アジア・マップ Vol.01 | アゼルバイジャン

《総説》
アゼルバイジャンという国

塩野﨑 信也(龍谷大学文学部・准教授)

 アゼルバイジャンは、黒海とカスピ海とに挟まれたコーカサス地方の南東部に位置する国家。かつてはアゼルバイジャン・ソヴィエト社会主義共和国としてソヴィエト連邦に所属していたが、1991年のソ連解体に伴い、アゼルバイジャン共和国(アゼルバイジャン語で、Azərbaycan Respublikası)として独立した。1918~1920年というわずかな期間存在していた民族国家であるアゼルバイジャン人民共和国(Azərbaycan Xalq Respublikası)との連続性が意識されており、人民共和国が成立した5月28日が建国記念日とされている。首都は、カスピ海に面する港湾都市バクー。

 隣国アルメニアを挟んだ西方には、飛び地であるナヒチェヴァン自治共和国がある。この飛び地を含めた全体の面積は8万6600平方キロメートルで、北海道と同程度。この決して広いとは言えない国土の中に、非常に多種多様な気候を有することでも知られる。アゼルバイジャンをドライブすると、針葉樹林帯から高原、半砂漠、熱帯雨林など、次々と様相を変えていく景色に目を奪われることになるだろう。

 2022年現在の人口は、およそ1000万人と推計されている。主要な民族はテュルク系のアゼルバイジャン人で、2009年の統計によると総人口の91.6%を占める。それ以外では、主に北部の山岳地帯に居住するレズギ人(2.0%)、南部を中心に分布するタルシュ人(1.3%)のほか、アルメニア人(1.4%)、ロシア人(1.3%)などがいる。国の北部には大コーカサス山脈が横断するが、その山中には固有の少数民族が暮らす集落がいくつも存在する。フナルグ人が住むフナルグ村、ブドゥグ人が住むブドゥグ村などがそういった例である。なお、アゼルバイジャン人は南の国境を接するイランの北西部や北の国境を接するロシア連邦ダゲスタン共和国の南部にも分布している。特にイラン国内のアゼルバイジャン人は約2000万人と、共和国の人口よりも多い。

 アゼルバイジャンの国民のおよそ97%がイスラーム教徒であるが、ソ連時代の世俗主義の影響から、宗教色は強くない。飲酒は特に制限されないし、女性も特にベールで頭部などを覆うことはなく、町中にアザーンの声が響くこともない。ただし、豚肉食は一般的ではなく、ロシア料理店やジョージア料理店で提供される程度である。また、近年、若い世代を中心にイスラーム復興の動きも見られる。なお、宗派としては、シーア派(12イマーム派)が大半を占めるが、北部を中心に、スンナ派(ハナフィー法学派)も分布している。イスラーム教以外では、ロシア正教、アルメニア使徒教会などを中心とするキリスト教が若干分布するほか、ユダヤ教を信仰する少数民族である山岳ユダヤ人なども北部の町グバを中心に居住している。

 公用語のアゼルバイジャン語は、テュルク諸語に属し、なかでもトルコ語に類似している。「言語」というよりは「方言」に近いと言われるほどに共通点の多い両言語であるが、さらに近年においては、特にアゼルバイジャンの若者たちの言語がトルコ語化しているという指摘がなされることもある。その背景には、トルコのテレビ番組が多くの家庭で視聴可能で、人気を博していることがあるようである。町の看板などにも、アゼルバイジャン語ではなく、トルコ語表記のものが増えている。また、特に都市部を中心に、アゼルバイジャン語よりもロシア語をより得意とする者も多い。これは初等・中等教育をどちらの言語で受けるか選択可能であることによる。かつてはエリート層の多くがロシア語による教育を選択していたようであるが、近年はアゼルバイジャン語で教育する学校が増加し、高等教育の教科書などもアゼルバイジャン語への置き換えが進んでいる。

 アゼルバイジャンの国家元首は、国民の直接投票によって選ばれる大統領である。2022年現在の大統領は、イルハン・アリエフ。2003年に前大統領である父ヘイダル・アリエフ(任1993-2003)の後を継ぐ形で就任して以降、大統領の任期や再選規定に関する規定をたびたび改定し、事実上の独裁政権を築いている。父ヘイダルを「国父」として称揚する政策を進めて権威を確立しつつ、2017年には妻メフリバンを第一副大統領に任命するなど、一族による権力の独占を進めている。

 周囲をトルコ、イラン、ロシアという地域大国に囲まれたアゼルバイジャンは、巧みな「バランス外交」によって、欧米諸国を含めた諸外国との関係を構築している。周辺国の中では、言語・文化の共通性や歴史的経緯からトルコとの関係が特に緊密で、「2つの国家、1つの民族」と言われるほどに強い親近感を互いに抱いている。旧ソ連諸国の中では、隣国ジョージアやウクライナといった反ロシアの姿勢を取る国家と密接な関係を築いているが、一方でロシアとも友好関係を維持している。イランとも一定の距離を取りつつ友好関係を結んでいる一方で、そのイランと激しく対立するイスラエルとも親交が深い。

 外交関係で最も大きな懸案となっているのは、隣国アルメニアとの角逐である。ソ連時代初期である1920年代前半に、アルメニア系住民も多く居住していたナゴルノ゠カラバフ地方がアゼルバイジャン領とされたことに端を発する両国の対立は、ソ連の解体に前後して、一気に表面化した。大規模な軍事的衝突へと発展したこの「ナゴルノ゠カラバフ紛争」は、ロシアの支援を受けたアルメニア優勢で展開していく。1994年、両国は停戦に合意したが、ナゴルノ゠カラバフ地方は事実上の独立国家となり、同地方に居住していたアゼルバイジャン人の多くが国内難民と化した。その後、長らく事態は停滞するが、2020年に転機が訪れる。9月、ナゴルノ゠カラバフに向けて本格的な進攻を開始したアゼルバイジャン軍は、同地に駐留していたアルメニア軍を最新の兵器と戦術によって終始圧倒した。11月にアゼルバイジャン軍が要衝シュシャの制圧に成功すると、ロシアの仲介によって両国は停戦に合意、アゼルバイジャンは一部領土の奪還に成功した。しかし、2022年現在、ウクライナ侵攻に伴うロシア軍内の混乱もあり、ナゴルノ゠カラバフをめぐる情勢は再び不安定になっている。

 さて、複数の文化圏に囲まれ、「文明の十字路」とも称されるアゼルバイジャンの地理的条件は、この地に多様で複合的な文化をもたらした。食文化や音楽・舞踏は、こうした特徴が見られる典型例である。また、古くからアゼルバイジャンの重要な産業であった絨毯をはじめとする織物についても同様で、文様などにイラン的特徴とトルコ的特徴が混在しているとされる。

 文化の重層性は、バクー市を散歩するだけでも実感することができるだろう。元来の市域から段階的に拡大して形成された現在のバクー市には、時代時代の建築物による同心円状の層が見て取れるからである。典型的なイラン・イスラーム風の古都市である旧市街が中心にあり、そのすぐ外側をロシア帝政期からスターリン期にかけての、重厚かつ壮麗な建築群が取り囲む。後期ソヴィエト時代の無機質な建造物がさらにその外側に林立し、最外殻部には独立後に建設された現代的な建築物がそびえるのである。町の新たなシンボルでもあるフレイム・タワーやヘイダル・アリエフ・センターは、とりわけ目を引く。

 また、西部の町ギャンジャに生まれ、現在のアゼルバイジャンにおいて「国民的詩人」として重要視されているニザーミー(1141-1409)や、彼と同時代に活躍したハーガーニー(1127-1186/7 or 1199)らは、詩作をペルシア語で行った。このことからも、この国の文化の複雑さが伺えよう。テュルク語文学の分野では、ハターイーの筆名で詩を詠んだサファヴィー朝初代君主シャー・イスマーイール1世(1487-1524)や、ロシア帝政期に活躍し近代アゼルバイジャン語文学の発展に寄与したアーホンドザーデ(1812-1878)らがいるが、彼らは現在のアゼルバイジャン共和国でなく、イラン領の出身者である。

 多くの日本人にとって、アゼルバイジャンというの国名を最も目にするのは、スポーツの分野においてであるかもしれない。アゼルバイジャンでは、他のコーカサスの国々と同様、格闘技が盛んである。柔道、レスリング、空手、テコンドー、重量挙げ、総合格闘技などで、国際的に著名な選手が何人も輩出しており、オリンピックをはじめとした国際大会での活躍もめざましい。

 産業面では、バクー周辺の油田から採掘される石油に対する依存度が非常に高い。前近代から知られていたこの油田は、19世紀半ばに本格的な開発が始まり、町そのものとともに急速な発展を遂げてきた。1884年にザカフカース鉄道がバクーに結ばれると、黒海沿岸の港市バトゥーミへの石油の大量輸送が可能となり、バクー油田の重要性はさらに増大していく。さらに1907年には、バトゥーミとの間にパイプラインが開通した。1872年に約1万4300バレルであった生産高は、1901年には7060万バレルとなり、バクーは世界でも有数の石油産業地域へと成長していった。

 しかし、現在のアゼルバイジャンでは、既存の油田の生産量の減少や、新規油田の開発が停滞気味であることなどから、非石油産業への転換が喫緊の課題となっている。情報通信技術や農業などのほか、観光業の振興にも力を入れられている。観光に関しては、2010年代には、特にアラブ諸国からの旅行客が激増するなど、一定の成果があがっているようである。また、各種の国際イベントを積極的に誘致し、関連するインフラや施設も急速に整備されつつある。東京と争った2020年夏季オリンピックや、大阪と争った2025年万博の誘致には失敗したものの、2015年にはヨーロッパ競技大会、2017年にはイスラーム諸国連合競技大会の開催地となった。また、2017年からは、F1のアゼルバイジャン・グランプリが毎年開催されている。

アゼルバイジャン写真

写真1.世界遺産・乙女の塔(バクー)

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写真2.フレームタワー

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写真3.フナルグ村

書誌情報
塩野崎真也「《総説》アゼルバイジャンという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, AZ.1.02(2023年1月10日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/azerbaijan/country/