アジア・マップ Vol.01 | 台湾

《エッセイ》台湾と私
「親日台湾」と私

 天江 喜久(早稲田大学国際和解研究所・招聘研究員
元長栄大学台湾研究所・副教授)

 2007年に台湾に赴任してから、15年の歳月が経った。当初は博士論文の延長で台湾長老教会と台湾ナショナリズムの研究をしていたが、しだいに現地での日常で実感した台湾の親日現象について考えるようになった。台湾では日本ブランドの人気が高く、街の所々で日本語を目にする。一般的に日本人は好かれているため、日本語で話しかけられることもしばしであった。50年間日本に植民地統治された台湾は、なぜこうも親日的なのだろうか。韓国人の妻は筆者以上にそのことを不思議がり、始めのうちはかなり理解に苦しんでいるようだった。もっとも、台湾人の親日は日本に統治された過去との関連よりも現在的な要素が強い。日本のアニメや漫画は絶大な人気を誇り、日本旅行を愛する者も多い。とはいえ、現代日本への好感は決して過去(戦前)の日本と無関係ではない。現に、台湾には日本統治時代の遺産がさまざまな形で残っている。

 地元の言語、地名、食文化、生活様式は日本文化の影響を受けており、台湾各地で日本時代の建造物を目にすることもできる。しかし台湾におけるそうした帝国主義の遺物は、過去の汚点として排除されているというよりは、むしろ包摂されており、その点韓国とは正反対である。注目に値するのは、それらの建造物が戦後77年間、変わらずそのままにそこに残されてきたのではなく、民主化が進んだ近年、精力的に修復、整備され、商業施設や観光名所として再生されてきたということである。ポストコロニアル台湾のこの「応用力」。それは一体どこから来るのだろうか。

 台湾での日々を過ごしていくうち、そこには単に親日では片づけられない政治性があると筆者は考えるようになった。戦後、国民党の一党独裁政権下、長期に及んで自由が奪われ、民主化以降も台湾併合をもくろむ中共の野望にさらされてきた台湾人にとって、日本統治時代の過去を記憶することは、台湾の独立主体性を主張することをも意味する。すなわち、台湾の特殊な政治事情によってコロニアル・ノスタルジアが演出されているのだといえよう。

 台湾ポストコロニアル研究の一環として、筆者は台湾各地を回り、日本時代の歴史遺産について調査してきた。つい10年ほど前までは放置され、廃墟化していた日本時代の建築物や記念碑も、いまではすっかり整備され、観光案内板が置かれるまでになっている。こうした一連の動きは、台湾独立志向の強い民進党政権の上から下への政策による成果であると同時に、民主化ののちに、自分たちの過去を取り戻そうとする現地住民による市民参加型まちづくり活動の結果であるといえる。2000年以降、台湾を「正統中国」とする政治神話が崩壊すると、台湾人はそれまで無視、あるいは意図的に排除されてきた50年間の日本統治の歴史を掘り起こし、記録し、自国の歴史として受け入れるようになった。「台湾人」というナショナル・アイデンティティは、そうしたプロセスの中で創出されてきた。今では全体の8割近くの人たちが自分たちを「台湾人」と認識し、「中国人」とは言わなくなっている。 だが、日本時代の建造物が多く現存するから「親日」なのだと決めつけてしまうのは早計である。台湾の「親日」の中身は、実に複雑多様で、それは「日本統治が懐かしい」「あの時代がよかった」といった考えとは、必ずしも直結しない。

 筆者は、この15年間の教育、研究を通して、親日ムードにかき消されがちな「異音」に少しずつ気づくことができるようになった。日本教育を受けた日本語世代のおじいちゃん、おばあちゃんも、付き合いが長くなるといろいろな本音が出してくれるようになる。たとえば「日本人にいじめれた」「馬鹿にされた」「悔しい」といった類の声である。日本人としては実に耳の痛い話である。帝国日本に動員された台湾人元日本軍人軍属や従軍看護婦の人たちの中には、日本の戦後処理に強い不満をもっている方々もいる。戦後50年経ってようやく払い戻された軍事郵便貯金は、日本政府に一方的にレートが120倍と決められた。戦死者および重傷者に至っては、1988年の特別法で日本円200万円が補償されたのみである。「従軍慰安婦は500万もらえるのに、私たちは相手にもされない」と嘆く元従軍看護婦のおばあちゃんの言葉を聞いたとき、筆者は日本の戦後補償の在り方が台湾人を分断していることに気づかされた。

 台湾にはまた、戦後国民党政権と共に中国から逃れてきた「外省人」が存在する。彼らは日本の侵略を体験しており、中には日本軍に家族を殺された方もいる。戦後、日本人が我が物顔でやってきては、台湾人にちやほやされているのを目の当たりにして、いい気がしない彼らの気持ちは十分理解できる。さらには、人数こそ少ないが、日本統治時代に台湾に移り、戦後そのままとどまった「朝鮮人」とその子孫の方々も存在する。様々な民族が入り混じった台湾では、その過去の記憶の問題は複雑である。それに加え、中国の脅威は年々増しており、台湾の将来は不確定要素が少なくない。日本人としての「原罪」を意識しつつ、東アジアの歴史和解と平和について今後も引き続き考えていきたい。

筆者と元日本軍軍属の楊さんと元従軍看護婦の廖さん(2020年撮影)

筆者と元日本軍軍属の楊さんと元従軍看護婦の廖さん(2020年撮影)

台湾に今も残る日本統治時代の遺構(台湾・南投県)

今も残る日本統治時代の神社の遺構(台湾・南投県)

台湾に今も残る日本統治時代の遺構(台湾・南投県)

コロニアル・ノスタルジアを醸し出す台湾人アーティストの作品(克朗德美術館ウェブサイトより)

書誌情報
天江喜久「《エッセイ》台湾と私 「新日台湾」と私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, TW.2.02 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/taiwan/essay01/