アジア・マップ Vol.01 | イスラエル/パレスチナ

《エッセイ》パレスチナ/イスラエルと私
「再読」から浮かび上がる姿

鈴木 啓之(東京大学中東地域研究センター・特任准教授)
写真1

写真1 エルサレム旧市街の喧噪(2008年9月5日、筆者撮影)

 君らに僕は呼びかけよう
 君らの手を握りしめよう
 君らの靴底の下にある大地に口づけし
 僕は言う、僕は君らに身を捧げよう
 ……

 タウフィーク・ザイヤードの詩集を手に取ったのは、ほんの偶然のことだった。2010年10月頃、必要に迫られてアラビア語の市民講座を1回だけ担当することになった時だ。1回の授業で、せめて「爪痕」を残そうと教材として持ち出したのが、イスラエル国内で活動するパレスチナ人ラップグループDAMの一曲「故郷にいる異邦人」(ガリーブ・フィー・ビラーディー、アルバム収録は2006年)だった。この曲の冒頭と末尾に、ザイヤードが自ら詩を朗唱する音源が「サンプリング」されていたのだ。

 この頃、私は大学院の修士課程に在籍し、パレスチナ人の大衆運動についての研究を始めていた。さかのぼれば2001年の9.11事件から私の中東への関心はスタートするのだが、それについては別稿*¹で触れたので割愛する。修士1年生だったこの時は、イスラエル占領下の西岸・ガザ地区で1967年以降に抗議活動がどのように行われていたのかを調べていた。本来は先行研究の整理を優先すべきなのだろうが、アラビア語の一次資料を繰る誘惑に負けた形である。その資料のなかでザイヤードの名前を見つけるのに、それほど時間はかからなかった。
 1929年にパレスチナ北部のナザレに生まれたザイヤードは、1948年のイスラエル建国の後も故郷に留まった「アラブ系市民」の一人だった。建国いらい、イスラエル総人口の約2割を、ザイヤードのようなパレスチナ生まれのアラブ人、つまりパレスチナ人が占めている。イスラエル国籍を持ちながら、社会的地位が十分に保証されずにきた人びとである。詩人であったザイヤードは、イスラエルの国内政治に積極的に参画し、その活動を通してパレスチナ人の権利保護や生活の向上を訴えた。この文章の冒頭に挙げた詩「君らの手を握りしめよう」―冒頭の「君らに僕は呼びかけよう」〈ウナーディークム〉の響きが良いことから、こちらが詩のタイトルだと思っているパレスチナ人も多い―は、1966年に発表されたものだ。
 ザイヤードがナザレの市長に就任するのは、1975年12月のことである。1976年3月30日には、このナザレを中心としたガリラヤ地方でパレスチナ人による抗議活動「土地の日」の行進が実行され、イスラエル北部での政治運動がにわかに活発になっていった*²。その後、3月30日の土地の日は、国際的なパレスチナ人への連帯の日へと変わり、2018年にはガザ地区で「帰還の大行進」と名づけられた大規模抗議活動を始める日付に選ばれた。

写真2

写真2 フッワーラ軍事検問所(2008年9月1日、筆者撮影)

 私は、2000年代以降にパレスチナ問題に関心を持った世代である。この世代は、人権や平和、信頼醸成などといった、一見すると公平で中立的なキーワードを用いる傾向にあるらしい*³。ただ、その反面として、民族自決や脱植民地化など、パレスチナ問題を歴史的に貫くような視座に欠ける点も否めない。
 2008年にパレスチナとイスラエルを初めて訪れた時、私はこうした「世代の特徴」を自らにも認めることになった。この旅行は、ヨルダンから陸路でエルサレムに向かい、その後は西岸地区の有名どころを巡る簡単なものだった。いま思い返しても冷や汗ものだが、イスラエルの物価高をよく理解せずに、財布には500米ドル程度しか入れていなかった。結果として、イスラエル国内をあまり巡ることができず、ナーブルスやヘブロンといった西岸地区の都市を訪ねることになった。
 ラーマッラーとナーブルスのあいだでは、当時まだ常時稼働していたフッワーラ軍事検問所を徒歩で越える経験をした。また、ふと立ち寄った書店では、親戚が政治囚として収監されている話を聞いた。当時の私を「救う」ことになった、イスラエルと西岸地区の経済格差も見逃すことはできない。このいびつな「日常」はどういった経緯で誕生したのか―、私のなかでパレスチナ問題の再検討が始まった。
 パレスチナ問題は、日本社会で比較的よく論じられ、重要資料のかなりの部分も訳文が容易に手に入る状態にある。中東関連の主題としては、かなりスタンダードな部類に入ると言っても構わないだろう。しかし、この紛争は、依然として「再読」や「再検討」の余地を多分に残していると感じる。地域として重なり合うパレスチナとイスラエルを総体的に捉え、安直な二元論―正義と悪、ユダヤとイスラム、パレスチナとイスラエル―に陥ることなく論じる力量が求められていると言えるだろう。

写真3

写真3 アッカー旧市街の城壁から飛び込みを競うアラブ系の青年たち(2019年8月6日、筆者撮影)

 さて、市民講座のためにかつて持ち出したDAMの一曲だが、これは図らずも私にとっての「教材」になった。この歌の歌詞には、一節だけ正則語調の箇所がある。「13人の死者は、祖国の気高き者、祖国の支柱…」といった具合である。何度か読み返すうちに、これが人名―たとえば、「気高き者」〈アラー〉、「支柱」〈イマード〉―を同時に示すものだと気がついたのは、講座を翌日に控えた夕刻のことだった。歌詞に編み込まれていた人物の名前は、2000年10月にイスラエル北部の衝突で死亡した13人のアラブ系市民のものである。つまり、冒頭と末尾のザイヤードの詩は、単なるサンプリング音源ではなく、この歌の中で明確なメッセージ―死亡した「君ら」への追悼―として機能していたのだ。
 最近になって、イスラエル国内のアラブ系市民を標的にした「ヘイトクライム」の報道を目にする機会が増えた。2021年5月には、ガザ地区周辺での武力行使のさなか、イスラエル国内のアラブ系市民が標的にされる暴力事件も発生している。ザイヤードが詩に書き、DAMがラップに組み込んだ厳しい社会情勢は、依然として続いていると言えるだろう。歴史的な視座を鍛えながら、情勢の変化にも気を配る必要を強く感じている。


*1 『UP』第557号, p. 47 (2019年3月号).
*2 詳しくは鈴木啓之著『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ 1967–1993』(東京大学出版会、2020年)を参照。
*3 詳しくは、板垣雄三著「日本とパレスチナをつなぐ市民運動の歩み」『復刻版 〈パレスチナ問題を考える〉:シンポジウムの記録』(第三書館、2012年)を参照。

書誌情報
鈴木啓之「《エッセイ》イスラエル/パレスチナと私 「再読」から浮かび上がる姿」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, IL.2.02(2023年3月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/israel/essay01/