アジア・マップ Vol.01 | モルディブ

《総説》モルディブという国
観光開発とイスラームがもたらす新たな社会像

安田 慎(高崎経済大学地域政策学部・准教授)

 インド洋の島嶼部に浮かぶ国、モルディブ。正式名称「モルディブ共和国」(もしくは、ディベヒ語の「ディベヒの島々の共和国(Dhivehi Raa'jeyge Jumhooriyya)」)は、インド洋上のモルディブ諸島に位置するこの島嶼国は、南北2000km近い範囲に約1200近い島々が点在し、その多くが環礁と呼ばれる環状に形成されたサンゴ礁に覆われている。

 広範囲に島々が点在するものの島の面積は小さく、国土面積は300㎢程度に留まる。そのなかでも水資源を確保することは容易ではなく、人が住むことのできる島の数は限られ、200島近い環礁の島々に40万人程度の人口が住んでいる。しかし、人口の多くが首都マレの位置するマレ島とその周辺の島々(フルレ島、フルフマーレ島、ヴィリンギリ島)に集中している。実際、マレ市内には全人口の四分の一程度の13万人以上の人びとが在住し、世界で最も人口密度の高い都市のひとつに数えられている。狭い島のなかに所狭しと建てられる住宅や商業施設の数々に、モルディブが長年、住民の住環境の確保に苦心してきた姿を見て取ることができる。

首都マレの街並み(2020年3月、マレにて筆者撮影)

首都マレの街並み(2020年3月、マレにて筆者撮影)

 サンゴ礁に囲まれた自然環境は、メディアによって地球温暖化の影響を最も受ける国の一つとして紹介されることも多い。実際、気候変動によるサンゴ礁の死滅をめぐる問題や、熱帯魚やイルカといった豊かな海洋資源の絶滅をめぐる問題、そして海面上昇によって国土のほとんどが沈む可能性があるとして、環境保全や持続可能な開発を象徴する国として取り上げられるとともに、モルディブ自身も自らを持続可能な世界の在り方を示す国として表象している。

 民族構成を見ると、当地に長らく在住してきた「モルディブ人」と呼ばれる人びとが人口のほとんどを占めるが、近年では観光産業を中心とした諸産業に従事する外国人労働者も多く在住している。言語についても、モルディブでは公用語としてインド・ヨーロッパ語族のディベヒ語(Dhivehi)が話され、アラビア文字に起源を持つターナ文字と呼ばれる独自の文字を用いている。しかし、南北に長く、近年まで島同士での交流が希薄であったモルディブでは、各島の方言差も大きく、学校教育のなかで学ぶ標準語とは著しく異なっている点も特徴である。言語面では、近年の観光客や外国人労働者の受入を拡大していくなかで、英語が共通の言語ともなっている点も、特徴として挙げるることができるであろう。

左からターナ文字で書かれたディベヒ語、英語、タミル語で書かれたCOVID-19関連のポスター(2020年3月、マレにて筆者撮影)

左からターナ文字で書かれたディベヒ語、英語、タミル語で書かれたCOVID-19関連のポスター
(2020年3月、マレにて筆者撮影)

 1965年にモルディブ・スルターン国としてイギリスより独立した際には、漁業を中心とした国であり、一人当たりGDPも世界的に最も低い水準に位置する国の一つであった。実際、国際連合の関連機関のなかでも、国際的な支援を要する国として取り上げられてきた国である。しかし、1968年に国民投票で共和制に移行して以降、国内の生活水準は徐々に高まり、2021年には一人当たりGDPが1万米ドル近くに達している。その際、モルディブの経済水準を高める原動力となってきたのが、観光産業と高級リゾート開発である。

 モルディブを語る際に、日本においては新婚旅行(ハネムーン)の旅行先として注目されている点があげられる。実際、日本の大手旅行会社の広告では、南国のサンゴ礁に囲まれてスーツとウェディングドレスをまとう新郎新婦の写真をよく見かけるであろう。あるいは、サーフィン好きの人びとにとっては、年中温暖な気候の中で、季節に関係なくサーフィンを楽しむことができる旅行先として認識されているであろう。実際、産業別労働者の割合を見ても、観光産業が30%近くを占め、関連産業でも多くの労働者が働いている状況である

 こうしたモルディブの観光イメージが形成されてきた要因として、モルディブ政府が1972年より継続してきた、高級リゾートを1つの島の中に建設する「1島1リゾート(one island one resort)」戦略の存在があげられる。1971年にモルディブを訪れたイタリア人写真家で探検家のジョージ・コービン(George Corbin)とマレの実業家たちとの会話のなかで、住民の住んでいない島を観光リゾートとして開発するアイディアが生まれ、実行されることになった。マレの実業家たちによって開発された観光リゾートは、国際観光市場の隆盛とともに世界的な知名度を獲得するようになり、徐々に世界各地から観光客が訪れる海洋リゾートとして発展してきた。その過程で、モルディブでは欧米諸国からの南国イメージに沿ったリゾート地を建設すべく、モルディブ政府が主体となって、外資系の観光開発会社とともに、世界各地の富裕層を顧客とする高級リゾートを相次いで建設していった。その際、モルディブ各地に点在する無人島を1つの外資系の観光会社に独占的に長期間リースすることによって、空間的に閉鎖された、ゆとりのある高級リゾートを演出してきた。また、富裕層の多様なニーズを満たすために、国外からあらゆる事物が輸入されるようになり、その過程でモルディブ自体が外貨収入だけでなく、物質的にも豊かになっていった。現在では、国民一人当たりGDPが1万米ドル近くに達し、中進国としての位置づけを得るに至っている。

 モルディブにおける観光開発は単なる経済発展としての意味合いだけでなく、自然環境や海洋資源の保全、そしてサステイナビリティ(持続可能性)を体現するものとして、社会のなかで位置づけられてきた。特にモルディブ政府は観光リゾートの開発をサステイナブル・ツーリズムと位置づけ、外部からの資金や先端技術を積極的に導入することによって、自然環境や海洋資源の保全といったサステイナビリティを促進してきた。それに加え、サステイナブル・ツーリズムを促進することを通じて、地域文化の保全や地域コミュニティの持続的な発展、国民の文化水準の向上、地域アイデンティティの育成を目指しており、モルディブにおける観光振興は、社会のなかで多様な意味合いを付与されている。

 観光立国や持続可能な開発を目指す国としてのイメージが強いモルディブであるが、国民のイスラーム復興を政府が強力に推し進めてきた点でも、他のイスラーム諸国にはない独自性を発揮している。特に、1978年に大統領に就任したマウムーン・アブドル・ガユーム(Maumoon Abdul Gayoom)は、エジプト・アズハル大学出身としてのステータスを活用し、モルディブの観光開発を推進するとともに、イスラーム化政策も推進してきた。特に、全土における宗教施設や宗教教育の充実に加えて、シャリーア(イスラーム法)の厳格な施行を進めてきた。実際、モルディブ国民に対しては厳格なシャリーアの規定が適用され、宗教教育や宗教実践の遵守が徹底されている点にも特徴がある。

観光振興とシャリーアの関わりについていえば、観光リゾートが位置するリゾート島と、モルディブ国民が在住するローカル島との間でシャリーアの適用を厳格に分ける政策を展開している。すなわち、リゾート島ではアルコールや豚肉、他宗教のシンボル、服装規定といったシャリーアに抵触するモノや諸実践に制限が設けられない一方で、ローカル島では厳密にシャリーアが適用されるという、空間によって異なった規則が導入されている。

ローカル島のビーチにおける禁止事項を記した看板(2020年3月、マアフーシ島にて筆者撮影)

ローカル島のビーチにおける禁止事項を記した看板(2020年3月、マアフーシ島にて筆者撮影)

 モルディブにおける観光政策とイスラーム化政策は、一見すると異なった次元の政策であるかのように見える。しかし、広い国土と異なった地域文化を保持してきたモルディブにおいて、観光戦略とイスラーム化政策は、政府を中心とした中央集権化を促進する強力なツールとして機能してきた。その結果、現代においてはイスラームと観光が、モルディブ社会のアイデンティティの核として機能している点は興味深い。実際、COVID-19が流行していた2020年前半において、モルディブがいち早く国際観光客の受入と、モスクにおける集団礼拝の再開を目指してきた点で、社会における両者の重要度を図り知ることができるであろう。

 イスラームと観光を社会のなかでうまく両立させながら、独自の国家戦略を展開していくモルディブは、今後も他国にはない、ユニークな社会像を展開していくことになるであろう。

書誌情報
安田慎「《総説》モルディブという国 観光開発とイスラームがもたらす新しい社会像」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, MV.1.01 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/maldives/country/