地域編

アジアを知る

1. アジアという地域の不在

国連の統計用地理では、東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジアの5つのグループがアジアとされ、各地域に属する国家が分類されている。日本の外務省では東アジア、東南アジア、南アジアの3地域をアジアとみなす。しかし、“アジア”という地域概念は、古代ギリシャやその後のヨーロッパにおいて、東の外地を表現する必要に応じて発展したもので、異質の他者に向けたまなざしが投影されてきた。そのためアジアの地理的・文化的範囲に、厳密な定義は存在しない。地理上は、ウラル山脈、ボスポラス海峡、スエズ運河、ニューギニア島、ベーリング海峡の内側がアジアとされるものの、この中にあまりに多様な言語、民族、宗教、文化、歴史を擁するため、地域としての共通性はない。

地域を学際的に学ぶ地域研究(Area studies)では、この広大な“アジア”を、東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、中央アジア、東北アジアと名付けて括(くく)る。この地域的な括りは厳密なものではなく、たとえば東アジアについて、中国近代史研究者の並木頼寿は次のような興味深い指摘を残している。日本でよく使われる「東アジア」は、一般に中国大陸・朝鮮半島・日本列島などを含む、ユーラシア大陸の東方沿海地域およびさらにその東方の海域を指す地域概念として定着している。しかし、地域に関する議論の組み立ては多様であり、ロシア・ベトナム・台湾を組み込んだり、前近代に存在した交易網や経済圏からの地域秩序で見たりする。一方、中国や韓国ではみずからの地政学的力学や日本との過去の関係によって、日本側が盛んに発信する「東アジア」という地域概念をそれほど共有しておらず、むしろ「北東アジア」の地域概念を探究してきた(並木頼寿(2010)『東アジアに「近代」を問う 並木頼寿著作選Ⅰ』研文出版、pp.15-22.)。つまり、“アジア”やその内側の地域の括りは、実体というより、目的に合わせた便宜的な概念なのである。

日本におけるアジア関連の学術研究は歴史が長い。中国や韓国、マレーシアやインドなどの地域内の国家ごと、あるいはその国の政治・経済・文化・歴史・宗教・社会などのテーマごとに細分化した研究が盛んで、国やテーマ、時代別に数多くの学会が成立している。東アジア、東南アジア、南アジアといった地域的括りでの研究活動は、個別の研究を緩やかにまとめる役割を果たしている。こうした日本におけるアジア研究の在り方は、アメリカ研究やラテンアメリカ研究が包括的で全国規模の学会を持つことと大きく異なっている。

広大な“アジア”の内側について学び始めるに当たり、興味がある地域、興味がある複数国家間の関係性、興味がある特定の国家を知るには、地域的括りを念頭に置きつつ、丹念に先行研究を紐解くところから始まる。その学び方については、3に示している。

2. 新たな“アジア”

一方、近年、「アジア」はグローバルな場で多用される言葉と概念になった。中国・フィリピン・インドなど、広く“アジア”地域から世界各地に国際移動する移民・労働者・事業者・留学生が21世紀に入ってから増加し、南北アメリカやヨーロッパなどで“アジア系”住民の政治や経済、文化活動が多様化したためである。そして新型コロナの世界的流行以降、ニュースに見る通り、“アジア系”を標的にする人種差別が激化し、それに抗議する市民運動も盛んになった。英語圏でかつて東洋人やその文化を表わした用語「O/oriental」が、今は差別用語として使用が控えられ、代替表現として「Asian」が用いられている。この“アジア”とは、東アジア、東南アジア、南アジア、そして時に西アジア出身者とこれらの地域にルーツを持つ、多様な“アジア”人であり、文化である。

このような変化と並行して、アジア域外におけるアジア人、あるいはアジア域外と繋がるアジア人の実態やアイデンティティを扱う研究、さらに人種・社会階層・ジェンダー・帝国といった概念の再確認・再構築を通して差別構造を問う研究が進んでいる。こうした研究は、移民研究の領域に分散している。多文化環境で育ち、自国を飛び出した経験を持ち、新たなアジアへの視座に共感や興味を抱く若い世代が読むと、みずからに響く表現や議論に出会うことができるだろう。

  • 和泉真澄(2020)『日系カナダ人の移動と運動: 知られざる日本人の越境生活史』小鳥遊書房
  • 奈倉京子編(2020)『中華世界を読む』東方書店
  • 朴三石(2002)『海外コリアン』中公新書
  • ミヤモト、ノブコ(2023)『ノブコ・ミヤモト自伝: 旅と愛と革命を歌う日系アーティスト』和泉真澄 (翻訳)、小鳥遊書房

さらに新たなアジアとして刮目すべきは、若年世代や女性の動向であろう。東アジアの場合は2019年以降、市民運動ならびにフェミニズム運動の展開がめざましい。前者は香港・台湾の大規模市民行動に代表される、政府に対峙する人々の連帯と運動であり、爆発的盛りあがりゆえに鎮圧対象となって目を引き、関連書籍も映像記録多い(後述の4を参照)。後者は草の根で粘り強く社会を変えていこうとする地味な運動であり、いまこそ我々が学ぶべき動きを見せている。是非、下記の本を手に取って欲しい。

  • 熱田敬子・金美珍・梁永山聡子・張瑋容・曹暁彤(2022)『ハッシュタグだけじゃ始まらない:東アジアのフェミニズム・ムーブメント』大月書店
  • 野入直美(2022)『沖縄のアメラジアン』ミネルヴァ書房

3. アジアを学ぶ

(1) 入門書、概説書、新書などの活用

日本の学術領域で蓄積されてきたアジアの各国・各地域の知識は、特定の国家や地域の政治・経済・文化・歴史を掘り下げている。学術書の種類を理解しながら、読み進めよう。

「入門」や「概説」をタイトルに持つ入門書や概説書には、それぞれの地域や国家の政治・経済・歴史・社会・文化が幅広く、かつ簡明に書かれている。特に入門書には、参考文献や関連のウェブサイトなど基本情報リストが掲載され、発展的に学ぶことができる。

「図説」「図解」も入門的知識を広く収録している。さらに各書店が出版する「新書」は、専門家がより一般向けに研究書より読みやすく書いたものであり、廉価である。新書には最新の社会的関心にいち早く応える性質もあり、例えば昨今関心が高い中国のナショナリズムやウイグル民族問題に関して、重要な議論を手際よく盛り込んだ良書が出た。さらに、専門知識をさらに深めていくには、「講座」をタイトルに持つシリーズがよい。こうした編集の性質を把握して、興味があるアジアの地域名や国家名を組み合わせてタイトルを検索し、書籍を手に取る。たとえば東アジアの場合は下記の文献を推薦する。

  • 李成市・宮嶋博史・糟谷憲一編(2017)『朝鮮史』II、山川出版社
  • 朝鮮史研究会編(2012)『朝鮮史研究入門』名古屋大学出版会
  • 小野寺史郎(2017)『中国ナショナリズム』中公新書
  • 熊倉潤(2022)『新疆ウイグル自治区:中国共産党支配の70年』中公新書
  • 斯波義信(1995)『華僑』岩波新書
  • 若林正丈・家永真幸編(2020)『台湾研究入門』東京大学出版会
  • 周婉窈(2013)『増補版 図説 台湾の歴史』平凡社
  • 岩尾一史・池田巧(2021)『チベットの歴史と文化』上・下巻、臨川書店
  • 東アジア地域研究会編(2001-2002)『講座 東アジア近現代史』全6巻、青木書店
  • 趙景達他編(2013-2014)『講座 東アジアの知識人』全5巻、有志舎
  • 小野寺史郎(2021)『戦後日本の中国観:アジアと近代をめぐる葛藤』中公選書

なお、東南アジアであれば古田元夫(2021)『東南アジア史10講』岩波新書、山本信人編(2017)『東南アジア地域研究入門 3 政治』慶応義塾大学出版会(全3巻。ほかに環境、社会がある)、南アジアは長崎暢子編(2002)『現代南アジア 1 地域研究への招待』東京大学出版会(全6巻。ほかの巻も確認するとよい)などに定評がある。

一般向けに書かれた地域研究のシリーズ本も、入門書として優れている。明石書店からの『○○を知るための○章』や勉誠出版の『アジア遊学』シリーズの中から、自分の興味が向く地域や国家で関連書を探すと良い。これらも、“を知るための”、“章”、“○○(モンゴルなど特定の国名)”といった複数のキーワードの組み合わせで検索し、探すことができる。

(2) 用語の確認、データの収集

わからない用語が出てきたら、地域の事典で調べるとよい。また事典には関連項目が広くかつ簡明にまとめられているので、社会や政治、経済などの重要な知識を得ることもできる。

  • 伊藤亜人他監修(2014)『新版 韓国 朝鮮を知る事典』平凡社
  • 川島真・小嶋華津子編(2020)『よくわかる現代中国政治』ミネルヴァ書房
  • 中村元哉他編(2016)『現代中国の起源を探る史料ハンドブック』東方書店
  • 東郷和彦・波多野澄雄編(2015)『歴史問題ハンドブック』岩波書店
  • 可児弘明他編(2002)『華僑・華人事典』弘文堂
  • 京都大学東南アジア研究センター編(1997)『事典東南アジア:風土・生態・環境』弘文堂
  • 池端雪浦他編(2008)『新版 東南アジアを知る事典』平凡社
  • 辛島昇他編(2012)『新版 南アジアを知る事典』平凡社
  • 小松久男他編(2005)『中央ユーラシアを知る事典』平凡社

基礎調査を始めるに当たり、近年の人口や政治体制などのごく基本的な情報は、外務省の各「国・地域」情報や、国連の広報センターの情報(日本語)、世界銀行の公開データ(英語)にある。なにより、国立国会図書館関西館アジア情報室のHPは実に有用である。迅速に現地情報を得られるリンクをまとめた「AsiaLinks-アジア関係リンク集-」で、アジア56の国と地域の情報を得ることができる。さらに「台湾の選挙情報を知りたい」「北朝鮮の法令情報を調べたい」「中国の会社情報を調べたい」「インドネシアやベトナムの経済・産業を知りたい」などテーマ毎の調べ方は、同室HPの「アジア情報」に分野別にまとめられている。これら2つのHPは、2回生の「グローバル・シュミレーション・ゲーミング」における準備、さらには卒業論文のテーマ探しで大いに役立つことだろう。

「AsiaLinks-アジア関係リンク集-」 
https://rnavi.ndl.go.jp/asialinks/jp/index.html
 「アジア情報」 
https://rnavi.ndl.go.jp/jp/asiaresource/index.html

21世紀のアジアにおける国際関係は安全保障をめぐる相剋が顕在化して必ずしも良好ではないが、NPOや民間の非営利シンクタンクを通した相互理解の試みには刮目すべき動きがある。政府や国際機関の情報のみならず、このような信頼のおける民間団体が提供する情報が活用できることも知ろう。東アジアの場合、毎年実施されている「日中共同世論調査・日韓共同世論調査」は、大規模な調査を通して、相手国への相互イメージを詳細かつ多角的に分析したデータであり、日中・日韓関係を鏡のように映し出す。

言論NPO「日中共同世論調査・日韓共同世論調査」 
https://www.genron-npo.net/matome/opinionpoll.html

4. 現地を知る

アジアを知るには、現地に行き、人々と話し、調査することに勝る方法はない。旅行、短期語学研修、長期留学で現地に行こう。事前学習として書物以外では、マルチメディアの利用、特に良質のドキュメンタリーを観るよう勧めたい。音と映像を通して、現地に暮らす人々の姿や感情を知ることで、アジアの社会問題や地域的・社会的特性がさらに理解できる。

アジアの現在を活写するドキュメンタリー監督の作品を観て、その社会に興味を持ったら、同じ監督のフィルモグラフィーを調べて複数の作品を観るとよい。たとえば中国社会の現状に関しては、以下のものがある。

  • 池谷薫監督(2002)『延安の娘』文革期の下放とその後の影響
  • 池谷薫監督(2015)『ルンタ』チベット問題
  • 王兵監督(2012)『三姉妹〜雲南の子』雲南省の農村の実態
  • 王兵監督(2016)『苦い銭』地方からの都市への出稼ぎ労働者

また、2018年設立の株式会社アジアンドキュメンタリーズは、まさにアジア全域のドキュメンタリー映画を配信するウェブサイトである。会員登録(無料)あるいは月額登録して、話題の作品を観ることができる。

ASIAN Documentaries https://asiandocs.co.jp

さらにアジアの最新ドキュメンタリー映画は、京都ならば京都みなみ会館、大阪はシネ・ヌーヴォ、神戸は元町映画館などのミニシアターで上映されることが多い。こうした映画館では、たとえば2014年香港雨傘運動の後、陳梓桓監督(2016)『乱世備忘:僕らの雨傘運動』やSue Williams監督(2020)『デニス・ホー:ビカミング・ザ・ソング(Denise Ho: Becoming the Song)』が上映され、ニュースでは伝えきれない現地の実情や人々の声を届けた。

ところでアジア各地では、日本の植民地支配や帝国の過去と向き合い、みずからを相対化しながらアジアとは何かを考える場に出会うことがあるだろう。下記の書籍は、そうした経験に対して日本をどう考えるべきか、啓発的な見方を示してくれる。

  • 秋山洋子(2016)『フェミ私史ノート:歴史をみなおす視線』インパクト出版会
  • 梶谷懐(2015)『日本と中国、「脱近代」の誘惑:アジア的なものを再考する』太田出版
  • 木村幹(2020)『平成時代の日韓関係』ミネルヴァ書房
  • 孫歌(2002)『アジアを語ることのジレンマ:知の共同空間を求めて』岩波書店
  • テッサ・モーリス=スズキ、市川守弘、北大開示文書研究会(編)(2020)『アイヌの権利とは何か:新法・象徴空間・東京五輪と先住民族』かもがわ出版

多様な情報にアンテナを張って、積極的にアジアについて学び始めて欲しい。

執筆者:園田 節子
執筆日:2022年3月6日(2023年12月改定)