アジア・マップ Vol.01 | アゼルバイジャン

《エッセイ》アゼルバイジャンの都市
シェキ

岩倉洸(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 特任研究員)

 「第二のドバイ」――近年アゼルバイジャンが、そのような形容つきで呼ばれるのを日本でも見かける人も多いのではないでしょうか。首都バクーを見るならば「カスピ海に林立する石油産業関係施設」、「高層ビル」、「世界的建築家による作品」など、確かにオイルマネーで発展してきた近代的都市の匂いがします。しかし、オイルマネーによる近代的なイメージはアゼルバイジャンの多様な文化の一面に過ぎず、アゼルバイジャンはペルシャ、トルコ、ロシアなどの地域から様々な影響を受けて歴史を構築してきました。そこで、今回は「第二のドバイ」的なイメージから離れた都市の一例として、首都バクーから北西に300km離れた地方都市シェキを紹介しましょう。

 バクーのバスターミナルからマルシュルートカ(旧ソ連地域でみられる小型の乗り合いバス)で5時間弱ほど、途中から山道にも揺られるとシェキにつきます。シェキは大カフカース山脈の麓にあることもあって標高700mの場所に位置しており、夏は涼しく、冬は寒いけれども積雪は少なく、春・秋は多少の冷え込みはあれど過ごしやすい環境です。日本で言えば軽井沢のような気候でしょうか。ミネラルウォーターが湧く場所でもあるので、かつてソ連時代には保養地として有名だったそうですが、今は近世・近代のイスラーム建築を見に来る人の方が目立つでしょうか。

 さてこのシェキという町はその起源が青銅器時代ともされており、その歴史は数千年に及ぶといわれています。現在のシェキの街並みを見ると、19世紀以降のロシア帝国・ソ連時代に作られた新市街と18~19世紀の独立地方政権シェキ・ハーン時代の旧市街に分かれています。新市街は大きな通り何本かに沿って左右に住宅が並んでいます。新市街の目玉は西の方にあるバザールで多くの食品、工芸品などが並んでいます。近代以前からシェキは養蚕が盛んで絹が特産品なので、バザールで見かけたら交渉してみるのも手かもしれません。

 東にある旧市街に入ると区画整理されている石畳の道とレンガ造りの家が徐々に出現してきます。ハマム(風呂場)、モスク、キャラバンサライ(隊商宿)などが待ち構えていますが、一番の見どころは、世界遺産にもなっているシェキ・ハーン宮殿。宮殿はムカルナスなどのイスラーム建築技法、イスラーム地域にみられる美しい中庭、ヨーロッパから持ち込まれたガラスを釘や接着剤を使わずに木で格子状にしたステンドグラス「シェベケ」など18世紀のアゼルバイジャン建築の神髄を見ることができるでしょう。バクーの歴史的なイスラーム建築は基本土色なので、バクーから来た人はその違いにびっくりするかもしれません。

写真1 シェキのバザール (筆者撮影)

写真1 シェキのバザール (筆者撮影)

写真2 シェキ・ハーンの宮殿 撮影時はノウルーズ(イラン歴新年)の日(筆者撮影)

写真2 シェキ・ハーンの宮殿 撮影時はノウルーズ(イラン歴新年)の日(筆者撮影)

 美しいのは街並みばかりではありません。シェキの人々はこの町には似つかわしくない私を見ると親しく声をかけることも多く、そればかりか困っていると見るや助けてくれる人も多いです。例えば、こんなエピソードを1つ――2015年当時まだ大学の学部生だった私は初めてアゼルバイジャンに訪れましたが、シェキに来た際にうっかり最終バスに乗り遅れてしまい、その上ホテルなどに泊まるお金もなく途方に暮れていました。よりによってその日のシェキは雪が降っていて寒さが厳しい時でした。にっちもさっちもいかなくなった私は野宿で時間をやり過ごそうなどと考えていましたが、そこに警察官2人組が現れました。もしや怪しい人として通報されたのかと思ったのですが、1人の警察官はおもむろに薪を集めて焚火を行い、もう1人の警察官は近くの商店から紅茶、お菓子、パンを買ってきて「パジャールスタ(ロシア語でどうぞ)」と一言。通報されたのかどうかはわかりませんが、困っている私を見て助けようとしてくれたのでしょう。私がつたないロシア語でコンタクトを取ると話は大いに盛り上がり、勤務時間はとっくに過ぎているはずなのに、翌日のバスターミナルの始発時間まで一緒にいてくれて、最後には土産物までいただく始末でした。

写真3 冬のシェキ旧市街(筆者撮影)

写真3 冬のシェキ旧市街(筆者撮影)

 シェキは町も人も美しい場所ですが、1つだけ注意点があります。それは、シェキ名物のシェキ・ヴァクラヴァです。ヴァクラヴァとは、刻んだナッツを練りこんだペストリーに蜜をかけた中東や中央アジア地域でよく食されるお菓子です。このシェキでもカルダモン、コリアンダー、サフランを練りこんで赤くなりつつも、大量にシロップがかかっている「シェキ・ヴァクラヴァ」が名物として売られていますが、このヴァクラヴァとんでもなく甘いのです。前述の警察官2人組に初めてもらったお土産のヴァクラヴァを食べてみると、あまりの甘さに舌がしびれ、紅茶やコーヒーを飲んでも甘さが口にずっと残るという代物でした。この甘さはかなり好みが分かれる味だと思われます。シェキの人曰く「これだけ甘いならもうシェキのことは忘れないだろ?」とのことですが、確かにシェキのことは忘れたくても忘れないことでしょう。

 バクーの蒸し暑さと良くも悪くもほったらかしにしてくれるのとはまた違った、ほどよい涼しさと歩けば声をかけてくる人なつっこさがあるシェキはアゼルバイジャンのまた違った魅力を示していることでしょう。

写真4 店頭で販売されているシェキ・ヴァクラヴァ(筆者撮影)

写真4 店頭で販売されているシェキ・ヴァクラヴァ(筆者撮影)

書誌情報
岩倉洸「《エッセイ》アゼルバイジャンの都市 シェキ」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, AZ.4.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/area_map/azerbaijan/essay02/