アジア・マップ Vol.01 | モルディブ

《エッセイ》モルディブと私
人との出会いと研究と

箕輪 佳奈恵(筑波大学芸術系 特任助教)

 モルディブと私との関わりは、今からおよそ15年前に遡る。青年海外協力隊(現・JICA海外協力隊)として同国の小学校に教師として派遣され、現地の子どもたちに図工と体育を2年間に渡って教えたことが、全てのはじまりである。赴任直後から、英語も現地語であるディベヒ語もままならない状態で低学年児童の授業を任され、テーマに沿った描画や簡単な切り紙でなんとか乗り切る日々が数ヶ月続いた。ちょうどラマダン期間中で、健康上の配慮から体育の授業が全てキャンセルされるなど、カルチャーショックの連続だった。

 任地のフォームラク島はモルディブ最南部の赤道直下に位置しており、当然のようにクーラーなどない中、強烈な日差しと夜中も下がらない気温、じめじめと常にまとわりつく湿気が身にこたえた。地域特有の巨大な蚊(刺されると痛い)や、どこからともなく湧いてくるアリの大群(噛まれると痛い)など、南国の生き物たちにも悩まされた。リゾート地として知られるモルディブの一般的なイメージなど、一切存在しない世界だった。
 しかしそんな環境にも次第に慣れ、タンクに貯めた雨水を飲むことも、リハ(カレー)ばかりの食事も、早朝に鳴り響くバンギ(アザーン)も、いつしか自分の中でごく普通の日常になっていった。人間は順応する生き物なのだとつくづく思う。

 1人の教師として日々教育に携わる毎日は、基本的にはとても楽しく充実していた。教育に対する考え方や、入手できる教材の違いなどに戸惑いを感じながらも、子どもたちは皆人懐こくかわいかったし、何より「小学校で図工を教える先生になりたい」という当時の夢をモルディブで叶えられたことがうれしかった。

絵の具で混色を学ぶ5年生の図工の授業。画材や道具の適切な使い方を身につけさせる目的もあった。(2010年筆者撮影)

絵の具で混色を学ぶ5年生の図工の授業。画材や道具の適切な使い方を身につけさせる目的もあった。(2010年筆者撮影)

3年生の子どもたちと出かけた遠足。トラックの荷台に乗りこんで移動する。(2010年筆者撮影)

3年生の子どもたちと出かけた遠足。トラックの荷台に乗りこんで移動する。(2010年筆者撮影)

 そのような中、モルディブでは西洋諸外国に倣ったナショナルカリキュラムに基づいた学校教育が広まりつつも、実は現場レベルでは国教であるイスラームの影響を強く受けていることを実感する経験をした。最も印象的だったのは、図工の時間に子どもたち同士でお互いをスケッチする授業を行おうとした際、担任の先生に「ムスリムは人を描いてはいけないんだよ」と注意されたことである。イスラーム文化圏において、人や動物の表現が避けられる傾向にあるという話は知ってはいたが、モルディブのナショナルカリキュラムや教師用の指導書にはそのことに関する記述はなく、また、それ以前の自分の授業で人や動物を表現する活動をしたことがあったが、それを止められることもなかった。結局、その担任の先生が周囲の先生たちとも相談して、「やっぱり問題ない」という話でその場はまとまったのだが、イスラームと美術表現の関係性を象徴するようなこの出来事はその後もずっと私の心に残り、ムスリムにとって美術教育とはどんな存在なのだろうと考えさせられ続けた。そしてこれを学問的にもっと追求してみたら面白いかもしれないと思うようになったのが、研究者としての原点である。

 今、駆け出しの研究者としてモルディブに思いを馳せる時、まず心に浮かんでくるのは、そうした研究の着眼点としての出来事やその現場となった自分の教育実践よりも、あの国で出会った人々のことである。

 これまでどの論考でも触れたことはないが、モルディブ生活後半の1年程度は、現地の家庭でホームステイをさせてもらっていた。中年のモルディブ人夫婦とその姪の3人という家族と共に暮らす中で私は、ムスリムの日常生活や慣習、彼らの寛大さや愛情の深さに直に触れることになった。特にホストマザーには、日々の食事(3食おやつ付)から衣類の洗濯など、まるでその家の子どものように、あらゆる面でお世話になった。信心深く、一方で非ムスリムである私にも寛容だった彼女は、ラマダン時期の断食中にも、「味見が出来ないからおいしいかどうかわからないよ」とすまなそうに笑いながら、私のためだけに毎回昼食を準備してくれた。彼女のおいしい料理の数々と、別れの日の朝の何とも言えない表情が今も忘れられない。

 また、博士後期課程の学生時代に、首都マーレとウクラス島でのフィールドワークを1ヶ月行った際には、調査対象でもあった学校の先生たちに大変可愛がってもらった。授業観察や担当教師へのインタビュー、年間指導計画などの一次資料収集を進めさせてもらう傍ら、ご自宅に招かれて手料理をご馳走になったり、ホタと呼ばれるカフェで世間話をしたり、激辛に調味された魚のバーベキューに誘ってもらったり、小舟に乗って夜釣りに連れて行ってもらったり、新しい生地でワンピースを仕立ててもらって学校のイベントに参加したりして楽しんだ時間は、本来の目的であった研究調査にも影響を与えるほど、いやむしろこちらの方が重要だったのではないかと思うほどに、本当に価値のある貴重な体験だった。

 研究動機として公には書くことの出来ない、モルディブで出会ったこのような人々の存在や、彼らと交わした何気ない会話、同じ空間で共有した個人的な経験も、私を研究に駆り立てた大きな原動力だったと思う。今、私や私の研究は、何かこの人たちの役に立っているだろうか?

夜釣りの船上にて。豊漁に盛り上がる。(2014年筆者撮影)

モルディブで人気の球技(バシボール)に興じる女性たち(2014年筆者撮影)

 現在、私はイギリスのユニバーシティ・カレッジ・ロンドンに長期出張中で、これまで進めてきた美術教育研究を発展させた国際共同研究に着手したところである。そもそもモルディブに行っていなければアカデミックの世界に飛び込むことなどなかったし、こうして海外で研究する機会を得ることもなかったであろうことを考えると、人生は面白い。大概は自分の望み通りになどならないのに、時に思いもしない巡り合わせがあったりする。「インシャッラー(=神がお望みであれば)」の言葉の通り、神様がそう望んだのかもしれないね、と密かに思ったりしている今日この頃である。

書誌情報
箕輪佳奈恵「《エッセイ》モルディブと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, MV.2.02 (2023年4月25日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/maldives/essay01/