移住労働者と人種主義

フィリピン人海外移住労働者が
犠牲にしているものを
ていねいに聞いていく

辻本 登志子

辻本 登志子国際関係学部 准教授

フィリピン移住労働者と話す中で
彼らが犠牲にしているものの
大きさを知った

先生はフィリピン人海外移住労働者の研究をしておられるのですね。

辻本「移住労働者」と聞いて、どんなことを考えますか?例えば、ある国からの移住労働者の人数や本国への送金額などに興味がある人もいるでしょう。どんな労働環境なのかに関心を持つ人、移住先の労働者の仕事が奪われているのではないかという問題意識を持つ人もいるかもしれません。いろいろな見方があると思います。

私は、フィリピンから韓国などのアジアの新興国に行く移住労働者の研究をしてきました。質的調査による研究です。質的調査とは、大規模なアンケートなどとは違って、特定の人や団体に対してインタビューなどによる聞き取り調査を行い、数字では表すことのできない事象や人の意識、複雑な感情などを把握する調査方法です。最初は韓国留学前に参加した研究プロジェクトでの調査でした。現地のカトリック教会へ週末ごとに集まってくるフィリピン人移住労働者と、長期にわたる人間関係を作りながら深く話をし、フィリピン人移住労働者たちの生き方や考え方にふれることになりました。

彼らは生活を支えるために、いろいろな人生を抱えて海外に来ています。家族と離れて移住せざるを得ない人も多く、例えば子どもとの関係など、移住労働によって犠牲にしているものがいかに大きいかが、話をする中でわかってきたのです。それは国レベルの視点で移住労働者の人数や送金額を語る時には決して見えなかったものでした。特に印象的だったのは、若い労働者同士が移住先で結婚し、子どもをもうけた場合です。両親に滞在資格が無いため、子どもにも合法的滞在が認められず一定期間内に母国に送り返さなければなりません。フィリピン人神父など安定した滞在資格のある人の一時帰国時に、母親のにおいのついた毛布と一緒に連れて帰ってもらったという話も聞きました。

私の研究はルポルタージュのようだと批判されたこともあります。「だから何?」と。しかし、このようなミクロな話や人びとの感情の機微を聴き取り、過去の研究によって築かれてきた理論や議論と繋ぎ、きちんと学問の中に取り入れていくことは重要だと私は考えています。

移住労働者に対する不平等な扱いを
新しい人種主義として
理論化してみたい

研究を通して感じておられることは何でしょうか。

辻本たとえ京都から東京への引っ越しでも、家、子どもの学校、年老いた両親の介護など、人生の折り合いをつけなければならないことがたくさんあると思います。移住労働者は国境を超えるわけですから、さらに多くの折り合いをつける必要があるでしょう。生きていくために他に選択肢がない中で、人生に折り合いをつけ、自己責任で移住労働をしている彼らと、自国でも仕事ができ、家族とともに暮らし彼らの労働を享受するだけの国の人との間には圧倒的な不平等があるのではないかということをずっと考えています。国際関係の中で、特に個人レベルで考えた時、労働だけではなく、家族形成やケアなどの人の一生についてまわる個人の再生産領域の課題についても看過してはいけないのではないかと思うのです。

現在、移住労働者は、先進国の高齢者介護に欠かせない存在になっています。彼らの犠牲の上に高齢者介護が成り立っている現状をどうとらえるかについてもていねいに考える必要があると思います。

移住労働者が異国で家族と離れて暮らすことに関連して、婚外関係や家族関係崩壊の問題もあります。フィリピン人の多くはカトリック信者で国内で離婚は法的に原則認められていません。それでも家族と離れて移住労働をする中で、時に淋しさなどから親密な関係を求めてしまうのは非常に人間的なことだと、調査研究のなかで理解するようになりました。一般的な常識ではなく、移住労働者が置かれている人生の文脈の中で考えなければならない問題です。このようなプライベートな問題を、どう学問的かつ社会的な課題としてとらえていくのかは、私の研究の大きな課題の一つ。難しさと同時に研究者としての面白さを感じているところです。

今後は、移住労働者に対する法的・社会的不平等な扱いを、新しい人種主義として理論化することに興味を持っています。この種の研究は、特にヨーロッパやアメリカでは少しずつなされていますが、アジアの文脈の中でどのように説明できるかに取り組んでみたいと考えています。

韓国のソウル郊外にある移民労働者支援医療NGO

さまざまな国の学生が
受講する授業で
「これが正解」はあり得ない

どうしてフィリピン人を対象に研究をするようになったのですか?

辻本フィリピンとの出会いは、高校でのスタディーツアーでした。当時のフィリピンは、日本商社の支店長が誘拐される事件などもあり「危ない国」というイメージが広まっていたのですが、実際に行ってみると、人が非常に明るくて、フレンドリーで、とても面白い国だと感じたんです。その後、大阪外国語大学でフィリピン語を専攻し、フィリピン大学に交換留学もして、人々の日常の暮らしや社会が抱える問題により身近に接するようになりました。

当時のフィリピンでは、すでに海外移住労働が国の大きな課題となっていました。国民のほとんどが何らかの形で海外移住労働と関わっているという状況の中で、フィリピン人移民労働者の研究プロジェクトに参加することになった。それが私の研究のルーツです。大きな理論からではなく、オーソドックスな国際関係ではあまり注目されてこなかったような国や社会の視点から学問の世界に入ったのです。

国際関係学部やそこで学ぶ学生に対してどのような印象をお持ちですか?

辻本国際関係学部は、さまざまな国からの留学生が多くいて、一般的な日本の大学とは違う雰囲気がありますね。授業でも学生とのインタラクティブなやりとりが多く、私も一緒に考えて悩むことが多いです。例えば「Race and Ethnicity in the Modern World」は、私自身もすごく緊張する授業。さまざまな国の学生が受講しているので、「これが正解」は絶対あり得ず、テキストに書かれていることに対しても学生からの批判が出てくるからです。さまざまな見方があることが前提の、非常にエキサイティングな授業が多いと感じています。

国際関係学を志す方へ

辻本 登志子

辻本 登志子国際関係学部 准教授

世界の大きな事象を扱い、国際関係をより大きな視点から見る。それももちろん国際関係学の軸となるものだと思います。一方で、私にとってのフィリピンのように、自分がどのように世界と関わっていきたいのかを出発点に国際関係学と向き合うことも可能だということを伝えたいと思います。大国からの視点だけではなく、国際関係学のなかではあまり重要視されてこなかった周辺的な国の視点から世界を捉えなおすこともできるのです。どの視点から見るかによって、国際関係はまったく違って見えてくるもの。自分はどのような視点から世界に向き合い関わっていきたいのか、一度それを考えてみてほしいと思います。

「移住労働者と人種主義」
に興味を持った方へ:BOOKS

駒井洋監修・小林真生 編著

変容する移民コミュニティ:時間・空間・階層

明石書店(2020)

日本における移民コミュニティの定着過程や変容を、時代ごとに追って紹介している。多様な国や文化背景をもつ移民が、いつ・なぜ・どのように日本社会へ定着したのか、包括的に知ることができる。

白石奈津子

出稼ぎ国家フィリピンと残された家族:不在がもたらす民族の共生

風響社(2018)

家族を移民として海外へ送り出しているフィリピン現地の人びとの日常の暮らしを、フィールドワークによって丁寧に描き出している。コンパクトなブックレットにまとめられており、とても読みやすい。

Rhacel Salazar Parreñas

Servants of Globalization: Migration and Domestic Work (Second Edition)

Stanford University Press. (2015)

幼い子どもをフィリピンに置いて海外で家事労働者として働くフィリピン人移民女性労働者の心理的葛藤や日々の労働を、丹念な質的調査方法と膨大なインタビューにより明らかにしている。

「移住労働者と人種主義」
に興味を持った方へ:FILMS

映画

マンモス:世界最大のSNSを創った男

2009年、スウェーデン、ルーカス・ムーディソン監督

ニューヨークの裕福な家庭で家事労働者として働くフィリピン人女性と、かの女がフィリピンに残してきた家族が同時進行で描かれ、家族を軸に世界の不平等が先鋭に描き出されている。

映画

イロイロ:ぬくもりの記憶

2013年、シンガポール、アンソニー・チェン監督

シンガポール人の家庭で働くフィリピン人家事労働者と、かの女が面倒をみる雇用主の息子との人間的な交流が描かれている。女性移民家事労働者が家庭という親密な空間において、いかに大きな存在となっているのかを実感させるものとなっている。