アジア・マップ Vol.01 | タイ

《エッセイ》
タイと私 自身のタイ研究を振り返る

玉田芳史(放送大学京都学習センター所長/特任教授)

タイ政治研究事始め
 私は、半ばモラトリアム的な気持ちで1981年に京都大学法学研究科の修士課程(政治学専攻)に進学した。何を研究したいという強い意欲があったわけでもない。1年生のときに指導教員から「これからは日本とアジアの関係が密になるので、東南アジア政治をやってみないか」という助言をいただき、先達に相談してタイを対象国に決めた。お粗末な修士論文を仲間の助けを借りて仕上げた後、博士課程1年の1983年に、文部省アジア諸国等派遣留学生としてタイへ留学した。それが最初のタイ渡航であった。

 チュラーロンコーン大学に籍を置いて、1年目は語学学校に通ってタイ語を学んだ。半年以上が経つと、毎晩大衆食堂でビールを飲みながらタイ語の新聞雑誌を読むのが日課になった。大衆紙誌と学術研究書では、伝わってくるタイ政治のイメージがまったく違うことを知って、週刊誌を読むのが楽しくなった。2年目には大学の授業で、新聞記事に依拠してタイ語のレポートを書くようになった。

 1985年の帰国後に、その期末レポートを下敷きにした日本語論文を書いて『法学論叢』(京都大学法学部の紀要)に掲載してもらった。数年後に英訳して『東南アジア研究』に掲載してもらうと、面識のないタイの高名な学者が引用してくれた。同人が引用した最初の日本人らしい。それがタイ語に翻訳されて大学教科書の1章になったおかげもあって、留学中の学友の他にも、交流してくれるタイ人が増えた。

出藍の誉れ
 京都大学で大学院の授業を担当するようになると、タイから留学生がやってくるようになった。最初期の一人がカムパカーである。彼女が著述家やキャスターとしてタイで超有名人になると、「カムパカーの指導教員」ということで私の名前も知られた。私自身は、彼女ほど過激ではないため、実際に会ってみるとがっかりされることも多い。

 彼女のほかに、振り返ってみれば、私のもとでタイ政治を学んだタイからの留学生たちがチュラーロンコーン大学、コーンケーン大学、ラームカムヘーン大学、NIDA、モンクット王工科大学で教鞭を執っている。定年退職前最後の教え子の博士論文が2023年度の「アジア太平洋研究賞(佳作)」を受賞した。2020年度には日本人の教え子が同賞を受賞している。こうした出藍の誉れは教師冥利に尽きる。

飲み会と友達の輪
 私は人類学者のような調査村を持たない。タイに行ったときに立ち寄るのは主として書店と大学であり、公文書館に通っていた時期もある。大学では図書館で資料を読んだり集めたりし、その後タイの研究者と食事をとりながら雑談をする。1990年代にほぼ半年ずつ3度にわたって京都大学のバンコク連絡事務所に駐在した。昼間はオフィス兼住居に籠もり、日が落ちると、タイの友人と飲み会に繰り出すことが多かった。

 タイでは「政治は足し算」と言われることがある。研究も同じだと思う。知り合いは多い方がよい。やり手の政治家は一度会った人のことを絶対に忘れないと、具体的な名前に言及しつつタイの知人が聞かせてくれた。そうした能力が完全に欠落する私であっても、研究者や大学院生と飲み会で放談ができれば、その人のことを覚えている。飲み会は、友達の輪を広げ、知識や見聞を吸収する上でとても有意義である。

 そうした友人が来日したときには、実家の畑で放置(=無農薬)栽培した梅で作った梅酒を提供して、梅の濃度やアルコールの種別の違いを楽しんでもらった。賞味期限がある日本酒の場合には、時季がよければ、買い置いたものを試飲してもらうこともあった。おかげさまで、私を訪ねれば美酒が飲めるという噂がタイの一部では流れていたらしい。

タイへの還元
 私は1987年から3年間松山市の愛媛大学で勤務していた。そこでイギリスの日本研究者イアン・ニッシュ氏が一般市民を相手に日本語で講演をしたことがあった。質疑応答も日本語である。私はこれぞ地域研究者の鑑だと感銘を受けた。

 私は1990年代からタイの大学で学生相手にタイ語で講義や講演をすることがあった。21世紀に入ると、聴衆に一般市民も混じるようになった。タイの政治状況に関するチェンマイ大学での講演で口にした「誰と戦っているのか?国民と戦っても勝ち目はないぞ」という一節が、タイ西部ラートブリーの赤シャツ活動家の看板に大書されたこともある。見ず知らずの遠方の同志にメッセージが伝わったことはうれしかった。

 タイ語でタイ政治を語れる外国人ということが理由の1つになって、2008年12月にタイ政治学会の全国大会で基調講演をした。黄シャツの反政府デモ隊が国際空港を封鎖している最中であり、日頃利用することのない成田空港からウタパオ空港への特別便で渡航した。講演会会場となったチュラーロンコーン大学の講堂では、学部生も動員されて千人を超える聴衆を前にして、空港を占拠する暴徒への怒りも手伝って、民主化を妨げる勢力を熱っぽく批判した。格式高い講堂でネクタイなしに講演をした最初の人物かも知れないという冗談交じりの皮肉を後から聞かされた。

 学者よりも学生や一般市民を相手にした講演のほうが楽しいというのは、研究者失格なのかも知れないが、地域研究にとっては大事なことであろう。

2006年6月7日タイ・バンコク反政府デモ集会会場で托鉢をする僧侶集団

2006年6月7日タイ・バンコク
反政府デモ集会会場で托鉢をする僧侶集団

2008年12月1日成田空港案内板バンコク行きは欠航、ウタパオ行き臨時便が運航

2008年12月1日成田空港案内板
バンコク行きは欠航、ウタパオ行き臨時便が運航

2012年3月15日タイ・バンコク繁華街サヤーム・スクウェアにて教え子やその友人とのスナップ写真

2018年10月2日タイ・チュラーロンコーン大学政治学部
講演(出前授業事業)

書誌情報
玉田芳史 「《エッセイ》タイと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, TH.2.04(2023年9月5日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/thailand/essay03/