テングザルは大きな鼻で声の個性を発揮
―動物園と霊長類学、機械工学とのコラボ―
【研究成果のポイント】
- テングザルのオスで発達する天狗のような大きな鼻が、声に個性を作り出している可能性を発見。
- 鼻が声の音色に与える影響はこれまで不明だったが、動物園に保管されていた標本からテングザルの鼻の形態データを得たことで、計算シミュレーションによって解明。
- テングザルが、声でオス個体を識別できるかどうか、声の聞き分けによる行動変化の研究や、声の個性創出の進化的由来解明などに期待。
概要
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大阪大学大学院人間科学研究科の西村剛教授と、立命館大学理工学研究科の徳田功教授、京都大学野生動物研究センターの松田一希教授らの研究グループは、東南アジアの熱帯雨林に生息するテングザルのオスが、天狗のような大きな鼻を通じて発する声を使って、個体認証している可能性があることを発見しました。
テングザルのオスは、成体になるにつれて鼻(外鼻)が大きく発達します。その大きな鼻は、見た目からオスのステータスを示すほか、声の高さを低くして体の大きさをアピールしていると考えられてきました。サルに限らず、さまざまな動物において、声の高さは、それを発する個体の体の大きさとよく相関していることから、相手の体の大きさを識別する手がかりとして使われています。テングザルの大きな鼻は、そのような機能をより強調する器官として進化してきたと考えられてきました。
今回、研究グループは、よこはま動物園ズーラシア(園長、村田浩一)と共同で、テングザルの成体と若年個体の鼻の空間(鼻道)の三次元デジタル形態モデルを作成して、その音響学的効果を計算シミュレーションで解明しました。そして、若年期から成体にかけての鼻の大きさの発達には、声を低くする効果が認められました。このことから、声の高低によって発達段階を識別していることが考えられ、これは従来の見解と一致します。一方、成体同士の鼻の大きさの違いには、声に個性をもたらす効果もあることがわかりました。これは従来の見解にない発見です。私たちが声を聞いて話し相手を識別できるように、テングザルも声を通じて、相手のオスの体の大きさだけでなく、個体そのものを識別していることが示唆されます。
今後、研究を進めることで、テングザルは声によって、それを発したオスが誰であるかを聞きわけ、行動を変えているのか解明することが期待されます。
本研究成果は、英国王立協会誌インターフェースに、8月13日(水)午前8時5分(日本時間)に公開されました。 -
図1 テングザル。
写真手前の若年個体の鼻は小さい。
(写真提供:松田一希)
大阪大学大学院人間科学研究科 西村剛教授のコメント
本研究は、希少種動物の繁殖・種の保存に取り組む動物園と、霊長類研究者、そして工学研究者の異色のコラボで、予想もしなかった結果を得ることができました。体のかたちが生み出す機能から、音声コミュニケーションや社会の進化を展望する成果を上げることができて、チームみんなで喜んでいます。今後の研究の発展にご期待ください。
研究の背景
これまで、テングザルの大きな鼻は、オスのステータスを示す視覚的なシンボルであると考えられてきました。また、オスは鼻を鳴らす声を発することが知られており、大きな鼻をもつオスほど、より低い鼻声を出していることもわかっていました。しかし、その鼻が声にどのような影響を与えているのかは、生きたテングザルの鳴き声を録音しても、鼻の音響学的効果を特定することができないため、これまで明らかにされていませんでした。
しかし、テングザルの鼻の形状が分かれば、工学の技法を駆使してその効果を計算することができます。よこはま動物園ズーラシアで保管されていたテングザルの標本を壊さずに、CT※1 で撮像するチャンスに恵まれたことから、鼻の音響学的効果を解明する挑戦が始まりました。
研究の内容
研究グループは、ズーラシアとの共同研究により、テングザル標本のCT撮像を行いました。そこで得られた画像データをもとに、鼻道の3次元デジタル形態モデルを作成しました。そのデジタルモデルをもとに、声のどの周波数帯が増幅されるのかを計算シミュレーションで明らかにしました。これは、音響科学では伝達関数※2と呼ばれるもので、フォルマント※3と呼ばれる、声の成分が増幅される周波数帯がどこにあるかによって声の「音色」が決まります。いわゆる「声紋」に相当するものです。実体レプリカを作成して音響計測実験も行い、計算上の結果が、本当に正確なものかについても確認しました。そのような一連の実験の結果、成体と若年個体、それぞれ一個体における鼻の音響学的効果がわかりました。
次に、鼻の大きさを、コンピューター上で、若年個体から成体へと連続的に変化させて、その変化が声をどのように変化させるかという音響学的効果を計算しました。すると、若年から成体への変化に伴う効果と、成体間の鼻の大きさの大小による効果とが、異なっていることがわかりました。つまり、前者では、声が増幅されるフォルマント周波数が低い領域に移行して、声が低く聞こえる効果を示しました。一方で、後者では、ある特定のフォルマント周波数成分のみが変化しました。このような特定のフォルマント周波数の差異は、声の個性を表すと考えられています。
この成果は、テングザルが、オスの声を聞いて、体の大きさだけでなく個体そのものを識別している可能性を示しています。テングザルは、一頭のオスと複数頭のメスからなるユニットを単位として生活しています。さらに、複数のユニットが集まる上位ユニットの存在も示されています。オスもメスも出自ユニットから移籍しますが、オスはメスに比べて近隣のユニットに移籍する傾向があります。そのような独特の重層的な社会のなかで、声を聞くだけでそれを発している成体オスが誰であるかを識別できることは、オス同士の偶発的な衝突を避けるだけでなく、若年オスやメスが適切な社会行動をとるためにも役立つと考えられます。テングザルでは、そうした適応的意義をもって、特異的な大きな鼻が発達、進化したと考えられます。
本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、動物の声の進化に関して、新たな適応的意義を提案しました。音の3大要素は「音の大きさ」「音の高さ」「音色」で、ヒトはこれらの要素を使い分けて、音声コミュニケーションを行っています。私たちヒトでは、高度な重層社会のなかで、声を聞くだけで相手を個体認証し、社会的な行動をとる場面が多くあります。本研究で分析した「音色」は、声のどの周波数帯を強め、どの周波数帯を弱めるかで決まるもので、個体の特徴が豊富に含まれています。今回の結果は、音色によって声に個性を作り出しているのが、私たちヒトだけではない可能性を示唆しました。今後、テングザルも声の個性の情報を利用しているのか解明することが期待されます。
特記事項
本研究成果は、2025年8月13日(水)午前8時5分(日本時間)に英国王立協会誌インターフェイス(オンライン)に掲載されました。
- タイトル: “Individual vocal identity is enhanced by the enlarged external nose in male proboscis monkeys (Nasalis larvatus)”
- 著者名:Tomoki Yoshitani, Rintaro Miyazaki, Satoru Seino, Kazuya Edamura, Koichi Murata, Ikki Matsuda, Takeshi Nishimura, and Isao T. Tokuda
- DOI: https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rsif.2025.0098
なお、本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費、及び、科学技術振興機構(JST)CRESTの一環として行われ、大阪大学大学院人間科学研究科 西村剛教授、立命館大学理工学研究科 徳田功教授、京都大学野生動物研究センター 松田一希教授、日本大学生物資源科学部 村田浩一教授(当時。現在、よこはま動物園ズーラシア)と枝村一弥教授、横浜市繁殖センター 清野悟氏らと協力して、よこはま動物園ズーラシアとの共同研究として実施されました。
用語説明
- ※1 CTコンピュータ断層撮影(Computed Tomography)の略で、エックス線を使って対象物の断面を撮影する方法・機器のこと。体の輪切り断面を撮影する医療検査でも使用されます。
- ※2 伝達関数システムにおける入力と出力の関係を周波数領域で表したもの。ここでは、鼻道に入力された信号のどの周波数成分が増幅され、どの周波数成分が減衰するかを表す。
- ※3 フォルマント音声の周波数スペクトル上で周囲よりも強度の大きい周波数帯域を指す。空気の通り道を音響管とみなしたとき、その音響管の共鳴周波数に対応する。