アジア・マップ Vol.01 | ウズベキスタン

《エッセイ》
ウズベキスタンと私

宗野ふもと(The "Silk Road" International University of Tourism and Cultural Heritage・助教)

 私がはじめてウズベキスタンに行ったのは、2003年の8月のことだった。当時大学3回生だった私は、自分の目で憧れのイスラーム建築を見たいと思い、ウズベキスタン行きを決意したのだった。この旅行がとても印象深かったために、その後、約20年にわたりウズベキスタンの研究をすることになった。

ティムール朝の創始者ティムールが建設したというビビハヌムモスク。

ティムール朝の創始者ティムールが建設したというビビハヌムモスク。

 2009年から2011年には、タシュケント国立東洋学大学と科学アカデミー歴史学研究所に籍を置き、ウズベク語とロシア語を学び、カシュカダリヤ州で手工芸や女性の生活に関してフィールドワークをする機会を得た。その後、博士論文の執筆、中央アジアとは関わりのない組織への就職、新型コロナウィルス流行によって、ウズベキスタンへの渡航がなかなか叶わない時期もあった。しかし、2022年9月からは、縁あってサマルカンド市の大学で働いている。自分の研究生活において、ウズベキスタンに長期滞在する機会を二回も得られたことには感謝の気持ちしかない。

ティムール朝の創始者ティムールが建設したというビビハヌムモスク。

カシュカダリヤ州のホームステイ先で。絨毯の織り方を学ぶ。

 前回の留学から11年が過ぎ、私は、この間に大きく変化した(しつつある)ウズベキスタンの暮らしに驚きの日々を過ごしている。とどまるところを知らない市街地の拡張、イスラーム・ヴェールを着用する女性やあご髭をたくわえた男性の増加、街中に電飾が増え薄暗かった街のイメージが払しょくされたこと、おいしいコーヒーが気軽に飲めるようになったことなど、変化をあげればきりがない。以下では、ウズベキスタンの教育状況の変化と根強く残る家族やジェンダーをめぐる価値観の軋轢について私の経験にもとづきながら紹介したい。

 私が現在働く大学は、観光や文化財保護の専門家育成を目的として2018年に設立された新しい大学である。ほどんどの授業は英語で行われ、外国人教員や留学生も多く在籍する国際色豊かな大学である。驚くのは、留学生だけでなくウズベキスタンの学生も授業内容を理解し、自分が言いたいことを表現するのに足る英語力を持つ点である。11年前、私は村落部や地方都市でフィールドワークをしていたためか、英語ができる友人知人はほとんどいなかったし、タシュケントやサマルカンドなどの大都市でも、英語が堪能な人は多くなかったと記憶している(私が英語よりもウズベク語の方が得意だったため、もっぱらウズベク語で話していたからということもあるが)。サマルカンドの街中にはIELTSの私塾が数多くある。学生たちの多くも私塾で英語力を磨いたという。若者が熱心に英語を学び、英語で教育を行う教育機関が設立され、世界各地から外国人教員が招かれる日が来るとは、11年前には考えられなかったことである。

授業の様子。興味を持った文化に関するトピックについて英語でプレゼンテーションをする。

授業の様子。興味を持った文化に関するトピックについて英語でプレゼンテーションをする。

 ウズベキスタンで生じている変化の背景には、2016年の大統領交代が大きく関わっている。2016年9月の初代大統領イスラム・カリモフの死去を受け、同年12月には第二代大統領にシャウカト・ミルズィヨエフが就任した。彼は、就任直後から汚職取締り強化、経済の規制緩和、近隣諸国との協調など社会から外交に至るまでさまざまな改革を行っている。2017年には教育の大改革が開始された。この中で、高等教育機関の国際化、諸外国の大学との協定、教員の国外研修、外国人教員の雇用が推進されるようになった。私が現職を得られたのは、外国人教員の受け入れを目指す教育改革の恩恵によるところが大きい。

 急速に変化するウズベキスタンだが、変わらないこともある。結婚や家族に対する考え方は、あまり変わっていないと私は思う。私は、しばしば同僚や学生と結婚や家族について話をするのだが、その中で、女性は20歳くらいで結婚する風潮や、男女関わらず親元を離れて生活するのは本来的ではないという考えが、11年前と変わることなく存在していることを知った。大学在学中に結婚する女子学生も珍しくない。嫁は家事を率先して行わなければならないと考えられているので、姑の方針によっては女子学生は家事や育児に忙殺され、勉強の時間が取れないこともあるという。

 とある女子学生は、大学卒業後はドイツの大学院で学びたいが、結婚のタイミングや家庭生活と学業の両立を考えると決断が難しい、と語った。他の女子学生は、さまざまな人と交流する観光業界で娘が働くことに反対する両親に対して、なぜ両親はこの大学への進学を許したのかと不満を募らせていた。両親が反対するのは、娘が多様な背景を持つ人々(特に男性)と仕事をすることで彼女がふしだらであるという評判が立つのを恐れてのことなのであろう。未婚女性に悪い噂が立つと結婚相手が見つからないこともある。

 とはいえ近年、ウズベキスタンは諸外国に開かれた国になりつつある。今後も若者たちの間で異文化に対する関心は高まり、外国と関わりを持つ人は増えていくだろう。結婚を人生の義務と捉えたり家族との同居を大切にしたりする既存の価値観との軋轢も激しくなるだろう。それでは、人々はどのように変化を受け入れ、既存の価値観を変化させていくのだろうか。私は、二度の長期滞在の機会を得た地域研究者として、ウズベキスタンの変化のプロセスを丁寧に見ていくことができれば幸いと考えている。

書誌情報
宗野ふもと「《エッセイ》ウズベキスタンと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, UZ.2.04(2023年3月30日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/uzbekistan/essay01/