新企画 『アジアと日本は、今』(研究者エッセイ・シリーズ)
Asia-Japan, Today (AJI Researchers' Essays)
連載一覧

0511-02ロゴ

第2回 グローバル化しても世界はデコボコであるーーパンデミックと地域研究

0514-01写真suechika

末近 浩太(立命館大学国際関係学部・教授)

 「未知」の事態に直面するたびに、人間は新たな学知を発展させてきた。17世紀の英国でのペストの大流行が統計学の発展に寄与したことは、よく知られている。2020年に発生した新型コロナウイルスのパンデミックも、既存の学知の見直しや、新たな学知の誕生のきっかけとなるのかもしれない。

 現下のコロナ禍においては、とにかく数字がものを言うようになっている。テレビやネットのニュースにも、日々様々な数字が並ぶ。新型コロナウイルスが伝染病である以上、「科学的根拠」に基づく様々な数字が重視されるのは当然のことであり、どんなに深遠な言葉も数字の前では霞んで見えることもある。また、ビッグデータやAIを使った最新の技術が、感染拡大・収束の予測や確率をはじき出し、その数字に基づき「最適化」された人間の行動を提案するようになっている。

 こうしたなかで、筆者が学び教えている地域研究にはどのような役割があるのだろうか。不安や戸惑いを覚える学生もいるだろう。いや、実際には、コロナ禍の前から、学生から同じような疑問を投げかけられることはあった。とすれば、今、そんな不安や戸惑いは、ますます大きくなっているのかもしれない。

 だが心配には及ばない。世界には数字になっていない「未知」の事象が、良くも悪くも、溢れているからである。私たちには、まだまだ勉強しなくてはならないことが沢山ある。

 感染症のパンデミックは、グローバル化の進んだ今日の世界の1つの特徴に他ならず、それゆえに、その世界共通の現象としての側面に関心が集まりがちである。しかし、現下のコロナ禍は、世界全体を覆い尽くす一方で、各地で違った帰結をもたらしている。例えば、感染拡大が起こったタイミングがアジアよりも遅かったヨーロッパの方が、感染者数も死者数も多くなっている。

 つまり、新型コロナウイルスのパンデミックは、グローバル化した世界が決してフラットなものではなく、それぞれの個性を持った各地からなるデコボコな存在であることをあらためて浮き彫りにしたと見ることもできる。人間であれば誰もが感染するというウイルス、そして、その流行の世界全体への拡大という条件が同じであるゆえに、むしろ世界の各地がそれぞれ違う実態を持つという現実がより際立つことになった。

 地域研究は、こうした世界の各地――これを地域と呼ぶ――の実態を総合的に理解しようとする学知である。世界のデコボコについては、統計的な数字で分析する方法もある。そこでは、人口動態、気候条件、医療体制、政府による対策の違いなどを変数化することで、帰結の違いを生み出した要因についての傾向や確率が導き出される。しかし、これだけでは、「既知」の変数で違いを測っただけであり、それぞれの地域の個性を把握したことにはならない。

 地域の理解のためには、生態、歴史、文化、社会、政治、経済などの実態に迫り、未だ変数化されていない、あるいは、変数化できない「未知」の何かを探し当てていくことが不可欠である。例えば、その地域に特有の言葉や歴史がコロナ禍における人の行動を規定しているかもしれない。仮にそれがコロナ禍の帰結の違いを生み出した本当の要因であったとき、それまでの対策のあり方も見直され、さらには、やがて訪れる「コロナ後」の時代の地域だけでなく、世界のあり方を構想するための手がかりとなるはずである。

(2020年5月15日記)

〈プロフィール〉
末近 浩太(すえちか・こうた)立命館大学国際関係学部・教授、中東・イスラーム研究センター(CMEIS)センター長。地域研究博士(京都大学)。専門は、中東地域研究、国際政治学、比較政治学。主な著作に、『イスラーム主義:もう一つの近代を構想する』岩波新書(2018年)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』名古屋大学出版会(2013年)、『現代シリアの国家変容とイスラーム』ナカニシヤ出版(2005年)など。最近の論考に、"Sectarian Fault Lines in the Middle East: Sources of Conflicts or Communal Bonds?," Routledge Handbook of Middle East Politics, Routledge (2020)(酒井啓子との共著)など。