アジア・マップ Vol.01 | ラオス

《エッセイ》
ラオスと私

吾郷 眞一(立命館大学衣笠総合研究機構・教授)

 それは1988年ころだったと思います、当時国際労働機関職員だった私は初めての海外出張でラオス行きを命じられ、ジュネーブからはるばるビエンチャン空港に降り立ちました。経由地バンコクから、ボロボロのソ連製の旅客機にのり、これまたかなり原始的な空港に着くと、政府の職員が迎えに来てくれていて、明らかにソ連時代の建物と思われるランサンホテルという、天井が高いだけで内装はあまり立派ではないホテルに案内されました。職務は国際労働基準のセミナーをすることが主でしたが、余った時間、政府関係者が親切に色々と案内をしてくれました。郊外の滝を見学に行こうと言って、小一時間車で揺られていった先が、滝とは名ばかりで渓流にわずかの段差があるだけの代物で、しかし、ビエンチャンの人々の憩いの場であるらしく、かなりの数の家族が水遊びを楽しんでいるようでした。舗装もない道を滝にたどり着くまでのあいだ見かける沿道の家は、屋根だけで壁がなく、真っ裸の子供たちが動き回る姿が丸見えで、衝撃的でした。ただ、庭にはヤシの木がたくさんあり、今にも落ちそうな実が大量についているのが見えます。意外に生活は貧しいものではないかもしれないと思ったものでした。

 夕方食事をといって連れて行ってくれたところが、これまたレストランというには至らない、単なる小屋のようなところです。しかし、食事はおいしく、流れるラジオのラオ語の歌が日本の演歌のようで大いに癒されたものです。その歌の一つが千昌夫の「北国の春」そっくりなので、これは日本の歌だと言いましたところ、いや絶対にラオスのもの、と言い張ります。日本人のルーツはこの辺にあるのかもしれないと思ったほどです。

 いずれにせよ、この牧歌的なラオスの印象をもったまま10年後次に訪れたときのギャップはひどく大きく、ある意味でがっかりしたものです。1993年に日本の大学に戻り、留学生面接のためにビエンチャン空港に降り立つと、空港ビルが(日本の援助によって)近代的なものに代わっており、ラオ航空もエアバスの機体になっていました。そればかりか、市中に交通信号ができているのです。10年前は、ほとんど車は走っておらず、メインストリートにも水牛がのろのろ動く姿が散見されていたのです。ホテルもいくつも新しい海外資本のものができていました。 そのあと、毎年のようにビエンチャンに行くことになりますが、毎年その変遷ぶりに驚かされます。信号機が増えるばかりでなく、交通渋滞すらきたしているのです。韓国と中国の経済支援が大きいみたいです。その韓国の支援でできた町の中心部のメコン川沿いに作られた舗装道路は、もっともがっかりさせられるものでした。それまで、夕刻涼しくなった時にゆっくり散歩できていたところが、道路に占領され、屋台村すら取り除かれてしまいました。経済成長もいいのですが、あのゆっくり時間が流れるようなラオスに戻ってほしいという気持ちが強くなりました。(別の機会に訪れた古都ルアンプラバンでは、元々のラオスを満喫できました。)

 そのこともあり、90年代の私は、主として留学生の受け入れとラオス国立大学法学部への教育支援というソフトの側面での協力に注意を向けるようになり、JICAの法整備支援とも協力し、いくつかのセミナーも企画しました。一つは、ラオ語とタイ語の近似性に着目し、タイ・タマサート大学とチュラロンコン大学の友人の協力を得て日本、ラオス、タイの法制度比較というセミナー(名古屋大学の松浦教授と慶応大学の松尾教授の応援もありました)を開いたのはすでに10年前になります(写真1)。立命館法学部在職期間はアセアンスタディーという2単位授業を考案し、アセアン3国を10日ほどで駆け巡るのですが、その3か国の一つには必ずラオスを入れるようにしました。学生に、タイ、インドネシア、マレーシアのような開発が進んだ国ばかりではなく、アセアンには、まだまだ途上国(しかも最貧国)があるのだということを見てもらいたかったことと、それを機に、私も同行し、ラオス国立大学法学部の教員と協力して、2コマだけですが両大学の学生が一緒の授業を受けられるようにすること(写真2)、そしてそのあとに、私の最も気に入っているビエンチャンの中心街にあり、2階が屋外ビアガーデンとなっているコプチャイドウーというレストランにおいて、ラオスビール(ビアラオ)で一日を総括し、翌日の出発直前には、メコン川岸のホテルの屋上から沈む夕日見ながら、最後にもう一度ラオ料理を堪能し、ツアーを締めくくる(写真3 - たまたま女子学生だけが写っていますが、半数以上は男子)ことが目的でした。

比較法セミナー

比較法セミナー

授業風景

授業風景

陽を見ながら

陽を見ながら

 ラオスは他のアセアン先進国とは違ったラオスは新鮮に映るらしく、学生にとっても評判でした。まず、どの年の学生もラオスが一番良かったと言います。最近でこそ、近代都市になってきているとはいえ、ビエンチャンはまだまだ規模も小さく、人もおおらかなことが良い印象になっているのだと思います。この国には、グローバリズム(そして最近では中国による一帯一路政策)には吞み込まれることなく、ゆっくりと発展していってほしいと願っています。

書誌情報
吾郷眞一「《エッセイ》ラオスと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, LA.2.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/laos/essay01/