アジア・マップ Vol.01 | インドネシア

《エッセイ》インドネシアの都市
マラン

足立真理(日本学術振興会特別研究員、立命館大学衣笠総合研究機構プロジェクト研究員)
写真1(筆者撮影):スヤティおばあさんの家の壁にかけられた小売りの粉末ジュースと水のストック2022年9月10日

写真1(筆者撮影):スヤティおばあさんの家の壁にかけられた小売りの粉末ジュースと 水のストック2022年9月10日

「売ります。ガス、水、ガソリン、氷」

 こう書かれた簡素なお手製のチラシが、裏路地の小道にある長屋の壁に貼られていた(写真2)。このチラシを貼ったスヤティおばあさんは、元ジャムゥ(インドネシアの伝統薬)売りをしていた(写真3)。60代になり、重いジャムゥを頭に担いで売り歩くのはもう無理だということで、ザカートと呼ばれるイスラームの義務の喜捨を受給している。

 ザカートとは、お金持ちのムスリム(イスラーム教徒)の義務であり、しかるべき徴収人を通じて、貧しい人や孤児など定められた受給資格者に分配される。このスヤティさんも夫に先立たれ、すでに高齢で働くことができないため、インドネシア公的ザカート管理団体(Badan Amil Zakat Nasional)の分配組織(Baitul Mal; 以下、BMと呼ぶ)を通じて、ザカート(喜捨)を受け取っている。

 ザカートを受け取るといっても、スヤティおばあさんの場合は毎月施しを貰うという形ではなかった。3,000,000ルピア(約25,000円)を無利子無担保で借りて、それを元手にガソリンや氷、粉末ジュースに利ざやをつけて小売りをするというスタートアップビジネスを行っていた(写真1)。

 小規模小売業をする・したいという人に対して、無利子無担保でザカート資金を貸し出す、いわゆるマイクロファイナンスは近年の流行であるが、まさかこのおばあさんが融資を受けているとは知らずに私は驚いた。その時はまだ、ザカートとは、富める人が貧しい人に施す宗教的習わしという風な理解しかなかったので、融資資金となっていることも新しい発見であった。それと同時に、このおばあさんに返済能力はあるのだろうかと、失礼にも疑問に思った。

 家計状況を詳しく聞くと、日の売り上げはほとんどなく、たまに10,000ルピア(約80円)売り上げがあるかないかという程度だという。おばあさんの家は立地的にも裏路地の曲がりくねった小道にあるため、通りがかる人も多くない。おばあさんはこれまで、政府の直接現金給付やコメ支給などの貧困援助政策は受けたことがないが、生活状況から困窮していることは伝わってきた。私は正直、なぜこの人が政府からの支援を受けるでもなく、施しをもらうでもなく、お金を借りているのか不思議でたまらず、聞いてみた。

 するとスヤティおばあさんは「朝早くからジャムウを自分で作って、町を売り歩くのはもう出来ない。・・でも自分で何か稼ぎたいので借りてるよ。・・・(中略)・・BMのザカートの融資だと利子がないし、私のような年寄りにも貸してくれる」とさも何でもないといった感じで、自然と答えた。

 私は急に恥ずかしくなった。老人なのにお金を借りて商売をしているということに疑問を投げかけた不作法に恥じる気持ちもあった。しかしそれ以上に、知らず知らずのうちに自分が「扶助を受けるべき正当な貧困者」を探していたことに気づいたのである。ゆえに、扶助を受ける側が生き生きと暮らし、自らの気力と能力が許す限り働こうとしていることに、想定外という印象を受けたのだった。

 その後の調査でも、同様のことが多くあった。目の不自由なシフォン夫妻や、断食月にドリアンアイスを売ろうと試みる清掃員のアリフさんなど、多くの受給者がザカートをただ受給するのではなく、返済を求められるマイクロファイナンスを使い、自らの収入や貯蓄に応じた金融手段としてザカートを主体的かつ戦略的に活用しているのであった。

 ザカートの融資に関して興味深いもうひとつの点は、BMのマネージャーが毎週行っている受給者への訪問であった(写真4)。公的ザカート管理団体から分配資金を任されたBMは、基本的にボランティアによって運営される。その地区の有志、特に個人商店を持っている人が、商店の隅に事務所を開き対応している(写真5)。

 私はこのBMのボランティアマネージャーのザカート受給者の家庭訪問に何度も同行したが、この時マネージャーの対応が人によって異なることに気づいた。例えば、ザカート融資金でうまく商売を軌道に乗せている人には、返済を求め、さらなる融資と事業計画の拡大について話していた。他方、スヤティおばあさんや目の不自由なシフォン夫妻など、状況的に負債を返せそうにない人には「やぁ元気?」などの世間話だけにとどまり、特に返済を迫るそぶりはなかった。

 「借金=負債」は返さねばならないという強い思い込みを内在化してしまっていた私は改めてこの緩やかな融資に驚いた。しかしながら、原典であるクルアーンを参照しながら、よく考えてみるとザカートの原資は富裕なムスリムの喜捨であり、ザカート受給者の正当な取り分である。すべての所有者である神が、現世において人間に貸している金の一部を喜捨として返還させているだけとも換言できる。つまり、ザカートによる融資金は、ザカート管理団体の所有でもなく、もちろんマネージャーの所持金でもなく、本来はザカート受給者のものなのである。

 借りている側が所有権を持つなどおかしいと思われるかもしれない。確かに債務者が堂々と返済をしなくなると、融資が焦げ付いてしまう。しかしながら、ここで融資や金融という言葉に引っ張られると、宗教的贈与の重要なエッセンスを見逃してしまう。つまり新自由主義的な現代資本主義における債権者・債務者の権力構造が永続的なものだと考え、債務を返済する責任は道徳的な義務であるという考えは、宗教的な世界観においては絶対ではないということがこの事例からは 伺える。

 世界最大のムスリム人口を有するインドネシア共和国において、このザカートのポテンシャルは計り知れない。特に政府が公共福祉サービスの提供を控え、代わりに民間部門との協働を声高に唱える昨今の状況において、ザカートをイスラーム的共助と位置づけ、検討していくことは、国家や宗教の共同体における役割を考える上でも重要である。少なくともスヤティおばあさんのように、扶助を受ける側が生き生きと暮らし、自らの気力と能力が許す限り働こうとするその原動力を探すことは、人間の可能性を解き明かすことだと考える。

写真2(筆者撮影):「売ります。ガス3kg、水、ガソリン、氷」と書かれたお手製のチラシ(2017年6月13日)

写真2(筆者撮影):「売ります。ガス3kg、水、ガソリン、氷」と書かれたお手製のチラシ(2017年6月13日)>

写真3:スヤティおばあさんと筆者(2017年6月13日)

写真3:スヤティおばあさんと筆者(2017年6月13日)

写真4(筆者撮影):貧困地区を周って受給者の借り入れ状況を確認するBMのボランティアマネージャー(2017年7月17日)

写真4(筆者撮影):貧困地区を周って受給者の借り入れ状況を確認するBMのボランティアマネージャー(2017年7月17日)

写真5(筆者撮影):マラン市ムルジョサリ地区の分配組織BMの看板。日用品店を営むマネージャーがボランティアで行っており、お店の片隅に事務所兼倉庫がある(2017年7月17日)

写真5(筆者撮影):マラン市ムルジョサリ地区の分配組織BMの看板。日用品店を営むマネージャーがボランティアで行っており、お店の片隅に事務所兼倉庫がある(2017年7月17日)

書誌情報
足立真理「《エッセイ》インドネシアの都市 マラン」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, ID.4.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/indonesia/essay02/