【挑戦の向こう側】「面白い」が原動力。コンポスト活動と超長距離走、二つの挑戦を続ける林さんの「楽しむ哲学」
立命館大学国際関係学部3回生の林さんは、二つの全く異なる活動に情熱を注いでいる。一つは、大学内の食堂から出る食料廃棄物を堆肥に変える学生団体「Uni-Com(ユニコーン)」の代表としての活動。もう一つは、100kmや240kmといった常識を超える距離を走破する超長距離走への挑戦だ。一見、接点のないように見える二つの活動。しかし、その根底には「面白いことを突き詰める」、「楽しみながら生き抜く」という、彼自身の確固たる哲学が貫かれている。高校時代、努力を重ねて立命館大学への合格を掴み取った経験は、「頑張ればなんとかなる」という揺るぎない自信を彼に与えた。その物怖じしない行動力を武器に、彼はどのように自らの道を切り拓いてきたのか。困難な状況下で団体の代表を引き受け、その存続に奔走する彼の原動力はどこにあるのか。これまでの道のりと、その裏にある想いに迫った。
きっかけは「美味しい野菜」と先輩の言葉。Uni-Comで見つけた表現の自由。
林さんとコンポスト活動「Uni-Com」との出会いは、大学入学前の些細なきっかけだった。大学生協で勤務する父親が、ある日自宅に持ち帰った野菜が、Uni-Comが作った堆肥を使い育てられたものだった。何気なく口にしたその野菜の味に、彼は純粋な感動を覚えた。「めっちゃ美味しいな」。その美味しさの源が、コンポスト(堆肥)にあると聞き、ちょうどその頃自身でもコンポストについて調べていたことも重なり、強い親近感を覚えたという。運命的な出会いに「ビビッときて」、立命館大学に合格したらこの団体に入ろうと心に決めた。
入学後、迷わずUni-Comの門を叩いた彼を待っていたのは、活気に満ちた自由な雰囲気だった。当時の団体は2020年の発足から3年目を迎え、15人ほどのメンバーが在籍。3代目の代表が、その中心にいた。Uni-Comの主な活動は、学内の食堂から出る廃棄食材を受け取り、落ち葉や米ぬかなどと混ぜ合わせて堆肥を作る、という地道な作業だ。しかし、代表は「それだけじゃダメ」と考えていたようで、「堆肥づくりだけでなく、自分たちのやりたいことをどんどんやっていこう」とメンバーに語りかけていた。その言葉は、林さんの心を大きく動かした。
ラナプラザの記憶から生まれた、6着の手作りふんどし
彼には、高校時代から抱き続けてきた強い問題意識があった。それは、ファストファッションの裏にある労働問題だ。バングラデシュで起きた「ラナプラザ崩壊事故」を知り、何気なくファストファッションを手に取っている自分たちも決して無関係ではないと衝撃を受けたことが、大学で国際関係学部を志すきっかけにもなっていた。Uni-Comの活動を通じて「食の循環」に関わる中で、彼は「衣の循環」にも目を向けたいと考えた。そして、1回生の秋の学園祭で、一つのユニークなプロジェクトを提案する。それは、回収された古着の中でもう着られなくなったものを布として分解し、「ふんどし」に作り変えて販売するというものだった。
なぜ、堆肥づくりの団体が「ふんどし」なのか。そこには、彼の確固たる信念が込められていた。「『環境にいいから』という理由で買ってほしくなかった。面白いから、快適そうだから、という理由で手に取ってほしかった」と彼は語る。環境保護という大義名分を声高に叫ぶのではなく、ユーモアを交え、楽しさを入り口に関心を持ってもらう。彼の「押し付けが嫌い」という性格が、このアイデアを生んだ。しかし、実現までの道のりは平坦ではなかった。ミシンなど一度も使ったことがなく、祖母から借りた機械で悪戦苦闘。集めた古着からなんとか6着を作り上げた。
学園祭当日、自身も手作りのふんどしを着用し、その快適性をアピールした。その甲斐あって、6着は見事完売。この経験は、彼にとって大きな成功体験となった。「Uni-Com」は、自分の想いを自由に表現できる大切な場所になっていった。
走ることに魅せられて。100kmの悔しさと京都から北海道への道
「好きなことを突き詰める」という精神は、彼をもう一つの世界へと導いた。小・中・高とサッカーに打ち込み、元々走ることが好きだった林さんは、大学では個人競技に挑戦したいと考え、陸上サークルに入部した。受験勉強からの解放感も相まって、合格したその日から走り込みを始めたという。そして大学1年の夏、彼はひとつの挑戦に出る。初めて出場する大会として選んだのが、なんと「丹後ウルトラマラソン」100kmの部だった。ハーフマラソンもフルマラソンも経験せずに、いきなり100km。どこまで行けるか試したい一心での挑戦だったが、結果は85km地点での無念のリタイア。彼の心に残ったのは、「わりと行けるやん」という手応えと、「あと15kmが走れなかった」という強烈な悔しさだった。この悔しさが、彼のランナーとしての魂に火をつけた。
その背中を押したのも、またUni-Comの先輩である3代目代表のあの言葉だった。「好きなことをとことん突き詰めよう」。先輩自身、好きなことを周囲の公言し、とてつもない熱量で活動に繋げていた。「こんなにも突き詰めていいんだ」。そう感じた林さんは、当時YouTubeで見つけた「サハラマラソン(240km)」という壮大な目標を掲げる。
そこからの行動は早かった。サハラへの挑戦を見据え、まずは1年生の終わり、春休みに琵琶湖一周を走破。そして2年生の夏休みには、さらに大きな挑戦として、1ヶ月かけて京都から北海道まで走破することを計画し、実行した。小さなバックパック一つを背負い、毎日走り続ける旅。宿泊には、ゲストハウスのサブスクリプションサービスを利用した。その道中で多くの人と出会い、多様な生き方に触れた経験は、彼に新たな視野をもたらしたという。
団体の危機と代表就任。「楽しむ」という原点を守るための決意
一方で、彼が個人の挑戦に没頭していた2回生時、Uni-Comは大きな転機を迎えていた。カリスマ的なリーダーシップで団体を牽引してきた3代目代表が卒業し、組織は求心力を失い停滞期に入る。新入生勧誘も上手くいかなかった。Uni-Comは堆肥づくりがメインだが、他の団体は堆肥づくりに加えて野菜作りも行っており、活動の分かりやすさからそちらに学生が流れてしまったこともある。結果、Uni-Comは新入生を一人も獲得できなかった。
副代表に就任していた林さんは、この状況に危機感を覚えていた。彼は、自身が大切にする「ユーモア」や「楽しさ」で空気を変えようと試みた。ただ黙々と堆肥を混ぜるのではなく、“みんなで円になって踊りながら混ぜる”など、少しでも活動が楽しくなるような雰囲気作りを意識した。しかし、一度失われた活気を取り戻すのは容易ではなかった。個人としての挑戦である陸上が充実していく一方で、所属する団体の活動は現状維持が精一杯という状況。そのコントラストは、彼にとって複雑な心境をもたらしたに違いない。
そして3回生。2年連続で新入生が入らず、メンバーは同期の7人のみという危機的状況の中、林さんは自ら代表に就任することを決意した。彼の最大のミッションは、自分が卒業するまでに必ず新入生を入れ、Uni-Comを存続させることだ。
代表として彼が何よりも大切にしているのは、Uni-Comが本来持っていた「雰囲気」を守り、伝えていくことである。「環境系の団体というと、意識が高くて真面目なイメージがあるかもしれない。でもUni-Comは、難しいテーマを扱いながらも、みんなでワイワイ楽しみながらやっている雰囲気がすごく良かった」。義務感や使命感からではなく、「楽しいからやる」という純粋な気持ち。その原点を失ってしまえば、団体の魂が抜けてしまう。だからこそ彼は、かつて自分が先輩からしてもらったように、メンバーが楽しみながら活動できる環境づくりを心掛けている。それは、学園祭でふんどしを売った時に「面白い」を大切にした精神とも通じている。シリアスな問題を、ユーモアと楽しさで乗り越えていく。それが林さんのスタイルなのだ。
未来へ続く道。「楽しみながら生き抜く」先に見据える夢
コンポスト活動、超長距離走、そして学業。林さんは、立命館大学という環境が、こうした多様なチャレンジを可能にしてくれたと語る。周りに挑戦する学生が多く刺激を受けられたこと、親身にアドバイスをくれた先輩と出会えたこと、そして大学のサポートがあったからこそ、活動の幅が広がったという。
そんな彼が将来の夢として語るのは、「ゲストハウスの経営」だ。北海道まで走った旅でゲストハウスの魅力に触れ、現在所属する地域開発ゼミでもゲストハウスと地域の関係を研究テーマにしている。彼が惹かれるのは、多様な人々が交流する空間であること、そして何より「オーナー自身がすごく楽しんで生きている」と感じたからだ。ゼミ合宿で訪れたゲストハウスのオーナーは、自ら土地を借り、家や小屋を建てながら、実に楽しそうに暮らしていたという。「楽しみながら生き抜いていきたい」。それが、彼の人生のテーマそのものなのだ。
現在、彼は嵐山で人力車の車夫としても働いている。走ることが仕事の一部となり、趣味で走る時間は減ったというが、その表情は充実感に満ちている。Uni-Comの存続という大きな課題を背負いながらも、彼の目は常に未来を、そして「楽しむこと」を見据えている。困難さえもユーモアで包み込み、「頑張ればなんとかなる」という信念で自らの道を切り拓いていく。彼の挑戦は、これからも続いていく。