地域編

中東を知る

1. 中東の定義

中東という言葉からイメージするのは、両世界の通商路の要、文明の交差路であり、欧州、ロシア、アラブ、ペルシア、インド、アフリカ世界が境を接する場所であり、シュメール、アッシリア、バビロニア、ヒッタイト、エジプト、ペルシア、ユダヤ等の古代文明とユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、イスラーム教等の一神教の発祥地である。

中東は、フランス語でle Moyen-Orient、つまり、l'Extreme-Orient(極東)とl'Occident(西方世界)の中間に位置する東方世界という意味が込められていよう。実際、中東の範囲は、大雑把に言って、東はアフガニスタン、イラン、西はマグレブ(El Maghreb:日の沈む地)と呼ばれるモロッコまでの地域、北は、トルコ、イエメンを含むアラビア半島、スーダン・サハラ地域を含んでいる。時には、パキスタン、ソマリア、モーリタニア、ジブチ等も含むと了解される。

しかし、中東という概念は、「土地との関係において事物、生物、現象を考える仕方」(H.Baulig, "La geographie est-elle une science?", Annales de Geographie, t.57, 1948, pp.I-II)と定義しうる地理学上の概念と必ずしも重なるものではない(何故ならこの意味で言えば、マグレブ諸国は地中海世界に属し、欧州連合との結びつきを重視する。ソマリア、モーリタニア、ジブチはアフリカに属し、また、トルコはヨーロッパ社会たる欧州連合への帰属を目指しているのである。)。この意味で、パリ政治学院のP.M.Defarages教授の言うように、可変的な政治的空間概念として、「中東は、輪郭のはっきりしない変動する限界を有するように運命付けられている」のである(同著者の"Les relations internationals dans le monde d'aujourd'hui", Editions STH, p.190)。中東を特徴づけ、他の地域から際立たせている要素は、文化・社会的にはアラブ、イスラーム、経済的には石油である。

2. 中東研究の学び方

(1) 中東を知るための鍵たる要素

A. アラブという概念

法律、政治、文化・社会的に、中東研究の要となるのは、アラブとイスラームである。この二つの概念は必ずしも一致しない。前者は、中東近代史を読み解く際の鍵であり、後者は、中東社会を知るための鍵である。「アラブ」とは、もともと、「遊牧民」の意味で、アラビア半島に住み、後には、中東全域に拡大していった種族を意味し、クルアーン(コーラン)に記される神により滅ぼされた種族の人々、アラブ化した人々をも含んでいる。この語は今日では、その人種的な帰属によってよりむしろ、アラビア語という言語並びに一神教(啓典の民として、コプト、マロン等のキリスト教、ユダヤ、ゾロアスター等もあるが、大多数はイスラーム教)に基づく、一つの世界観、一つの政治、法律、社会秩序への帰属により定義される。アラビア語を母語とし、その歴史と啓典の民としての価値観、文化遺産を共有し、アラブとして共に生きようという意志を持つ者はアラブなのである。

アラブ民族主義は、もともと、東方問題(オスマン帝国の弱体化に付け入った欧州諸国のバルカン、中東進出により生じたギリシア独立、クリミア戦争、オーストリアによるボスニア・ヘルツェゴビナ併合等の一連の国際紛争)をめぐって、宗教的対立を越えてアラブ民族としての一体性を説いたキリスト教徒の知識人達にその淵源を辿れる。第一次大戦では、枢軸国側に立って参戦したトルコに対する押さえとして、トルコに対する独立を目指したフセイン、ファイサル親子やイブン・サウドの闘争をイギリスが利用する過程でクローズ・アップされ、強調される。第二次大戦直後は、「英国の平和」に変えて、地域の安定を図る意図の下に、英国がアラブの一体性の象徴たるアラブ連盟を支持した。やがて、イギリスの思惑を超えて、ナセル(P.-H.Defargesの言うように、「アラブとしての一体性は、その成功とそれに続く失敗においてまさにこの人物に体現された」といってよい。)やバアス党のアラブ社会主義がこれを民族的自立とかつて有していたとするカウム(「民族」に類似の概念、これに相対するものとして地縁的・歴史的関係に基づく「国民」概念に類似するものとしての「ワタン」がある。)としての一体性確立の方向に持っていく。しかし、60-70年代にかけて、それぞれ歴史的伝統をひきずる中東諸国の国益優先の政策(1961年のエジプト、シリアからなるアラブ連合共和国の解体、1979年3月26日のエジプトによるイスラエルとの単独講和についてのキャンプ・デーヴィッド合意、旧スペイン領西サハラの帰属問題、1980-1988年のイラン・イラク戦争、1975-1990年までのレバノン内戦、1990-1991年の湾岸戦争、2003年の米・イラク戦争等で、これらの危機に対して、アラブ連盟は無力であった。)の下でその足並みは乱れ、政治的意図に基づくアラブ・ナショナリズムは、政治的環境の変化に伴い、各国のナショナリズムに道を譲り続けることになる。今日のアラブ概念は、各アラブ国家が自己をその一員と位置づけることで、自国又はその行為の正当性を確立するための手段(Eberhard Kienle,"Imagined Communities Legislated:Nationalism abd the Law of Nationality in Syria and Egypt" in the Yearbook of Islamic Law and Middle Eastern Law, vol.1, 1994, p.48)と考えてよいだろう。

B. イスラームという概念

「イスラーム」とは、語源的には、「サルム(平和)」と「スルム(服従)」の両語を基礎とし、「神の意思に自らの意思を従わせることで平和に生きる」という意味を有する。無論、今日、イスラーム教諸国も市民社会と宗教社会をかなり明瞭に区別し、その政治、経済及び社会体制は基本的に西欧社会の方式を採用している。しかし、イスラーム法はこれらの国の社会の指導理念としてなお重要な役割を果たし、民衆の倫理・行動規範の中核をなす。同法は千葉正士先生の言う所の非公式法(公式法ではないが一定範囲の社会集団の一般的合意に支持され、かつ公式法の効果を明確に補充、制約あるいは排除している慣行)である。千葉正士、(世界の法思想入門、講談社文庫、2001年10月10日)

イスラーム法上、主権は神にあり、人間は地上において、神の代理者として主権を委託される。この地上における神の代理者としての資格(ヒラーファ)はウンマに与えられる。全ての信徒は、ウンマの構成員として神の代理者であり、神に対して個人的に責任を有する。全ての信徒は、ヒラーファを行政上、安全上の目的のために統治者(カリフ)に委託する。この主権論に基づき、イスラーム教においては、信徒共同体である「ウンマ」が国家(制度化された権力と言い換えてもいい。)に類似する概念として捉えられてきた。これが、アラブと並ぶ中東諸国のもう一つの一体性の根拠である。アラブ・ナショナリズムの衰退につれて、イスラームとしての一体性が強調されるようになる。この一体性は、例えば、イスラームの連帯強化、聖地の監督行為の調整、その独立と国家の権利のためのイスラーム教徒の戦いを強固にすること等を目的とし、イスラーム教国であること(国民の50%以上がイスラーム教徒であるか又はイスラームを国教と定めていること)を加入の条件とするイスラーム諸国会議機構の1971年の創設に象徴されている。この機構に、おいては、イスラーム法に基づく国際裁判所の創設も決定された(しかし、未だに創設されていない。)。

イスラームは、また中東諸国の一体性といったマクロなレベルだけでなく、よりミクロなレベルで、民衆の生活に浸透している。イスラームの特色の一つは、その法律指向性である。イスラームは、神により、与えられた規範の実践に基づく「公平と善」を旨とする生き方であり、従って、純粋な神学理論の研究以上に法律研究に重点が置かれている。イスラーム法は、イスラームの教えと不可分な一体を為し、神の言葉として不可侵であり、無誤謬かつ不変で、教徒の社会生活を規律する。この点、キリスト教においても教会法が発達したが、こちらは、その起源を神法に遡れる若干の規則を除いて、人間の作り出した規則であり、「私の王国はこの世界にない」とするキリストの教えにより社会の組織化より、専ら教会の組織化と典礼に重点を置いてきたという点で異なる。この相違は、教祖の性格(ムハンマドは、マディーナ(メディナ)そして後にマッカ(メッカ)の統治者として、政治家又は法律家もしくは行政官であった。)によるものであり、預言者の後継者達は宗俗両権の保持の伝統を引き継いだためであろう。

若干のアラブ諸国(サウジアラビア、イラン、リビア、スーダン)の憲法又は基本法はイスラーム法に言及している。例えば、イランの、憲法第4条は、イランの法律がイスラーム法に適合しなければならない旨定めている。また、伝統的な遊牧民社会において、イスラームの法思想に基づく慣習法が重要な役割を果たしている。しかし、既に述べたように多くの中東諸国においてイスラームとその法は、刑法、裁判制度を含む国家としての制度よりむしろ、利子に当たる金額を商取引上の利益として還元する金融・経済システムや身分関係の法により大きな影響を留めている。

C. 石油

中東は、世界の石油埋蔵量のおよそ半分以上を保持している。この意味で、中東地域は人類が石油を重要なエネルギー源とし始めて以来早くから戦略上の重要性を持ってきた。この石油をめぐって、中東は米英仏ソ等の大国の干渉する地域となり、アラブ諸国の政情不安定がもたらされた。石油はまた、多くの中東諸国にとり殆ど唯一の財源であったため、これらの諸国が天然の富及び資源に対する恒久主権を含む経済主権の主張により国有化を正当化し、国際石油資本とその国籍国との経済摩擦が引き起こされてきた(例えば、1951年のイランのモサデク政権下の国有化に始まり、リビア、アルジェリア、イラク等がこれに続いた。余談ではあるが、これらは、国際投資法の発達を促した。)。自己の利益確保のために、彼らは、既に、1960年9月14日のバグダッドでの国際会議の決議により石油輸出国機構(OPEC)を創設していたが、1968年1月9日のベイルートでの国際会議でアラブ石油輸出国機構(OAPEC)を創設した。これらの機構は、原油価格を引き上げて安定させるという経済的な目的を有していたが、OAPECは、1973年の第一次石油危機以降、イスラエル封じ込めという政治的目的を有する配給制限を行った。1979年頃まで、原油価格の急騰によりアラブ諸国の歳入は増大し、石油枯渇後を睨んだ産業開発や海外投資(オイル・ダラーの還流といわれる。)が行われたが、社会開発やあるべき社会のビジョンを伴わない産業開発は、かえって、階層間、都市と農村間、地域間の格差を拡大し、顕著な成果をもたらさないままインフレ拡大や対外債務の累積につながり、これが、現在のイスラーム原理主義を生じさせるきっかけともなった。1986年の原油価格の急落は、このマイナス傾向に拍車をかけたのである。この原油価格は、最大の原油国の一つイラクが、米国との戦争に続く占領そして民政移管による新政権発足、この流れに抵抗するゲリラ及びテロ活動、宗教対立とそこから生ずる武力紛争等の政治的不安定性の理由で生産力が低下したため、現在は再び上昇傾向にある。また、1990年代以降、カスピ海沿岸部での石油開発、中央アジアからトルコまでの長大なパイプラインによる送油等がロシアその他の諸国との新たな国際問題の種となりつつある。

(2) 研究方法

中東地域は、(1)に述べた諸要素を概観すれば一目瞭然なように、①アラブ・ナショナリズムに基づく一体性を希求しながら、現実には、歴史的背景を持った深刻な対立に囚われている。②イスラームという精神的・社会的な一体性の道具を有しながら、各国の国家エゴイズムにより現実の政治が動かされている。③主としてエネルギー資源の確保をめぐっての大国の干渉地域であったため、この干渉を排除した国家がアナーキカルに自立した状態となり、地域的な安定勢力が育たず、慢性的な政情不安定は経済を停滞させた。また、あまりに社会的なタブーが多く、このため、国家開発も、社会意識の変革に裏打ちされた大規模な社会開発を伴い得ず、効率的に促進できなかった。

これらの点を念頭に置いて、(1)の要素を把握すれば、後の研究方法は社会科学の他の分野と大差ない。いくつか指摘すべき点を強いて挙げろといわれれば、第一に、研究姿勢である。研究の切り口は、政治、経済、法律、社会、文化と多種多様であり、それぞれがまた詳細に細分化されている。しかし、いずれの切り口をとるにしても、他の分野に対する一般的知識を持つことは自分の研究の幅を広げると同時に深化させることに役立つ。忘れてならないのは、細部を見ていても、必ずそれが全体に帰っていくこと、そして、全体を見ていても、細部まで目を配ることである。陳腐な言ではあるが、アカデミックな研究である以上、たとえそれが自分の経験に根ざすものであっても、研究を昇華して普遍化できねば学問研究としての意味がないのである。

第二の要素は語学である。中東研究については、特に、アラビア知識人のそれを含む英仏独伊露語での膨大な先行研究の蓄積があり、せめて英仏語での参照は不可欠であろう。また、これらとは別に、アラビア語自体の読解能力を主とする最低限初歩的な知識が必要である。アラビア語には、英仏語には訳し難いニュアンスのものがあり、また、人権等の分野では、イスラーム人権宣言のように、アラビア語正文と他の言語の正文を故意に違えて、内向きと外向きの表現を変えている。その意味で、正確な意図を知ろうとする場合には、アラビア語の知識が欠かせないこともしばしばある。国際関係、特に、地域研究を志す者にとり、複数言語の取得は最低条件であろう。

3. 参考文献

-事典として-

  • 大塚和夫ほか編『岩波イスラーム事典』岩波書店、2002年
  • 片倉もとこ編集代表『イスラーム世界事典』明石書店、2002年
  • 私市正年・浜中新吾・横田貴之編『中東・イスラーム研究概説―政治学・経済学・社会学・地域研究のテーマと理論』明石書店、2017年
  • 小杉泰・林佳世子・東長靖編『イスラーム世界研究マニュアル』名古屋大学出版会、2008年

-雑誌として-

  • 中東調査会『中東研究』季刊
  • 日本イスラム協会『イスラム世界』年刊
  • 日本中東学会『日本中東学会年報』年2回刊

-イスラームに関して-

  • アームストロング、カレン(小林朋則訳)『イスラームの歴史―1400年の軌跡』中公新書、2017年
  • 大塚和夫『イスラーム的―世界化時代の中で』講談社学術文庫、2015年
  • オーウェン、ロジャー(山尾大・溝渕正季訳)『現代中東の国家・権力・政治』明石書店、2015年
  • 片倉もとこ『イスラームの日常世界』岩波書店、1991年
  • 小杉泰『イスラームとは何か―その社会・宗教・文化』講談社現代新書、1994年
  • 小杉泰、江川ひかり『イスラーム―社会生活・思想・歴史』新曜社、2006年
  • 佐藤次高『イスラーム―知の営み(イスラームを知る 1)』山川出版社、2009年
  • 松山洋平『イスラーム思想を読み解く』ちくま新書、2017年
  • 三浦徹編『イスラームを学ぶ―史資料と検索方(イスラームを知る 3)』山川出版社、2013年
  • 保坂修司『ジハード主義―アルカイダからイスラーム国へ』岩波現代全書、2017年

-中東の政治・経済に関して-

  • 青山弘之編『「アラブの心臓」に何が起きているのか─現代中東の実像』岩波書店、2014年
  • 臼杵陽『世界史の中のパレスチナ問題』講談社現代新書、2013年
  • アルマーワルディー(湯川武監訳)『統治の諸規則』慶應義塾大学出版会、2006年
  • 小杉泰『現代中東とイスラーム政治』昭和堂、1994年
  • 小杉泰『現代イスラーム世界論』名古屋大学出版会、2006年
  • 小杉泰・長岡慎介『イスラーム銀行―金融と国際経済(イスラームを知る 12)』山川出版社、2010年
  • 酒井啓子『<中東>の考え方』講談社現代新書、2010年
  • 酒井啓子『9.11後の現代史』講談社現代新書、2018年
  • 酒井啓子編『中東政治学』有斐閣、2012年
  • 末近浩太『イスラーム主義―もう一つの近代を構想する』岩波新書、2018年
  • 末近浩太『中東政治入門』ちくま新書、2020年
  • 長岡慎介『現代イスラーム金融論』名古屋大学出版会、2009年
  • パペ、イラン(田浪亜央江・早尾貴紀訳)『パレスチナの民族浄化―イスラエル建国の暴力』法政大学出版局、2017年
  • 堀江聡江『イスラーム法通史』山川出版社、2004年
  • ローガン、ユージン(白須英子訳)『アラブ500年史―オスマン帝国支配から「アラブ革命」まで(上・下)』白水社、2013年
執筆者:龍澤 邦彦
更新者:末近 浩太
執筆日(更新日):2020年12月24日