アジア・マップ Vol.01 | タイ

《総説》
タイという国

速水洋子(京都大学東南アジア地域研究研究所・教授)

 タイの現在の正式国名は、タイ王国(ラーチャ・アナチャク・タイThe Kingdom of Thailand)である。20世紀初頭までの国名は「シャム」だった。これはサンスクリット語由来とされるが外国勢力によるいわば他称に基づくもので、1938年に近代国家へと邁進するなかでタイ族の国民国家として「タイ」に改称された。ただし、タイ国民は後述するようにタイ族ばかりではないため、この国名は適切ではないという議論は今も一部で続いている。国王のもとにある立憲君主制国家であるが、2016年に亡くなった先代のラーマ9世王の在位末期から、その権限や王室に対する不敬罪の厳しさをめぐって論議が盛んになっており、現在の軍事政権下にあって、政権の行方とともに今後の動向が注目される。

 タイの国土は51.3万平方キロで、日本の1.35倍におよび、気候的にはモンスーンの影響の大きい熱帯地域にあり、特に雨季の8月から10月頃は国の中央を流れるチャオプラヤー川が河口に向かう中央平原地帯は洪水に見舞われることが少なくない。地理的には、同河川の源流である山地を含む北部、乾燥しがちで最も貧しいとされてきた東北部、バンコクを中心とした豊かな平原の中央部、そしてマレー半島に入り熱帯雨林地帯でゴムやヤシ油の産地である南部からなる。

 タイの全人口は7千万弱であるが、「タイ」という場合に、英語ではThaiとTaiがあり、前者はタイ国民を指し、後者はタイ系諸語の話者たるタイ民族を指す。タイ国籍を持つタイ国民の民族構成は多様で、タイ族のみならず、華人、ベトナム、クメール、インド系、ラオ、南部のマレーや北部の山地のチベット・ビルマ語族、カレン系語族、メオ・ヤオ語族などの様々な言語を話す少数民族などを含む。一方、タイ民族、あるいはタイ系言語を母語とする人々は、現在のタイ国土に限定されることなく、東はベトナムの黒タイ、西はインドのタイ・アホーム、ミャンマーのシャン、北は中国のタイ族や壮族などと広く分布する。大陸部東南アジアは、この様に複雑な民族のモザイクの上に現在の国境が引かれ、国境によって定められた各国内で民族を超えた国家統合が進められてきたのである。

 歴史的には現在タイ国がある場所には、タイ族よりも以前からモン・クメール系の人々が先住して王国を築いていた。そこへタイ系民族が南下して王国を築いたのであり、民族・言語・宗教信仰等、様々な面で多彩に重なり合っている。まさに、タイ出身の歴史家トンチャイ・ウィニッチャクーンが、『地図がつくったタイ』(石井米雄訳)に記している通りである。

 しかしむしろそうした多様性のゆえに、タイ国王のもとでタイ語を母語とし、上座仏教を信仰する「正しいタイ人」像が、国家統合の過程で強調されてきたともいえる。近代国家の統合を目指すころには既に「タイ」を自認する人口が7-8割とマジョリテイであったこともその背景にあるだろう。隣国ミャンマーのように少数民族人口がマジョリテイと拮抗する状態であれば、このような「タイ」像を描くことは難しかったであろう。

 タイの歴史を語るうえで、二つの対がある。第一は、インド世界と中華世界である。上述の通りヒンズー・サンスクリットのインド世界の基層文化とともに、中華世界との接触流入が継続してきた。第二は、湾岸や海域と河川で連なる港市国家の世界と、内陸の農業ベースの盆地国家の世界とである。これもまた前者はインド世界とのつながりが強く、後者は中華世界とのつながりが強い。タイの文化や歴史は、物質文化、制度、宗教信仰、言語や思想世界などあらゆるところでこの二つの潮流を踏まえつつ独自に編みあわされてきたといえるだろう。

 タイの義務教育で学ぶ歴史は、王朝の歴史として語られるが、それは上述の対の作用のなかで権力の集中から起こった王朝という中心から語る歴史である。タイ族による王朝の始まりは、13世紀に先住のモン・クメールの人々の地に南下してきたタイ族がその文化を吸収しながら形成したスコータイ王朝に始まり、次いで港市国家アユタヤ王朝、そして現在のバンコクを王都とするチャクリ王朝へと続く流れで理解される。しかし同時にその王国には常に陸や海を越えて人の流れと交易があった。そうしたなかで、王権はアユタヤ王朝以降は貴族と平民の身分と位階制をしいてきたが、今日にいたるまで、タイの社会経済を特徴づける階層分化を、王権を中心に守ってきたともいえる。シャムからタイへと改称し、立憲君主制の歩みを進めてもなお、王権と軍部や官僚エリートを中心として堅固に守ってきた旧秩序は、今もなお政治のみならず、人々の日常から文化・社会のあらゆる面に影響力を持つ。1990年代には中進国入りしたといわれ豊かさを享受する中流階層が拡大しながら、ここ20年程、政治的分断と不安定が続いているのはその旧体制の維持と民主的な変革を求める力の拮抗の結果ともいえる。

 しかし、タイといえば「ほほえみの国」、そしてタイ人は「マイペンライ」で知られるものやわらかな、心地よくある種いい加減さも許容する付き合いやすい人々、というイメージがあるのもたしかである。実際にタイに行った多くの日本人が美味しいタイ料理とともに、タイ人、タイという国に魅了されてきた。タイはものやわらかな所作で、厳然とした階層や上下関係を守り持続させてきたともいえる。そのことはたとえばタイ語の丁寧語の諸段階にも見られるし、ワイという体の前で両手を合わせる挨拶にも見られる。このワイの位置が高いほど相手の地位が高い。うっかり考えもせずに顔の高さでワイをすれば、相手は吃驚する。上下関係というと階層以外にもう一つ、タイの社会関係で重視されるのが、年齢の上下である。初めて会った同士で年齢が近そうな場合は、お互いの年齢をまず確認し合い、どちらがピー(兄あるいは姉)で、どちらがノーン(妹あるいは弟)であるかを確定させ、年下は年上を「ピー」と呼び尊重するのである。

 ものやわらかさの背景の一つには仏教信仰もあげられる。宗教的には、ヒンズー世界と精霊信仰の基層に上座仏教が広く浸透し国民の95%は仏教徒である。憲法は信教の自由をうたうが、国王は仏教の擁護者であるという意味で国教に準ずる。公的な場面でセレモニーが行われるときには、読経で始まる場合が少なくない。上座仏教社会は、寺院に起居して戒律を守る僧侶の組織であるサンガに対して、俗人が働いて得るなどした財を寄進することで支える。しかし、これを「ありがたがる」のは寄進をされた僧侶ではなく、寄進することで徳を積むことができる俗人の方なのである。僧侶は読経と修行の生活により涅槃を目指し、世俗の民は徳を積むことでより良い来生を願う。こうしたなかで、黄衣を纏った僧侶も、積徳をする在俗者もタイでは日常的な風景である。都市部であっても朝、僧侶が列をなして托鉢をし、家々からの外で食事や食料を鉢に入れ、僧侶の祝福を受ける在俗の人々の様子はしばしば目にする。

 またタイの上座仏教において、僧侶として受戒するという最高の積徳行為、そして涅槃への道自体が女性には閉ざされていることから、女性は劣位におかれる。タイでは女性の社会進出が非常に進んでいるといわれる一方で、平均給与は男性が女性の1.5倍以上と言われる。ビジネスや大学で女性が活躍しているものの、官職でも高い地位になるほど女性は少ない。一方、家族のなかでも女性は多くの責任を担う。結婚して親元に残って同居することはどちらかというと女性に求められ、老後の親のケアは娘に期待される傾向がある。女性は実家の両親のみならず弟妹をサポートすることが求められがちなのである。だからこそ、女性は働いて実家を支えることを期待されており、家庭と仕事との二重役割を求められる。それに対し、男性は家を離れるのは当然とみなされ、またたとえば僧侶として出家することも自由であるばかりか、ポジテイブに評価される。女性の社会進出が盛んであると言われるタイだが、そこにはこうしたジェンダー役割と価値づけの構図がある。

 さらに、タイは性的マイノリテイに開かれた社会であるというイメージがある。たしかに街の店舗や飲食店などで日常的にガトゥーイやトムボーイというLGBTに出会う機会は少なくない。しかし偏見や差別がないわけではなく、特に雇用においては差別がみられる。2022年6月にシビルパートナーシップ法が閣議で承認され、国会審議が待たれている。これが通れば、同性として生まれた者同士がパートナーとして、異性婚カップルと同じ個人及び共同財産権や養子縁組の権利を持つこととなる。これにはしかし本来の婚姻における平等とは異なるという異論もあり、議論は尽きない。

 政治的な不安定、特に都市部における男性出家の減少、女性の出家やLGBTをめぐる論議など、中進国化を経てタイは大きく変貌しつつある。しかし今尚、タイを訪れれば、その融通無碍な柔軟さに感心させられる。

 魅力いっぱいの国タイへ、ようこそ。

書誌情報
速水洋子「《総説》タイという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1,TH.1.02 (2023年3月16日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/thailand/country/