アジア・マップ Vol.01 | インドネシア

《総説》
インドネシアという国

本名 純(立命館大学国際関係学部・教授)

  東南アジアの最南に位置するインドネシア共和国は、約192万平方kmという日本の5倍近い国土総面積を持つ東南アジア最大の国家である。東西の距離はアメリカよりも長い。この大小17,000以上の島々から成る島嶼国家には、約2億7千万人の人々が住み、その人口規模は中国、インド、アメリカに次ぐ世界第4位を誇る。その半数近くがジャワ島で暮らすことから、ジャワは世界で最も人口密度が高い島としても知られる。

  この巨大国家のスローガンは、「多様性の中の統一」(Bhinneka Tunngal Ika【古ジャワ語】)である。国民の8割以上がイスラーム教を信仰することから、世界で最もムスリム人口を擁する国として知られるものの、キリスト教やヒンドゥー教、仏教、儒教なでの信仰者も共存する。例えば、パプア州などに行けば住民の多数がキリスト教徒だし、バリ州ではヒンドゥー教徒がマジョリティーを占める。憲法でも信仰の自由と宗教の多様性が保障されている。

  また、民族も多様で、総人口の約4割を占めるジャワ人が最多の民族であるものの、国内には1300以上の民族が存在する。ジャワ人よりは少ないが、スンダ人やブタウィ人、マドラ人なども昔からジャワ島でコミュニティーを形成してきた。民族と同様に言語も多様で、共通語の「インドネシア語」の他に、各地でローカル言語が話されている。ジャワ語やスンダ語を含め、700語以上が確認されているが、パプア州だけでも270を超える言語が存在する。今でも多くのインドネシア人は、共通語以外にローカル語を話す。各地で民族や言語のアイデンティティーが強く、それらを維持・尊重しつつ、インドネシアという国家を運営していく英知が「多様性の中の統一」という国是に示されていると言えよう。

民族や宗教、言語同様、食も多様なインドネシア。それでもみんな大好きパダン料理

民族や宗教、言語同様、食も多様なインドネシア。それでもみんな大好きパダン料理

  当然、その国家運営は多難である。「独立の父」スカルノ大統領は、ジャワ人が多数であってもジャワ語を国語とせず、マレー語をもとにインドネシア語を作って共通語にした。またイスラーム教徒が大多数であるにも関わらず、他宗教との共存を尊重し、イスラーム教を国教とはしない国家原則を導入した。スカルノは、国家統一に向けて「パンチャシラ」という理念を掲げた。それは、建国5原則とも言われ、唯一神への信仰、人道主義、インドネシアの統一、民主主義、社会公正の5つを指す。これらの原則のもとで、国民はアイデンティティーの多様性を認め合いつつ、一致団結して国を発展させていこうというビジョンである。

「独立の父」スカルノのTシャツを売る屋台。今でも国民の英雄。

「独立の父」スカルノのTシャツを売る屋台。今でも国民の英雄。

  しかし、そういう国家を安定・繁栄させる道のりは容易ではない。スカルノ時代には、議会制民主主義のもとで国策を決めてきたものの、首都ジャカルタの方針に反発する地方が、1950年代に各地で反乱運動を起こし、それらを武力で弾圧するという展開となった。また、冷戦下で農村を中心に共産主義の大衆運動が拡大するにつれて、イスラーム勢力は彼らを脅威と捉え、両勢力の対立は深まっていった。このような一連の政治的混乱は、経済の低迷にも貢献し、スカルノ大統領は1965年に失脚する運命となった。

 続くスハルト大統領は、国家の安定を最優先に掲げ、中央集権を徹底して地方に対するコントロールを強権的に進めていった。また国民の政治参加を制限し、多様性より規律を強要する「新秩序」時代をアピールした。地方自治は弱められ、共産主義は一掃され、イスラーム勢力も政治からの撤退を迫られた。反政府運動は、国是パンチャシラが訴える「インドネシアの統一」に悪影響だとされ、弾圧の対象となった。その産物としての政治の安定化は、経済的には外資誘致にプラスとなり、欧米や日本が積極的に投資と経済支援を進めるようになる。その結果、スハルト政権下のインドネシアは、急速な経済成長を実現し、いわゆる「権威主義的開発主義」のモデルケースとも称された。

  しかし、1997年に発生したアジア通貨危機が変革をもたらした。通貨危機が経済危機を招き、その混乱は社会不安に発展し、スハルト退陣と民主化を求める政治運動が全国各地でエスカレートしていった。閣僚や国軍の支持を失ったスハルトは、1998年に辞任を決める。それにより、インドネシアは長期の権威主義体制の終わりを迎え、新たな民主化時代の船出がスタートした。それは同時に、国家による「多様性と統一」の管理をどう再調整するかという問題に直面することを意味していた。そして、ポスト・スハルト時代のハビビ政権、ワヒド政権、メガワティ政権は、その困難に取り組むことを余儀なくされた。

  まず、スハルト時代に封印されてきた地方主義が勢いを盛り返した。東ティモールやアチェ、パプアといった遠隔地方では分離独立運動が沸き起こった。それ以外の地方でも、これまで押さえつけられてきた民族や宗教のアイデンティティーが解放される過程で、住民間の対立がエスカレートし、大規模な紛争に発展していくケースも見られた。「バルカン化」するインドネシアと比喩する欧米メディアも現れた。

 こういう「分裂の危機」を回避する鍵となったのが「地方分権」と「民主選挙」であろう。長年の中央集権システムから地方分権化に舵を切ることで、経済権益のローカル化を進め、地方の不満を局地化していくように努めた。また、大統領を始め、州・県知事や市長などの地方首長を直接選挙で選出することを決め、2004年から実施していった。この2つの制度転換は、「中央から地方へ」、そして「有権者主体の政治」という新たな国家統治の正当性を定着させ、インドネシアを混乱から安定へと導くことに成功した。

首都ジャカルタの目抜き通りでのデモ集会

首都ジャカルタの目抜き通りでのデモ集会

 2004年に行われた初の直接大統領選挙で選ばれたユドヨノ大統領は、高い国民人気に支えられて2期10年の任期を全うした。この間、政治の安定を土台に、経済危機からの脱却も進み、資源輸出や投資の伸びに支えられて年平均約6%の経済成長を達成した。国際的にも、新興経済大国として認知されるようになった。一方で、政治安定の定着の代償となったのが「民主改革の前進」である。ユドヨノは、政権安定のために多くの政党を連立政権に招き入れた。その結果、野党の存在を最小化できたものの、政権内に多様な既得権益を包摂することとなり、多くの改革案が政権内で抵抗を受けて頓挫するという政治力学が定着した。政治の安定と民主化の前進はトレードオフの関係となり、ユドヨノ政権は前者を優先して経済成長を軌道に乗せたと言えよう。

 2014年に大統領となったジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)も、基本的に同じ路線の国家運営を行ってきた。いわゆる「中所得国の罠」を回避することが中期的な課題となるという認識から、インフラ整備の強化、デジタル経済の推進、そして人材育成を掲げ、「経済成長のための政治」を本格化してきた。スピーディーな決断と実行力でインフラ開発に邁進するジョコウィ大統領の政治リーダーシップに、多くの国民は高い支持を表明してきた。一方で、その開発至上主義的な政治スタイルは、ときに環境保護団体や人権擁護団体などの市民運動の強い反発も招いてきた。2019年にはスハルト政権末期以来、最大規模の抗議デモが学生を中心に繰り広げられた。それでも、政権を支える連立与党は国会でも絶対多数を占めており、政権の政治安定は崩れない。2020年からの新型コロナ危機で、経済の不況は避けられず、同年の成長率はマイナスとなったが、翌年からはプラスに回復する良いパフォーマンスを示した。それが依然として高いジョコウィに対する世論の支持率の背景にあることは間違いない。

ジョコウィ氏の市内視察に同行してみた(右が筆者)

ジョコウィ氏の市内視察に同行してみた(右が筆者)

 ユドヨノ同様、ジョコウィも2期10年の任期を全うするであろう。そして、2024年には新たな大統領を決める選挙が予定されている。様々な大統領候補が台頭するものの、今後、国家の方向が大きく変容することは考えにくい。地方主義が強まり、国家が分裂することもなければ、イスラーム保守勢力がパンチャシラを廃止してイスラーム国家を作ることもない。それは、今の政治エリート層が、すでに民主化後の国家運営の安定の法則を共有しているからである。ほぼ「オール与党」の連立政権を作ることこそが政治安定の秘訣であり、その安定を背景に経済開発を進めていく。この「非権威主義的開発主義」の国家運営が、今後の国家リーダーの既定路線だと思われる。

 世界経済シミュレーションは、2050年までにインドネシアが日本やドイツを抜いて世界第4位の経済大国になると予想している。平均年齢32歳のインドネシアの人口は、今でも増加中で、2050年には3億人を突破する見込みである。また、脱酸素化というグローバルな文脈で、電気自動車(EV)用バッテリーの需要が拡大するなか、ニッケル埋蔵量世界首位を誇るインドネシアへの世界の注目は高まるばかりである。

 この国の今後の安定と繁栄は、世界中の人たちに「多様性の中の統一」という普遍的な理念が体現可能なものであることを証明するであろう。その意味で、インドネシアという国は、我々の未来と共にある。

書誌情報
本名純「《総説》インドネシアという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, ID.1.04 (2023年4月26日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/indonesia/country/