アジア・マップ Vol.01 | ラオス

《総説》
ラオスという国

菊池陽子(東京外国語大学大学院総合国際学研究院・教授)

 ラオスの正式名称はラオス人民民主共和国で、インドシナ半島の中央に位置する、東南アジア諸国のなかでは唯一の内陸国です。北を中国、東をベトナム、南をカンボジア、西をタイ、北西をミャンマーの5か国に囲まれています。南北に細長い国土で、ベトナムとの国境はチュオンソン(アンナン)山脈、タイとの国境のうち約900キロメートルはメコン川です。メコン川に沿ったビエンチャン、サワンナケート、チャムパーサック周辺には平野が広がっていますが、国土の約8割は山地や高原です。特にラオス北部には標高1000メートル以上の山が連なっています。ラオスで最も高い山は標高2820メートルのビア山です。気候は雨季と乾季がはっきりしている熱帯モンスーン気候で、おおよそ11月から4月が乾季で5月から10月が雨季です。4月から5月にかけての乾季の終わりから雨季の始まりが1年で最も暑い時期で、平均すると28度から30度くらいですが、40度に達するような日もあります。乾季の1月から2月にかけて最も寒い時期となり、平均すると20度くらいですが、北部の標高の高い地域では0度くらいまで気温が下がる年もあります。

 国土面積は23万6800平方キロメートルで、日本の本州とほぼ同じですが、2021年の人口はラオス統計局によると約733万人です。2020年の国勢調査によると埼玉県の人口が約734万人ですので、埼玉県とラオスはほぼ同じ人口と言えます。本州の広さに埼玉県の人口ということを想像していただくと、人口の少ない国であることがわかると思います。東南アジア諸国のなかでは最も人口密度が低い国で、1平方キロメートル当たり32人(2021年、ラオス統計局)となっています。しかし、2021年の人口増加率は1.45%(ラオス統計局)で、人口は年々増加しています。特に首都ビエンチャンは就労や教育などのために人口の流入が最も激しい地域で、人口は約97万人(2021年、ラオス統計局)です。ラオスの人口の約13%が首都に集中しています。

 多民族国家であるラオスにはタイ(Tai)系言語、モン(Mon)・クメール系言語、モン(Hmong)・ミエン系言語、チベット・ビルマ系言語等、母語が異なる様々な民族が居住しており、現在、政府は国民を言語によって50の民族に分けて把握していますが、最も人口が多いのはタイ系言語を話す人々です。なかでもラオスの国名にもなっているラオ族の人口が最も多く、人口の約半数を占めています。政府はラオスの様々な民族の言語や文化を認めていますが、ラオ族の母語であるラオス語が公用語であり、行政や教育言語として使用されています。そのため、ラオス語が母語の異なる少数民族の間での共通語としての役割も果たすようになっています。

 ラオスの宗教と言えば、上座仏教を思い浮かべると思いますが、ほとんどのラオ族の人々が信仰しているのが上座仏教です。ラオ族の居住地域はメコン川流域や盆地などの比較的標高が低い地域に広がっており、そうした地域には仏教寺院があります。特に、1995年に世界遺産に登録された古都ルアンパバーンには、王朝時代に建立された寺院が点在しています。毎朝、ラオスの各地で、オレンジの袈裟をまとった托鉢僧に喜捨をする在家の人々の姿がみられます。年中行事も上座仏教の教えに基くものが多く、上座仏教は日常生活の実践のみならず人々の文化的要素を形成しています。その一方で、ラオ族もラオスの多くの少数民族も日本の八百万のカミ、あるいは精霊と言えるような「ピー」を祀っています。ラオ族にとっては、仏教徒であることと「ピー」を祀ることとは対立するのではなく、両立可能です。少数民族の人々の精霊信仰は、祀っている対象も儀礼の仕方も民族や地域によって異なっています。

 現在のラオスはラオ族が人口の約半数を占めていますが、ラオ族は11世紀頃に現在のラオスの地に移動して定住したと考えられています。現在は少数民族になっているモン・クメール系言語を話す人々がラオスの先住民であったと思われますが、この辺りの歴史についてはよくわかりません。ただ、現在、世界遺産に登録されている北部シェンクワーンの石壺遺跡や南部チャムパーサックのワット・プー遺跡等からラオ族が移動してくる以前に栄えた文明について思いを巡らすことができます。

 ラオ族を統合して最初に王国を築いたのはファーグム王です。ファーグム王は、1353年、現在のルアンパバーンを都に、ランサン(百万頭の象)王国を建国しました。現在のラオスにとって、ファーグム王は王国の統治体制を確立し、統治の基本原則となる法律をつくり、上座仏教を導入した建国の英雄です。首都ビエンチャンには2003年のランサン王国建国650年祭の時にファーグム王の銅像が建てられました。16世紀になると、ランサン王国は勢力を拡大した一方、東南アジア大陸部の西で勢力を拡大していたタウングー朝ビルマへの防御を固めるために、1560年、ビエンチャンに遷都しました。17世紀のスリニャウォンサー王の時代はランサン王国の黄金期と言われ、王国が繫栄し、仏教芸術や文化が花開きました。この時代の繁栄の様子は、当時、ランサン王国を訪れたオランダ東インド会社の商人やイタリアの宣教師が書き記しています。

 しかし、18世紀になるとランサン王国はルアンパバーン王国、ビエンチャン王国、チャムパーサック王国に分裂し、18世紀末にはいずれも勢力を拡大したシャムの支配下に置かれるようになりました。1827年、ビエンチャン王国のアヌ王は、シャムに反旗を翻しましたが敗北し、ビエンチャン王国はシャムによって廃絶されました。シャムに敗れたとはいえ、現在のラオスにおいて、アヌ王はシャムからの独立を求めた英雄です。2010年のビエンチャン遷都450年祭の際には、メコン川岸にアヌ王の銅像が建立されました。

 19世紀後半、フランスが東南アジア大陸部の植民地化を進め、1893年、フランスとシャムとの条約によって、メコン川左岸(ほぼ現在のラオス)がフランスの植民地となりました。フランスの植民地の時代は60年間に及びましたが、1945年3月から8月の間は日本が単独でラオスを支配しました。その間、日本は4月8日にルアンパバーン王国の独立を宣言させましたが、日本の支配下で主権を制限された「独立」でした。

 第二次世界大戦後、ラオスでは独立を求めるラオ・イサラ(自由ラオス)運動が起こりますが、フランスに再占領されてしまいます。ラオスの独立を求める人々は隣国のタイやベトナムでラオス独立のための活動を続けました。フランスはベトナムとの戦争を有利に運ぶため、1953年、ラオス王国の独立を認めましたが、ネオ・ラオ・イサラ(ラオス自由戦線)という組織を作り、ラオスの独立を求めていたスパーヌウォンらの活動は続きました。1954年、第一次インドシナ戦争に敗北して、フランスがインドシナから撤退すると、ラオス王国に対するアメリカの介入が始まり、アメリカの支援するラオス王国とベトナムやソ連の支援を受けたパテート・ラオ(「ラオス国」の意味であるが、ネオ・ラオ・イサラの後継組織であるネオ・ラオ・ハクサート(ラオス愛国戦線)を含むラオスの左派勢力のこと)との間で内戦が始まりました。この内戦は、1975年12月にラオスで王制が廃止され、現在の社会主義国家、ラオス人民民主共和国が成立するに及んで終結しました。

 第二次世界大戦後に独立運動が起こってから、30年間、ラオスでは戦争が続きました。戦争で多くの人々が死傷し、難民となりました。その間に行われたアメリカからの爆撃の被害は不発弾という形で現在も続いています。戦争によってインフラの整備もなかなか進まなかったため、新生ラオス人民民主共和国の国家建設の歩みは困難を極めました。社会主義国家建設のために導入した農業の集団化や企業の国営化は経済の停滞を招き、1986年には市場経済化へ舵を切りました。1990年代になると、市場経済化、全方位外交の取り組みの効果によって、次第にラオスの経済は上向き、諸外国との交流も盛んになってきました。1997年にはアセアンに加盟し、東南アジア諸国との関係を強化しています。

 日本とは、前述のように第二次世界大戦期に占領して以来、国家間の関係はありませんでしたが、1955年に外交関係を樹立しました。1975年にラオス人民民主共和国が成立してから一時関係は希薄になりましたが、1989年にラオスのカイソーン首相(当時)が訪日して以降、関係が密になっています。最近は、中国や韓国の投資や支援が目立ち、日本の存在は相対的に薄れていますが、1991年以降、二国間ODAでは日本がトップドナーとなっています。

 ラオスは東南アジア諸国のなかではあまり知名度が高くない国かもしれませんが、豊かな自然と文化、穏やかな人々の笑顔に溢れています。もちろん、経済格差の拡大、環境破壊、汚職等様々な問題も抱えています。それでも、ラオスのゆっくりとした時の流れや人々の寛容さ、温かさに多くの人が魅了されるのではないでしょうか。

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写真1 [文字列の折り返しの区切り]
早朝の托鉢風景(ルアンパバーンにて)(筆者撮影)

ラオス最大の仏塔

写真2 ラオス最大の仏塔:タートルアン、手前はセータティラート王像
(ビエンチャンにて)(筆者撮影)

ット・プー遺跡

写真3 ワット・プー遺跡(チャムパーサックにて)(筆者撮影)

 【参考文献】
・菊池陽子・鈴木玲子・阿部健一編 『ラオスを知るための60章』 明石書店 2010年12月
・ラオス文化研究所編 『ラオス概説』 めこん 2003年7月
・Lao Statistics Bureau, Statistical Yearbook 2021, Ministry of Planning and Investment, Vientiane capital, March 2022

書誌情報
菊池陽子「《総説》ラオスという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, LA.1.02(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/laos/country/