アジア・マップ Vol.01 | フィリピン

読書案内

宮川 慎司(上智大学日本学術振興会特別研究員(PD))

一般向け
①フィリピンの基本情報
日刊まにら新聞編『フィリピン年鑑2021』柘植書房新社、2021年。

 フィリピンに関する網羅的な事典。国や市民社会の制度や組織に関する記述や、各州の概要が記されている。各省庁の役割やその傘下機関との関係、有力な財団・経営者団体・NGOなどのリスト、細かい州レベルの主要産業など、フィリピンを専門とする研究者もよく知らなかったという内容も多い。2022年度版以降も更新しながら出版される予定であるという。
②フィリピンと日本の関係
鶴見良行『バナナと日本人:フィリピン農園と食卓のあいだ』岩波書店、1982年。

 バナナを切り口に、戦前から1980年代までの日本とフィリピンの関係を現地調査に基づく膨大なデータから論じている。バナナを買い付ける日本の商社などの多国籍企業が、時にはフィリピン政府や大地主と結びつきながら土地利用や流通プロセスを牛耳り、バナナ農園の労働者を低賃金で酷使するなど、資本を持つ多国籍企業がフィリピン農家にもたらす影響をリアルに描いている。
③フィリピンのリアリティ
大野拓司、鈴木伸隆、日下渉編『フィリピンを知るための64章』明石書店、2016年。

 フィリピンの現場を熟知した50人を超える研究者や実務家からなる執筆陣によるフィリピンに関する代表的な入門書。64のトピックと10のコラムから構成されており、「人々の暮らし」、「歴史」、「文化」、「政治」、「経済」、「日比関係」といった社会科学から人文科学までのあらゆるトピックが網羅されている。ドゥテルテ政権(2016-2022年)よりも前の時期に関する記述が中心となるが、様々な角度からフィリピンを知ることができる。
④ドゥテルテ政権
石山永一郎『ドゥテルテ:強権大統領はいかに国を変えたか』KADOKAWA、2022年。

 フィリピンの日本語新聞である『まにら新聞』の編集長を勤めた著者によるドゥテルテ政権論。麻薬関係者に対する超法規的な殺人に注目する解説が多い中、国民皆保険制度、国公立大学の授業料無償化など、貧困層に優しい左派的な政策に注目した数少ない本である。2022年に誕生したボンボン・マルコス政権もドゥテルテ路線を継承すると見られているため、今後のフィリピンの動きを理解する上でも重要である。
専門書
①文化人類学
メアリー・ラセリス・ホルンスタイナー編(山本まつよ訳)『フィリピンのこころ』文遊社、1977年

 フィリピンを政治的事件や経済的動態からではなく、人々がどのように考え行動するかという、人々の視点から捉えることを目的とした本。文化人類学、社会学、歴史学などの視点から書かれた9編の論文が収録されている。50年近く前の本であるが、ウタン・ナ・ロオブ、ワラン・ヒヤ、パキキサマなど、近年の研究においてもしばしば言及されるフィリピン人の行動原理も解説されている。
②歴史学
レイナルド・C. イレート(川田牧人、宮脇聡史、高野邦夫訳)『キリスト受難詩と革命 : 1840-1910年のフィリピン民衆運動』2005年、法政大学出版局。

 フィリピンの農村社会における一般民衆の視点から、19世紀半ばから20世紀初頭におけるフィリピンの民衆運動を分析した歴史研究。特に、キリスト教受難詩(キリストの死と復活についてフィリピン民衆の間に伝わる物語)から民衆の意味世界を読み解きながら、彼らによる反乱は、これまでの東南アジア研究が論じてきたような狂信的な行動ではなく、彼らにとって理に適った行動であることが示される。
③経済学・貧困研究
中西徹『スラムの経済学―フィリピンにおける都市インフォーマル部門』東京大学出版会、1991年。

 1980年代後半から90年代前半までのスラムの住み込み調査に基づいて、都市インフォーマル部門における複雑な経済活動が分析されている。それまで、都市インフォーマル部門は参入と退出が自由な競争市場と考えられていたが、実態としては地縁や血縁を中心としたパトロン=クライアント関係の存在により、スラムに移住した人々が自由に職を得ることは難しいと議論される。
④政治学
日下渉『反市民の政治学: フィリピンの民主主義と道徳』法政大学出版局、2013年。

 中間層からなる「市民圏」と貧困層からなる「大衆圏」の間に言語、メディア、生活空間において分断が発生し、その分断が民主主義の定着を阻害していると論じられる。こうした分断を調停するために、二つの「圏」が接触する領域を拡大させ、新たな共同体を構築することを説いている。多くのフィリピン人が感じ、断片的に論じてきたことが、分析的な枠組みに落とし込まれ鮮やかに議論されている。
⑤紛争研究
谷口美代子『平和構築を支援する:ミンダナオ紛争と和平への道』名古屋大学出版会、2020年。

 長期にわたる国内紛争であるミンダナオ紛争を、緻密な現地調査と資料調査から描いてる。国家、反政府武装勢力、地域社会の有力クランの三つのアクターの関係性から、ミンダナオ紛争のダイナミクスを理解する視点を提示している。その上で、外部からの支援を行うには、現地社会のアクターの権力構造を理解することが必要であり、ローカルなアクター主導で平和構築を進めていくことが提起される。
⑥2010年代のフィリピン
原民樹、西尾善太、白石奈津子、日下渉編著『現代フィリピンの地殻変動:新自由主義の深化・政治制度の近代化・親密性の歪み』花伝社、2023年。

 2010年代後半に大学院生としてフィリピンでフィールドワークを行った経験のある若手研究者たちによる編著。政治経済学、都市研究、地理学、文化人類学、ジェンダー研究など多様な視点から書かれた、平易ながらも読み応えのある入門的な学術書である。上に紹介した日下渉氏による近年のフィリピン理解に関する総論に対して、若手研究者たちがそれぞれ批判的に応答するというスタイルも従来の編著には見られない斬新なものである。

書誌情報
宮川慎司「フィリピンの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, PH.5.04(2023年3月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/philippines/reading/