アジア・マップ Vol.01 | イラク

読書案内

山尾 大(九州大学比較社会文化研究院・准教授)

一般むけ
酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書、2002年
 本書は、イラクと米国の関係を軸としたイラクの歴史をわかりやすくまとめた概説書である。まさに米国がイラクに攻撃を仕掛けようとしている最中に、1980年代の現地在住経験も踏まえ、緊張感をもって書かれた良書。サッダーム・フセイン政権の支配構造を中心とした政治・社会史の理解だけではなく、中東の国際政治のなかでイラクがどのように変わってきたのか、米国のイラク侵攻の背景には何があったのか、そしてイラク戦争後に紛争が広がった背景には何があったのか、などの理解につながる。
酒井啓子『イラク 戦争と占領』岩波新書、2004年
 我が国のイラク研究の第一人者である筆者が、イラク戦争終結後、13年ぶりに現地を訪問した経験も踏まえて書かれた、イラク戦争後の政治社会状況をまとめた概説書。イラク戦争そのものは短期間で終了したが、その後の国家建設は混乱を極めた。本書では、その原因を米国の占領統治政策のごく初期の失敗に光を当てることで、きわめて明快に解きほぐしていく。その後、イラクは内戦状態に陥るが、現在に至るまでの紛争の要因を知るための必読書である。
酒井啓子『イラクは食べる――革命と日常の風景』岩波新書、2008年
 酒井(2002)と酒井(2004)と合わせてイラク戦争前後のイラクの内政や外交、社会を知るための三部作。イラクの伝統料理を軸に構成されているが、実際に論じられているのは戦後イラクの政治社会状況であり、反米闘争をへてイラク人同士がいがみ合い、争いあうようになったのはなぜか、料理の話をとおしてビビットに描かれている。かなり複雑な現地事情を、とっつきやすい料理の話をとおして明晰に分析する本書は、まさに筆者の真骨頂ともいえる作品である。ぜひとも紐解いていただきたい。
酒井啓子・吉岡明子・山尾大編著『イラクを知る60章』明石書店、2013年
 本書は、明石書店のエリアスタディーズ・シリーズのイラク版で、政治・社会・経済・歴史のみならず、生態環境や日常生活、音楽や芸術、文化、企業活動など、多様な側面から解きほぐした概説書である。各分野の専門家がわかりやすく書き下ろしているので、広く理解を深めたい読者にとっては使いやすい書物になっている。
チャールズ・トリップ『イラクの歴史』(大野元裕監訳)明石書店、2004年(Tripp, Charles, 2000, A History of Iraq, 2nd ed. Cambridge: Cambridge University Press)
 イラク現代史をわかりやすく記述した基本文献。現代イラクの政治史をざっと頭に入れるためには、本書を読むのが最も手っ取り早い。パトロン・クライエント関係をキーワードにしたイラクの政治社会の構造的な理解も、本書をとおして読み取ることができるだろう。ぜひ手に取っていただきたい。
学術書
酒井啓子『フセイン・イラク政権の支配構造』岩波書店、2003年
 本書はイラクを長らく支配したバアス党政権、なかでもサッダーム・フセイン大統領の支配体制について、主として人事やシンボル/記憶などに着目して分析した研究書。とくにバアス党幹部の人事について、出身地や出身部族などを詳細に分析した章は、フセイン政権の支配体制がなぜ長期間持続したのかを知るうえで欠かせない発見を提供してくれる。イラク研究の泰斗である著者のもっとも重要な研究成果。
山尾大『現代イラクのイスラーム主義運動――革命運動から政権党への軌跡』有斐閣、2011年
 本書は、2003年のイラク戦争後にイラク政府の中枢に躍進したシーア派のイスラーム主義政党が、それ以前にどのように発展を遂げたのか、その軌跡を様々な歴史文書などの一次資料を通して明らかにした研究書。シーア派イスラーム主義政党は、旧バアス党政権下で苛烈な弾圧を受け、近活動や亡命活動を余儀なくされた。彼らの歴史はこれまでほとんどわかっていなかったが、各国に散乱した各政党の刊行物を収集し、彼らの活動の軌跡を浮き彫りにしている。
山尾大『紛争と国家建設――戦後イラクの再建をめぐるポリティクス』明石書店、2013年
 イラク戦争後に発生した紛争は、国家建設を頓挫させたが、その要因をどこに求めることができるのかを分析した研究書。米国が描いたリベラルな民主化という国家建設後の出口戦略に対して、外部から持ち込まれた分権的な制度を、イラクの内部アクターが様々な利害にもとづいて恣意的に利用していく様子を描いた。紛争がなぜ発生したのか、紛争が長期化しているのはなぜか、といった問題の理解につながるだろう。
山尾大『紛争のインパクトをはかる――世論調査と計量テキスト分析からみるイラクの国家と国民の再編』晃洋書房、2021年
 イラク戦争後の紛争が、人々に与えた影響を分析した研究書。これまでの一次資料に基づく分析に加え、10年かけて複数回独自に実施した世論調査の結果や、主要紙のテキスト分析を通して、これまでほとんど実証的に論じられてこなかった市井の人々の意見を浮き彫りにすることを試みている。地域研究的な手法に加え、データ分析や計量分析の手法を援用して、これまで未着手であった一般の人々にスポットライトを当てた新しいタイプの研究である。

書誌情報
山尾大「イラクの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, IQ.5.03(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/iraq/reading/