非正規労働者の労働条件が悪いのはなぜ?
国際比較によって日本の状況を分析する
渡辺 宏彰国際関係学部 教授
日本の労働組合の弱体化が
出生率の低下にもつながっている
先生は、日本で非正規雇用が増えた背景を分析されているのですね。
渡辺 1990年代以降の日本における労働市場改革を、比較政治経済学的に、そして主にイタリアとの国際比較によって分析しています。
日本の労働市場改革とは、基本的にはパートや派遣などの非正規労働者を雇用できるようにする、雇用しやすくする方向で行われてきたものです。今では当たり前となっている派遣労働者ですが、1985年に労働者派遣法が成立するまで、日本では認められていませんでした。成立当初は限られた業種だけで解禁され、その後の規制緩和によって適用業種が増えていき、2003年には製造業でも解禁されるに至りました。
労働市場改革を、経済的な要因だけではなく、政治的要因からも分析するのが私の研究の一つで、日本でこのように規制緩和が推し進められた背景、どのような影響を社会に与えたかなどを分析しています。
規制緩和にはどのような背景があり、どのような影響が社会に与えられたのでしょうか?
渡辺 1990年代といえば、バブル経済が崩壊して日本経済が停滞し低成長に陥った時期です。非正規労働者を雇用しやすくする規制緩和には、東アジア諸国との競争激化を背景とした経済効率の向上、国際競争力の強化という政府の意向がありました。非正規労働者を自由に雇用できれば、経営者は経営難の中でも低コストで人員を雇えるようになり、労働者は非正規であっても仕事に就けるようになるからです。
しかし、日本で非正規労働者として働く場合、低賃金、解雇の可能性などから不安定な状態に陥りやすいという問題があります。特に若い人の間で非正規労働者が増えることによって、経済的な理由で結婚できない、子どもを持てないといった状況が生まれ、それが出生率の低下にもつながっていると考えています。
不安定な状態を改善するにはどうすればよいのでしょうか。
渡辺 本来、労働条件の改善は、労働者が組織する労働組合が経営者と交渉して勝ち取るものです。しかし日本では労働組合の弱体化が進んだため、思うような成果をあげられていません。
私が比較対象としているイタリアでも、日本と同時期に規制緩和による労働市場改革が進みました。しかし、労働組合の働きかけによって非正規労働者の保護が図られ、経営者の派遣労働者使用に大幅な制限がかけられることになりました。
この違いはどこから生じたのか。いくつかの理由がありますが、その一つが、日本の労働組合は企業を単位に従業員を組織化した「企業別組合」が主流であるという点です。企業が単位になると、労働組合も組合員(日本の場合は主に正規労働者)の雇用確保ならびに企業収益を高めるために労使協調に傾きがちです。この際、低賃金で雇用でき、不況時にはたやすく解雇できる非正規労働者は、経営者にとってだけではなく、正規労働者にとっても都合の良い存在。非正規労働者を労働組合に加入させたり、彼らの労働条件を向上させる交渉を行うことはあまり行われてきませんでした。一方イタリアでは、全国三大労組とよばれる労働組合を中心に労働者全体が団結することがあり、規制緩和の政策形成において影響力を発揮して経営者に対抗する力を維持できた結果、派遣労働者の扱いに制限をかけることに成功しました。
日本の労働組合も各国の組合の状況を知り、もっと組合員を動員して労働争議に従事するなど、「闘う」ことが大切だと思います。このことは、停滞し続ける実質賃金を増加させることにも関連します。
国際比較をすることにより、
「当たり前」を排した
適切な発見や理解ができる
なぜ日本とイタリアとを比較するのですか?
渡辺 イタリアと日本は文化は異なりますが、経済、社会的な状況は似ている部分があります。例えば、若年労働者における非正規労働者の高い割合や、日本で「パラサイトシングル」とよばれる、未婚で親と同居する人が多いことなど、様々な類似点があります。ある国で起こった出来事の要因分析を行う際、その国だけを見るのではなく、違う国との比較を行う方がより正確な分析につながります。日本だけを見ていると「当たり前」のように感じて終わってしまいがちなことでも、国際比較を行うことによって、「実はこのような要因があるのではないか」という発見、適切な理解につながっていきます。
先生は海外での生活が長かったとうかがいました。
渡辺 海外での滞在期間は20年以上にわたります。複数の大学で修士号を取得し、英国のオックスフォード大学で博士号を取得しました。オックスフォード大学では、いわゆる学部のほかカレッジにも所属することになります。ハリー・ポッターの映画のロケ地として有名なクライスト・チャーチ・カレッジのように歴史的なカレッジもありますが、私が所属していたのは、比較的新しく国際色豊かな、大学院専用のセイント・アントニーズ・カレッジでした。当時は毎週のようにどこかのカレッジでパーティーがあり、研究一色の生活ではありませんでした。卒業後もイギリスで教えながら、休暇にはスペインへ行ってサッカー観戦をしたり、EUのエラスマス・プログラムを利用してドイツやスペインなどで、またアメリカでもサンフランシスコで客員教授を務めたり…多様性のある環境が好きです。
どんな分野であっても、日本のことを理解するためには海外の視点が欠かせません。日本では当たり前とされることでも、海外の視点から見ると全然当たり前ではないという事例はいくらでもあります。例えば、海外でファックスは20世紀の遺物。デジタル化やキャッシュレス化の遅延についても、日本国内の視点だけでは実感できないでしょう。こうした日本の「ガラパゴス現象」は、経済効率性や労働生産性にも関わり、経済の停滞にもつながっています。日本をよりよく理解するためにも、海外での経験は重要だということを伝えたいと思います。
「国際比較」に興味を持った方へ:BOOKS
WATANABE Hiroaki Richard
The Japanese Economy
Agenda Publishing/Columbia University Press(2020年)
WATANABE Hiroaki Richard
Labour Market Deregulation in Japan and Italy: Worker Protection under Neoliberal Globalisation
Routledge(2014年)