アジア・マップ Vol.01 | タイ

《エッセイ》
タイと私

吾郷 眞一(立命館大学衣笠総合研究機構・教授)

 基本的に欧州人間であった私(10代前半はドイツ、20代後半はスイス)は、アジアをもっと知らなくてはと思い、30歳のときタイとシンガポールを訪れました。チュラロンコン大学のヴィティット教授の私宅に招待されたのが、タイの初体験でした。それからしばらくは縁がなく、ILO(国際労働機関)に勤務するようになって再び欧州人間になりかかったところ、バンコクにあるILOアジア太平洋地域事務所に興味深いポストがあることを知り応募、1989年から93年まで国際労働基準地域アドバイザーという職務で、バンコクに居を置きました。しかし、守備範囲が西はパキスタンから東はモンゴルおよび南太平洋諸国まで広かったため、バンコクにゆっくりする時間は長くはなく、タイとの関係が緊密になったのは、むしろILOを辞め1993年に日本の大学に戻ってからでした。

 とりわけ縁が深くなったのが、タマサート大学法学部でした。

 王宮(エメラルド寺院)前広場(サナムルアン)に面し、それとチャオプラヤ川に挟まれたところにタマサート大学タープラチャン・キャンパスがあります。大学の象徴である時計塔がある川縁の本部ビルを正面とすると、グランドを囲むようにして文系学部が並び、ひときは大きい緑色の屋根の講堂がグランドの向こう側、王宮前広場の前にそびえています。そちら側の門から入ったすぐ、1973年の学生・市民運動の弾圧被害者を追悼する像が並んでいるところに、この大学の歴史が刻まれています。その記念碑の後ろにある、中庭(写真1)を挟んで4階建ての校舎が、タイで一番古いとされているタマサート大学法学部ですが、現在はこのキャンパスには大学院と学部英語コースの学生だけが学び、通常の学部学生は、車で1時間ほどの距離にあるランシット・キャンパスに通っています。私は、この学部と30年以上のつきあいがあり、学部間交流を推進してきました。10年ほど前には東京財団の授業助成を受けて客員教授として半年間滞在したこともあります。その後も、毎年必ず訪ねているので、このキャンパスにはなじみが深いばかりか、2008年には貢献賞を学長からいただきました。

写真1 法学部中庭

写真1 法学部中庭

 タイにはタマサートと並ぶライバル校としてチュラロンコン大学があり、実は私はそちらでもほぼ20年間、毎年2週間ほど集中講義をしてきています(写真2)。そちらとの関係も深いのですが、なぜか親しい友人はタマサートに多く、授業や研究の後、チャオプラヤ川に岸辺のレストランでシンハ・ビールを飲みながら歓談するのが、とりわけ心地よいのです。外国の大学で授業をすることを条件に費用を出してくれる、前記東京財団の応募面接のとき、「普通の応募者は欧米の大学に行くものですが、貴方はタイに行かれるとのこと。タイ料理が食べたいのですか?」という意地悪質問をされました。まさに、それに近いのですね。タイをよく知る人は、よくもタマサートとチュラロンコンというライバル校とに同時に関係を持てるね、と言われます。たしかにタマサート出身では決してチュラロンコンの法学部長にはなれない、と言われています(その逆は稀ですがあり得、現在のポックポン・タマサート法学部長はチュラロンコン大法学部出身です)。外国人だから許される、両校との付き合い方なのでしょう。

写真2 Chula 08

写真2 Chula 08

 タマサート大学タープラチャン・キャンパスは、道路の渋滞を気にすることなく、舟で大学にたどり着けることもまた格別。キャンパス名タープラチャンのターは船着き場の意味で、急行便がとまる対岸のタープランノックから3.5バーツ(15円くらい)払って渡し船で渡ってこないといけませんが、少し下流に下がったところにターマハラ―という急行便もとまるターが数年前に開かれて、大学側の川沿いですので通常はそちらを利用します。市中心部からモノレールを使うと15分以内でタータクシン中央船着き場に着き、そこから30分ほどの航行です。途中観光名所(特に、暁の寺として有名なワットアルンは美しい)を通過しながらターマハラーに着き、シラパコン国立芸大を横目に見ながら、仏具小物店が軒並み続くアーケードを通り抜ける通学路は、毎日退屈しません。バンコクにいるなと感じる瞬間です。

 数年前からはこのタマサート大学で、一か月逗留し授業、(写真3)セミナーなどを行うことを条件に外国人学者を招聘するというプログラムにのせてもらっています。コロナ禍で訪問中止が2回ありましたが、2021年夏には再開し、8月いっぱい滞在し戻ってきたばかりです。毎年1カ月バンコクに滞在できるというのは、タイ好きにとってはまたとない機会です。

写真3 タマサート授業風景

写真3 タマサート授業風景

 今年も最後の授業日が終わり、古くからの知り合いで10年前に法学部長をしていたカムチャイ教授と構内で偶然すれ違い、昔話(学部の行事としてスパンブリまで一日旅行をした思い出とか・・・)を少ししてから船着き場に向かいました。今年の雨季はよく降り、シーロム通りにある宿舎の前が一瞬洪水になった日もありましたが、幸い通勤には支障がありませんでした。また来年も訪れるであろうことを楽しみにしてタープラチャン・キャンパスを後にしました。

書誌情報
吾郷眞一 「《エッセイ》タイと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, TH.2.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/thailand/essay01/