アジア・マップ Vol.01 | インドネシア

21世紀年表

森下明子(立命館大学国際関係学部・准教授)

1999年 1998年にスハルトの長期権威主義体制が崩壊し、1999年は民主化と地方分権化が急速に進んだ。44年ぶりに自由で民主的な総選挙が行われ、国民協議会ではアブドゥルラフマン・ワヒドが第4代大統領に選出された。アチェとイリアンジャヤでは分離独立運動が激化した。
2000年 ワヒド大統領と政党勢力の対立が深刻化し、政局が不安定化した。また中部カリマンタン州では民族紛争が起きた。経済は4.8%のGDP成長率を達成。国際原油価格の高騰による石油輸出の伸び、工業製品輸出の増加、耐久財消費と投資の回復が主な成長要因である。
2001年 ワヒド大統領が国民協議会によって解任され、副大統領だったメガワティ・スカルノプトリ(初代大統領スカルノの娘)が大統領に昇格した。イリアンジャヤではパプア特別自治法が施行された。2001年は国内消費が堅調で、GDP成長率は3.3%であった。
2002年 バリ島で爆弾テロ事件が発生し、これをきっかけにインドネシアの対テロ対策が本格化した。また長年分離独立運動を続けてきたアチェでは、12月にインドネシア政府と自由アチェ運動(GAM)の間で和平協定が調印された。東ティモールがインドネシアから独立した。
2003年 GAMとの和平協定がとん挫し、政府はアチェ軍事作戦を再開した。首都ジャカルタではアメリカ系の高級ホテルで爆弾事件が起きた。経済は消費主導で輸出も若干回復し、4.1%のGDP成長率となった。
2004年 5年に一度の総選挙とインドネシア初の大統領直接選挙が行われ、スシロ・バンバン・ユドヨノが大統領に選出された。汚職撲滅委員会が活動を開始し、地方政府・議会の汚職追及が進んだ。12月にはスマトラ沖大地震・津波が発生し、アチェを中心に未曽有の被害が出た。
2005年 スマトラ沖大地震・津波をきっかけに、インドネシア政府とGAMとの間で和平合意が実現した。GAMは災害で打撃を受けて弱体化し、住民からの支持が急低下していた。また、2005年から地方首長(州知事、県知事、市長)の直接選挙が開始された。
2006年 アチェの和平プロセスが順調に進み、アチェ統治法が成立した。ジャワ島では中部地震など自然災害が多発した。経済はインフレと高金利のもとで消費と投資が冷え込み、GPD成長率は前年の5.7%から5.5%に減速した。
2007年 インドネシアと日本の間で初の二国間協定となる経済連携協定(EPA)が締結された。これにより、翌2008年からインドネシア人看護師・介護福祉士候補者の日本での受け入れが始まった。インドネシアではユドヨノ政権への高い支持率が続き、政治的安定度が高まった。
2008年 スハルト元大統領が死去した。汚職追及が中央政府・国会にも及び、逮捕者が相次いで出た。異端とみなされていたイスラーム教の宗派アフマディヤに対して急進的イスラーム団体による暴力事件が多発した。
2009年 ユドヨノが大統領に再選した。しかし政局は不安定化した。汚職撲滅委員会と警察・検察の対立が表面化し、また、民間銀行救済策をめぐって国会がユドヨノ政権批判を強めた。経済は堅調な国内消費に支えられ、4.5%と比較的高い経済成長率を達成した。
2010年 国会とユドヨノ政権の対立が続いた。センチュリー銀行への公的資金投入をめぐり、スリ・ムルヤニ財務相が辞任に追い込まれた。また財務省職員による汚職事件が、警察、検察、裁判所を巻き込む一大疑獄事件に発展した。経済は総じて良好であった。
2011年 与党幹部の汚職事件が明るみになり、汚職撲滅を重要政策課題とするユドヨノ大統領に対する国民のイメージが下がり、支持率が低下した。経済政策では「インドネシア経済開発加速・拡大マスタープラン2011~2025年」が発表された。
2012年 ユドヨノ政権は連立政党による造反行為や与党幹部・現職閣僚も関与する汚職事件などに悩まされた。経済は内需の好調により6 %成長を維持したが、天然資源価格の下落や鉱物・石炭鉱業法に関連した鉱石の輸出規制が影響して輸出額が減少した。
2013年 比較的クリーンなイメージを保っていた連立与党の党首たちと憲法裁判所の長官が汚職容疑で検挙され、汚職撲滅を掲げるユドヨノ政権に対する国民の失望が広がった。経済成長率は 4 年ぶりに 6 %を下回り、失業率と貧困者比率が増加に転じた。
2014年 ユドヨノ大統領の任期(最長二期10年)が終了し、大統領選挙でジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)が新大統領に選ばれた。ジョコウィ政権は国民生活の向上を最優先とし、新たに「海洋国家」というドクトリンを掲げ、経済外交を中心に据える方針を立てた。
2015年 ジョコウィ大統領と与党の関係が悪化したため、ジョコウィ大統領は大統領府を強化して大統領のリーダーシップ確立を目指した。また連立与党を拡大し、政権基盤を安定化させた。一方、経済成長率は4.8%と前年の5%台を下回り、ルピアが大幅に下落した。
2016年 ユドヨノ政権下で財務相を務めたスリ・ムルヤニが再び財務相に任命された。ジャカルタではIS(イスラーム国)を支持するグループによるテロ事件が発生した。経済成長率は5.02%であったが、低いインフレ率や失業率の低下、ルピアの安定などで経済は比較的落ち着いた 。
2017年 イスラーム保守派の政治的影響力が高まり、ジャカルタ州知事選挙では反イスラーム的として攻撃を受けていた中国系キリスト教徒の現職知事が敗北した。外交面では、ミャンマーからのロヒンギャ難民を支援すべく積極的な外交が展開された。
2018年 ロンボク島、中スラウェシ州、スンダ海峡で大地震や津波が発生し、多くの犠牲者が出た。またスラバヤの連続爆弾テロ事件など、イスラーム過激派によるテロ事件が相次いだ。外交面ではインドネシア独自の「インド太平洋協力」構想を発表し、国際社会で存在感を示した。
2019年 ジョコウィが大統領に再選した。しかし政情は安定せず、パプアに対する差別問題や国民を無視した国会での重要法案の可決などに対してデモや暴動が相次いだ。ASEAN 首脳会議では、インドネシアが主導した「インド太平洋に関する ASEAN アウトルック」が採択された。
2020年 新型コロナウイルス対策が遅れ、累計感染者数が74万人以上、死者数が2万人を超えた。経済は新型コロナの影響を受けて、マイナス成長を記録した。急進的保守派イスラーム団体で反ジョコウィ派のイスラーム防衛戦線(FPI)が非合法化された。
2021年 新型コロナウイルスの感染がさらに拡大し、多数の犠牲者を生んだ。政府は早期からワクチン配布に取り組んだが、接種率は伸び悩んだ。コロナ対策に対する国民の不満が募るなか、ジョコウィ政権は政府批判の取り締まりを強化した。
2022年 6月中旬以降、新型コロナウイルスの感染が再拡大している。国内では言論統制が強まっていると言われる。外交面ではジョコウィ大統領が日中韓のほか、ウクライナとロシアも訪問し、各国首脳と会談した。11月にはバリ島でG20首脳会議(サミット)が開催された。
参考資料:アジア動向年報2000~2022年版(日本貿易振興機構 アジア経済研究所

書誌情報
森下明子「インドネシア21世紀年表」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, ID.3.02 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/indonesia/timeline/