アジア・マップ Vol.01 | インドネシア

読書案内

岡本 正明(京都大学東南アジア地域研究研究所・教授)

一般向け
プラムディヤ・アナンタ・トゥール(押川典昭訳)『人間の大地(上・下)』『すべての民族の子(上・下)』『足跡』『ガラスの家』めこん、1986〜2007。
植民地時代後期の蘭領東インドに生まれた原住民エリート子弟のミンケとオランダ人の現地妻ニャイ・オントソロを軸に、激しい差別が存在する植民地社会で、近代化が始まり、インドネシア人としての民族意識が芽生えていく過程を描く壮大な歴史小説である。作者プラムディヤが930事件の政治犯としてブル島に交流されていたときに書き上げた作品である。四部作と大部であるが、訳文は読みやすい。時間のあるときにぜひとも読んでほしい。
深田祐介『神鷲(ガルーダ)商人(上・下)』新潮社、1986。
インドネシアの初代大統領スカルノの時代の日本とインドネシアの関係、とくにビジネスと政治の関係を知る上では必読文献であろう。フィクションとはいえ、かなり史実に基づいている深田祐介らしいビジネス小説である。インドネシア独立直後の1950年代、日本の商社が賠償ビジネスに食い込もうとすれば、スカルノとのコネクションを強化することが必須であった。ある商社は日本人女性をインドネシアに送り込んだ。その女性はスカルノの寵愛を受けて第3夫人となり、政局の混乱を生き抜いた。このダイナミズムを描ききった作品である。
佐藤百合『経済大国インドネシア:21世紀の成長条件』中公新書、2011。
日本にとっては最も重要なパートナーであるインドネシア経済の成長可能性について論じた作品である。権威主義的なスハルト体制で好調な経済成長を実現した後、97年のアジア通貨危機で経済は破綻し、スハルト体制そのものも崩壊する未曾有の危機に陥った。その後、一気に民主化・分権化を始めたインドネシアは予想に反して比較的好調な経済成長を続けている。本書は、この成長の背景、そして、今後のインドネシア経済について熱く語っている作品である。
永渕康之『バリ島』講談社現代新書、1998。
インドネシア国内だけでなく、世界的にも観光地として有名なバリ島。イスラーム化されることなく、ヒンドゥー教の影響が濃厚であり、その踊りや造形芸術、更には建築様式もエキゾチシズムにあふれる「神々の島」「芸術の島」とされるバリ島。こうした表象や言説で語られるバリ島が生まれたのはオランダ植民地時代のことである。その語りの持つ影響力の強さ、その語りのはらむ矛盾を描いた作品である。
倉沢愛子『インドネシア大虐殺:2つのクーデターと史上最大級の惨劇』中公新書、2020。
世界的に冷戦が続く1965年、インドネシアでは、共産党員とされた人物50−100万人が虐殺された。本書は、この930事件と言われる大虐殺について最新のデータに基づいて分析している。東南アジアでほぼ同時期に起きたカンボジアのクメール・ルージュによる大虐殺が欧米諸国によって厳しい批判の対象になったのに対して、930事件については、日本も含めて未だに国際社会も、そして、インドネシア社会でもあまり批判の対象にはなっていない。こうした930事件の抱える闇を考える上で読んでほしい作品である。
専門書
ヴィンセント・べヴィンス(竹田円訳)『ジャカルタ・メソッド:反共産主義十字軍と世界をつくりかえた虐殺作戦』河出書房新社、2022。
1965年の930事件において、スハルト率いる陸軍は、世界でも最大規模を誇っていたインドネシア共産党を解体するだけでなく、大虐殺を行った。本書では、アメリカがこの事件に果たした役割をインタビューと公開された最新資料に基づいて明らかにした。さらに、この事件を経てインドネシアが従順なアメリカ寄りの国家となったことが成功体験となり、アメリカが反共産主義的な撲滅プログラムを他の途上国にも展開していったことを書き上げている。アメリカが自由な国際秩序の樹立を目指していることを言葉通りに信用した(途上国の)人々こそが敗者であるという筆者の指摘は胸に刺さる。
白石隆『新版インドネシア』NTT出版、1996。
インドネシアのスハルト大統領がどのようにして長期的に強権的に支配を行なってきたのかについて、表と裏の原理という2つの統治手法から明らかにした作品である。インドネシア政治を考える上で不可欠な軍、イスラーム、華人なども章ごとに取り上げており、出版は90年代であるが、今でもスハルト支配の遺産が残るインドネシアを考える上では必読文献である。
増原綾子『スハルト体制のインドネシア:個人支配の変容と1998年政変』東京大学出版会、2010。
32年間続いたスハルト権威主義体制について、地域研究的な実証研究に依拠しながらも、「翼賛型個人支配」という分析概念を用いることで、比較政治学的に分析した作品である。スハルトが暴力的手段と温情的手段で支配を維持してきたことを明らかにした後、スハルト体制の中核であった与党ゴルカルがどのように変化し、結局のところ、スハルト体制崩壊にも重要な役割を果たしたことを明らかにしている。比較の視点からインドネシア政治を考えるときに参考になる。
本名純『民主化のパラドックス:インドネシアにみるアジア政治の深層』岩波書店、2013。
インドネシアでは1998年まで32年間に渡って、いわゆる開発独裁と言われる時代が続き、スハルト大統領が強権的支配を敷いていた。1997年のアジア通貨危機が起きると、この支配に一気にほころびが生じて崩壊してしまった。その前後、民族・宗教紛争が各地で続いていたものの、インドネシアは民主化を進め、2000年代半ばには誰もが予想しなかった政治的安定を実現した。本書は、一見、理想的にも見えるインドネシアの民主化がはらむ課題をヴィヴィッドなタッチで描き出した作品である。
岡本正明『暴力と適応の政治学:インドネシア民主化と地方政治の安定』京都大学学術出版会、2015。
2000年代に入ってインドネシアは民主化だけでなく分権化も始めた。そうすると、それまで強権的支配下で地方自治など存在しなかった状況は一変して、地方政治は極めてダイナミックになった。本書は、インドネシアでも暴力とカネを握る人たちが政治権力を掌握してきたことで有名なバンテン地方を取り上げ、呪術など、日本では考えにくいパワーの重要性も指摘しつつ、地方政治の安定とは何かを長期の現地調査から考えた作品である。

書誌情報
岡本正明「インドネシア読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, ID.5.03 (2023年4月6日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/indonesia/reading/