途上国の経済発展は
経済合理性だけでは実現できない
渡邉 松男国際関係学部 教授
ガーナの農村と世界市場を直結
新たなビジネスモデルを世に問う
開発経済学とはなんですか?
渡邉途上国の貧困解消や発展のあり方を、経済面から考察するのが開発経済学です。今取り組んでいるテーマは、ガーナの農村工業化の新たな方途を模索するというものです。農産品をそのまま市場に出しても農家の所得は限られています。従来はたとえば果物をジュースにする、カカオをチョコレートにするなど付加価値を付ける部分を海外の事業者が行っていました。そのためジュースやチョコレート全体の収益は、原料を生産する途上国にはほんの一部しかもたらされない構造でした。そこで、途上国の農村自身が地元の産品から食品などの工業製品を作り、それを国内外に販売し収益を得て所得を向上する。そんなアグリビジネスの可能性を模索しているところです。
農村工業化そのものは、開発課題としては目新しいものではありません。しかしこの研究の特徴は、マーケティングに注目している点です。ただ製品化するだけではなく、衛生面も含めパッケージにも気を配り、世界の市場に乗せるところまでを射程に入れています。マーケティングやデザインの専門家と協力しパッケージデザインのコンテストを実施するなどして、生産者自身の手で「売れる商品」を作り、途上国内でより多くの付加価値を創造できるリアルな方法を探ろうとしています。
日本でのビジネスとの違いはどのようなところにありますか?
渡邉途上国の農村の人たちは手持ち資金に、当然ですが限りがあります。金融機関の融資や公的支援を利用するといっても、融資や支援対象の決定は非常に政治的です。地元の政治家、有力者のコネクションを持つ者が優先的に受けられるといったことは、もちろん日常的にあります。しかし外部の者が「ケシカラン」と憤慨しても無意味です。そうした状況も勘案した上で物事を進めていく必要があります。
研究の面白さはどこにあると感じておられますか?
渡邉このような研究は、多くの事例から成功や失敗の共通点を見出して理論化するという地味な作業です。しかし現地に行き、さまざまなことを見聞きし発見する、そのこと自体が楽しいですし、研究の成果を現実の開発課題の解決につなげられるところも魅力です。
経済政策首相アドバイザーとして
内戦後のボスニア・ヘルツェゴビナへ
先生は2005~2006年にボスニア・ヘルツェゴビナ政府の経済政策首相アドバイザーを務めておられました。その時のことを教えてください。
渡邉1995年のデイトン和平合意が成立してから10年経過したタイミングで、日本政府から派遣されました。ちょうどこの頃は、日本・ドイツ・インド・ブラジルの4ヵ国が、国連安全保障理事会の改革を世界中に働きかけていた時期です。
現地では、若手官僚に対して経済推計のための基本的な統計学を教えたり、当時ボスニア政府が策定していた国家開発戦略のなかで産業開発部門の章を担当していました。首相アドバイザーとして首相と直接話すこともありましたが、所属していた閣僚評議会の経済政策計画を担当する部署で経済担当首相補佐官と多くの議論をしていました。
武力紛争の再発を防ぎ長期的な復興を実現するには、雇用の創出などを通じて社会の安定を確保することは喫緊の課題です。あるとき「トヨタの工場をボスニアに誘致できないか」と相談されたこともあります。自動車産業は関連分野も含むと非常にすそ野の広い産業で、雇用を生むだけでなく、国の産業全体の技術のアップグレードが期待できます。ボスニアの工業発展の起爆剤として自動車産業を育成したい意図は理解できます。しかし約4万から5万点の部品から成る車の生産を、高い歩留まりで実現するには高いハードルがありました。また部品調達から販売に至る国際的なネットワークが当時でも既に確立されており、これに参入する前提となるインフラや制度が整っていません。彼らが心に描く世界と現実の間には想像以上に深いギャップが存在すること、とりわけ国内の各層が紛争によって分断されたボスニアの状況を考慮すれば、そのようなギャップを埋めるためには気が遠くなるほど地道で忍耐強い努力が必要であること、こうしたことを幾度も議論したことが印象に残っています。
先進国でも途上国でも、経済・社会政策は国内外の政治に左右されます。ボシュニャク系、セルビア系、クロアチア系の政治的勢力が拮抗していたボスニアでは、特に政治的な配慮が不可欠でした。たとえば国内各地に保健センターを設置するような支援を行うにしても、各地域の人口に応じてというよりは、「エンティティ」と呼ばれる行政単位間で設置数のバランスに配慮することが必要でした。それを無視すれば何事も進めることができないのです。
経済・社会政策は、その国の政治的な背景を踏まえて策定されるべきものです。国の政治風土はそれぞれ違うわけですから、それを知らずに実現可能な政策をつくることはできないということを、ボスニアの経験から深く学びました。国際社会が援助の受け手国に対して処方する経済政策も、画一的なものではなく、国ごとの文脈に沿ったものでなければならないと考えています。
複雑な途上国の経済発展の
プロセスには
経済学に加えて
幅広い分野の知見が不可欠
国際関係学部で経済学を学ぶことの意味についてどう考えておられますか?
渡邉非常に大きな意味があると思います。たとえば貿易や投資の円滑化や制度の共有などを目指す地域統合を考えてみましょう。関税を撤廃してすれば物の流れが活発になり、企業収益や家計の所得は経済全体としては増大します。しかし経済の自由化で競争に敗れ衰退する国内の部門(産業、従事する労働者、街など)への配慮は、当事国の政府として不可欠でしょう。国際条約である地域統合は、このような各国の国内事情がぶつかり、締結に至るまでの交渉は極めて政治的なプロセスです。
また特に途上国の地域統合では、経済合理性だけが目的にはなり得ません。条約調印の晴れがましい場面がメディアに乗れば国民にアピールして次の大統領選に好影響を与えるという、極めて政治的な目論見もあります。
途上国の経済発展のプロセスはそれぞれ非常に複雑です。人や国家の意思決定や行動は、さまざまな要素に影響を受けます。そのプロセスの複雑さを深く理解し、将来の研究や実践の場で活躍する人材となるには、経済学だけではなく、国際政治、歴史学、文化研究、地域研究についても学ぶことが不可欠です。国際関係学部で開発経済学を学ぶ意味はそこにあると思っています。
「開発経済学」に興味を持った方へ:BOOKS
ジョセフ コンラッド
闇の奥
岩波書店(1958)
白戸 圭一
ルポ 資源大陸アフリカ―暴力が結ぶ貧困と繁栄
朝日新聞出版(2012)
Richard C. Holbrooke
To End a War: The Conflict in Yugoslavia
--America's Inside Story--Negotiating with Milosevic
Modern Library(1999)
「開発経済学」に興味を持った方へ:FILMS
映画
サラエボの花
2006年、ボスニア・ヘルツェゴビナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア
映画
ブラッド・ダイヤモンド
2006年、アメリカ