程なく戻ってきて明るい部屋でいつものミーティングをしたのですが、あのしんとした暗闇はとても印象に残るものでした。
 町中では、24時間コンビニが空いていて、あかりが消えることはありません。インターネット上のタイムラインには常に情報が流れ、わからないことはすぐにネットで検索をすることが私たちの日常になっています。
 私には時に、それはしらじらとした闇のない明るさのように思えることがあります。目に見えるものや、わかりやすいものは収まりが良いですし、次々と新しい情報を処理していくことを求められることも多い現在、目に見えないものや分かりにくいものの価値は相対的に軽くなりやすいようです。しかし、明るさや光は、背景となる暗闇があって初めてくっきりとした実在性が生じてくるのではないかと思います。しらじらとした明るさの中では、どこか現実感を欠いていたものが、暗闇を通して光に当ててみると不意にその実在を知らしめ、実感を持って感じられるように。浜辺で暗闇を見た後にミーティングに出た時に、これまでと少し違った鮮やかさを感じたことがそうでした。
 話は少し変わりますが、分析心理学の創始者ユングは、自伝の中で、実際に起こった外的な出来事よりも、夢やヴィジョンを含んだ内的な体験の方が、はるかに自分にとって意味を持っていると述べています。外界の捉え方には人によりタイプがあり、皆がユングのように内的な世界を一番に大事にするとは言えませんが、たくさんの情報や明確さに慣れている現在の私たちにとって、暗闇の存在を思い出すことや体験の中に背景としての暗闇を取り戻すことは重要性を増しているように思います。体験がより厚みを持ったものとなるというと近いでしょうか。自分自身の実感を持って捉えたものは、心に残りますし、個人の行動の指針となることもあります。
 私たちにとって、暗闇はどこにあるでしょうか。大学生の皆さんにとって、普段の日常の中で、わかったと思っていた勉強を違う視点から見ると新しい発見があった時に、また、こういう人だと思っていた友達に新しい側面をみて驚きや喜びを持つ時に、壁にあたって悩んだ時に、本や映画にイマジネーションを働かせてみる時に、一つ一つの貴重な、暗闇と光の体験はあるのではないでしょうか。

学生サポートルームカウンセラー

2018.04.04

文字のない絵本

 春。寒くて暗かった冬を通り抜けて、やっと暖かい日差しを感じることができるようになりました。4月になっても、あまり昨年度と変わらない生活の人もいるでしょう。一方、新学期、新生活などで、何かと新しいことに取り組まなければいけないこともあり、あわただしく感じている人もいるのではないでしょうか。そんな日常に、ちょっと疲れたなと思うとき、私は、にぎやかなところから離れて、ぼ~っとしたくなることがあります。そんなとき、ちょっと落ち着けるところで、絵本を手に取るのが好きです。
 最近出会った絵本は、絵のみで文字がないものでした。鉛筆で描かれていて、おのずと白黒だけの色使いです。普段、かわいらしく色がついたものに慣れているので、はじめは戸惑いましたが、ページをめくるごとに、その世界に引き込まれていきました。
 主人公は一匹の犬です。ある日、飼い主に捨てられてしまいました。犬は必死で、必死で飼い主の車を追いかけます。でも追いつきません。追いかけるのをあきらめた後も、こっちにいったかなと匂いを嗅ぎながら、道をすすみます。歩きつかれて、路肩で休み、また、とぼとぼと歩きはじめます。文字がない分、絵から、犬の悲しみ、寂しさ、どうしようという不安な気持ちが直接伝わってきて、思わずページを閉じたくもなりました。しかし、先の展開が気になり、読み進みました。
 犬が道を横切ろうとしたところで、よけようとした車がハンドルを切り損ねて他の車に当たり、事故になってしまいます。渋滞になり、人々が騒いでいるのを離れたところで、え、どうしよう・・・としっぽを下げて、振り返っている犬が描かれています。そこから離れ、気をとりなおして、犬はまたとぼとぼと歩きだします。地平線に向かって吠えてみても、誰もいません。進んでも進んでも、誰もいません。そのうちに、遠目に町がみえてきました。犬は野原に座って、遠くの町を眺めます。そして、草むらや原っぱを町の方向へ歩き続けます。ついに町につきました。道路があり、建物や人が見えます。歩道を歩いていても、人々は犬を野良犬だと思ってか、誰も相手にしてくれません。道で仕事をしていたおじさんを見上げたら、あっちへ行けといわれてしまいました。しっぽをまいて、その場を立ち去ります。そして歩き続けます。そのうち、遠くに一人の子供がみえてきました。子供もこちらをみています。お座りして待っていると、その子が微笑みながら近づいてきました。近くまでくると、その子はとても寂しそうな目をしています。犬は思わず、その子に近寄って、その子の顔を見上げました。物語の初めからずっと下がっていたしっぽが上がって、振られています。そこで、物語は終わっています。そのあとどうなったかは、語られていません。しかし、犬とその子が出会えたことにほっとしながら、読み終えました。
 これは、ガブリエル・バンサンの「アンジュール」という絵本です。バンサンはもう一冊、「たまご」という文字のない木炭画の絵本を描いています。これは、SF的でもある壮大な物語です。「アンジュール」ほど、わかりやすいお話ではありませんが、これも読んだ後、いろいろ考えさせられる本です。文字がなく、白黒の絵のみの表現という手段だからこそ、より感情に訴える作品になっている気がします。あえて、1つのコミュニケーションチャンネルを遮断することで、想像が膨らみ、心の中からストーリーが、わきあがってきます。読み手が絵に感情移入することで、物語が生み出されていくのです。なんだか逆説的で、すごいなと思ってしまいました。
 ちなみにバンサンは、白黒の絵ばかり描いているわけではなく、パステルカラーで文字つきのかわいらしい絵本をかくことの方が多い作家です。疲れすぎていて、何も考えずにちょっとほっこりしたいときには、そちらの方がリラックスできるかもしれません。

学生サポートルームカウンセラー

2018.03.29

This Is Me

 今、観たい映画があります。
先月、日本公開された「THE GREATEST SHOWMAN グレイテスト・ショーマン」という映画なのですが、ご存知でしょうか。

 私がこの映画の存在を知ったのは、「映画のPR大使にバブリーダンスで有名になった、登美丘高校ダンス部の女子高生たちが選ばれた」という朝のニュース番組でした。制服の女の子たちが映画の主題歌に合わせて、一心不乱に踊る姿に、胸がじーんとして、涙がほろり。

 その時聴いた主題歌が頭から離れず、早速、通勤の電車の中でYouTube検索してみると、主題歌1曲分の映画の予告動画を見つけました。見終わると、朝よりもさらに胸が熱くなって、涙がぽろぽろ流れました。

この涙、なんだろう…。

 「どうやら、この映画が相当私のツボらしい」ということだけは分かったので、あらすじを調べてみることにしました。「社会の影でひっそりと生きてきた人々をキャストに起用して一座を立ち上げ、これまでにないショーを作り上げて喝采を浴びた、興行師バーナム(実在)の生涯を描いた作品(映画.comより抜粋)」とのこと。あらすじを知ったうえで、再度、女子高生のダンスや、主題歌、予告動画を見聴きし直すと、もっともっと涙が溢れてきました。

 どんだけ、泣けるねん…。

 泣ける理由を自分なりに分析したところ、約8年間の学生サポートルームの仕事に携わった経験が、大きく影響しているように思います。
 これまで学生サポートルームを通して、「自らの力で成長する学生さんの姿」をたくさん見てきました。「何とかなりそう!やってみます!」と話すその姿からは「This Is Me これが私なんだ」と、自分を自身で認められている様子が見てとれました。

 そんな誇らしき皆さんの姿と、映画の世界観がマッチし過ぎて、観てもいないのに(笑)、泣けてくるのだと思います。もし、映画を観に行かれて、隣で激泣きしている人がいたら、それは私かもしれないので、その時は、そっと見守っていただければ嬉しいです。

 最後に、私はカウンセラーや教員ではありません。大学職員として、長年、学生サポートルームに携わらせていただいたまでですが、今回、コラム執筆の機会を頂戴しました。この場をお借りし、関わりのあった全ての方々に感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
学生オフィス 職員

2018.03.13

雪の結晶

 皆さんは好きな模様や形、デザインはありますか?ハート、星、水玉、クロス、花柄、チェック、アーガイル、ストライプ等々、世の中にデザインは溢れています。その中でお気に入りのものがある人もいれば、むしろ無地が良いという人もいるかもしれません。
 私は子どもの頃から、どういうわけだか雪の結晶が好きでした。雪の結晶がデザインされたアクセサリーや小物があるとつい足を止めて見入ってしまいます。雪の結晶デザインのものがあるだけで、ちょっとテンションがあがるほど雪の結晶好きを自負しておりますが、実物を見たことは残念ながらなく、そもそも雪の結晶とは何なのか、知っている様でたいしたことは知らないのでした。
 前回の長澤先生のコラムにも触発され、文系だからと自らにレッテルを貼り理系分野への苦手意識を持っている私ではありますが、大好きな雪の結晶について調べてみることにしました。改めて考えてみると、雪の結晶も自然科学にあたるのですよね。
 まず、「雪の結晶とは何か?」
 調べてみると、この問いの立て方自体が少々ずれていることが分かりました。空から降る雪は直径2~3mmの結晶から出来ていて、それを顕微鏡やルーペで拡大すると、某食品メーカーの印でお馴染みの雪の結晶の形が見えるというわけです。さきほど、実物を見たことはないと書きましたが、それはただ私が「雪の結晶」として認識していなかった、その形として捉えていなかっただけで、雪の結晶は目の前に降り積もっていたのですね。
 雪の結晶は降るときの大気中の条件によって形を変えますが、基本形として平らな六角形の「角板」と柱状の六角形の「角柱」の2種類に分かれることも分かりました。角柱バージョンがあったなんて!?驚きです。平面しかないものと思い込んでいました。そして、板状の雪の結晶は、六角形を基本として、星や花の形、樹枝の様に広がる形など、二つとして同じ形のものはないと言われるほど多様でした。
 ここでまた一つ疑問がわきました。雪の結晶が模様として現れるようになったのはいつの時代なのだろう?
 この答えは、わりとすぐ見つかりました。日本で初めて顕微鏡で雪を覗いたのは、下総古河藩の藩主、土井利位という人物でした。この人物が、結晶の形を写生して「雪華図説」という書物にまとめ、その絵がたいへん美しかったので、雪の結晶は「雪華模様」として着物や茶碗にあしらわれ、江戸の庶民の間に流行したそうです。
 さらに調べていくと、六角形以外にないという説と、六角形以外にも存在する、という説があることがわかってきました。六角形以外の雪の結晶が存在することを綿密な観察を重ねて研究した人物がいたことに感銘を受けました。その研究者とは、中谷宇吉郎博士。「雪は天から送られた手紙」という詩的なことばを残した中谷博士について、そして雪華など数々の美しい異名を持つ雪の結晶について、興味はつきませんが、今回はこのあたりで筆を置きます。加賀市にある中谷宇吉郎雪の科学館に、博士がまとめた雪の結晶の分類表を見に行きたい。ささやかなこの夢が叶ったら、またこの場をお借りして報告したいと思います。 

学生サポートルーム カウンセラー

2018.01.15

文系、理系に分ける意味

 日本の大学では、学問を文系・理系に二分することが長い間慣例となっている。学際分野や文理融合領域も大いに広がってはいるが、大学入学時点においては、選択できる受験科目から文系と理系が明らかに区別されている。これには一体どのような意味があるのだろうか? 
 確かに学習方法上の特色から、いわゆる文系分野と理系分野である程度の区別をつけることが可能かもしれない。一般的なイメージからすれば、基本的な定理や約束事から出発して厳密な積み上げ型で成り立っている理系分野に比べて、文系分野では基礎から応用への展開がそれほど厳格ではなく、途中段階から参入してもある程度学習可能なように思われる。厳格な積み上げ型の理系の学問に比べて、文系の学問体系はある程度柔軟に見える。
 しかしながら、文系分野でも基礎概念を曖昧なままにして応用・展開へ進むことは基本的に不可能である。基礎概念を正確に定義して共通の了解を確保して、また方法論についても論理的な手続きを経なければ、文系分野においても研究を発展させることはできない。文系分野は柔軟でそれほど厳密でなくてもよい、という観念があるとすれば、それは偏見である。
 文系、理系への二分割が誕生した経緯については詳らかでないが、富国強兵のために有用な人材を短期間で効率よく育成する上で、このような二分割が有効であったのだろうか? あるいは、進路決定の判断基準として単純で便利だったからなのだろうか? いずれにせよ、大学受験段階で人間の適性を二つのタイプにグループ分けすることが制度として根付いているが、このようにグループ分けをしてレッテルを貼ることは、本人に自分の能力について偏見を持たせ、発達の可能性を大きく制限していると言わざるを得ない。
 産業社会学部で統計学という理系的な科目を教えているのでこのようなことを感じるのかもしれないが、理由はそれだけではない。自分は文系だから理数的科目を学ぶ能力はない、学ぶ必要はない、という偏見を文系学部の学生が持っているとすれば(実際、そのように見えるが)、高度な科学技術が社会にますます大きな影響を与えている今日において、文系学生が将来の可能性を自ら閉ざすような偏見を捨てることが非常に重要になっていると感じるからである。(理系の学生にとっても、理系だから日本や世界の文化・歴史を知らなくても当然と考えるならば、大いに危険である)
 もちろん、文系、理系それぞれへの適性はある程度は存在するだろうが、日本の場合、大学入試合格というペーパーテストへの適性によって決められる部分が非常に大きいのではないか。要するに、ある学問への知的興味・関心よりも、ペーパーテストで点数が取れるかどうかが学部選択の大きな理由になっている。かくいう私も、大学受験で文系を選択した際に、理科や数学では合格点が取れそうにないという都合からそうなった部分が大きい。そのような私が統計学を教えることになるとはまったく不思議であるが。産業社会学部の卒業生をみても、SEとして技術的な仕事をしている人はいるし、在学中から独学で腕を磨いて情報系のアルバイトをしている学生がいる。中には、理系の大学院に進学する学生もいる。
 学問への向き不向きは、大学受験の問題が解けるかどうかで決まるものではなく、その分野への知的好奇心や意欲があるかどうかである。私は文系だから、理系だから、というレッテルを自分に貼って、自分の可能性を狭めることは、とりわけ20歳前後の若者にとっては大変もったいないことであると思う。文系学生についていえば、ある程度の理数系の素養を持つことは、将来のキャリアを拓くうえで極めて大きな力になる。教養科目で学ぶことができるので、少なくともアレルギー的な感覚は少しでも克服しておいて欲しいと思う。
 みなさんも、受験やペーパーテストという眼鏡をすてて、大学で自然科学の入門科目をとって学んでみませんか? きっと新しい世界が開けると思います。

学生部長
産業社会学部教授
長澤 克重


2017.12.20

いつもの中の別世界、いつもの隣の別世界

 京都という場所に関わるようになって、割と経つのですが、これぞ京都という定番の観光名所やイベント(お寺や神社、祭りなど)にあまり行ったことがありませんでした。そういう所は混んでいそうだな…、いつか行くだろう、と思っているうちに、月日が経ってしまいました。
 知り合いが京都に来た時に、一応京都案内をし、そういった観光名所やイベントに行く機会が何度かありました。そうしているうちに、せっかくだから行ってみようと不思議と思い始め、今さらなのですが、この何年か、京都の観光名所に行ってみました。
 祇園祭では、数々の鉾をまじまじと見て、それぞれの家にある美術品を出してお披露目しているのを見ました。鉾自体の飾りの美しさはもちろんですが、こんなに美しいものがこの家に実はあったのか、と驚くばかりでした。
少し足をのばして、ある山に行った時は、他の観光客の人達に混じって歩きながらも、少し山の中に入れば、動物のいる気配がしたり、周りに何か、普段接しないものがいる、という印象がしました。日暮れ時になると山の中は昼間とは全くの別世界でした。
 私はお祭りや美術品のいわれ、その山の持つ歴史はよく知りませんが、普通に見える家の中に実は美しいもの・びっくりするような世界が潜んでいること、普段関わる場所の近くに実は別世界が広がっていることが印象に残りました。
定番のものは、これまでの歴史の中で生き残ってきているだけに、すごい力を持っていますね。
 
いつものことで普通に思えることの中に発見があるかもしれない、いつもの自分の活動範囲のすぐ隣に別世界が広がっているかもしれない、と思うと、少し怖くもありますが、今自分に見えている世界が全てではないかもしれないと思え、わくわくした気分になります。
 秋になって観光しやすい季節になってきたので、わくわくしながら、もうしばらく京都の定番の所へ行ってみようかな、と思っています。

学生サポートルーム カウンセラー