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  • ISSUE 10:
  • いのち

世界の糖尿病増加を食い止める

血糖値を下げるインスリン分泌のメカニズムとは?

向 英里生命科学部 准教授

    sdgs03|

世界の糖尿病人口は2015年には4億1,500万人を超え、その数は増加の一途をたどっている。厚生労働省の調査によると、日本の糖尿病患者数も「糖尿病の可能性を否定できない人」を含めると2,000万人を超えると報告されている。いまや糖尿病は日本のみならず世界の人々が直面する深刻な疾患の一つであり、これ以上の増加を食い止める予防医療をはじめ新しい医薬品や治療法が待たれている。

糖尿病とは血糖値すなわち血中のグルコース(ブドウ糖)濃度を調節できないことで起こる。「通常炭水化物を摂取して血中のグルコース濃度が上がると、膵臓のβ細胞から血糖値を下げるホルモンであるインスリンが分泌され、それが肝臓や脂肪組織、筋肉などでインスリン受容体と結合してグルコースの取り込みを促すことで血糖値が下がります。この調節機能がうまく働かず、食後の一時的な上昇後も血糖値が通常値に戻らなかったり、食事を摂っていないのに血糖値が高いのが糖尿病です」。糖尿病の病態解明に取り組む向英里はそう説明する。

とりわけ向が焦点を当てる2型糖尿病は、膵臓でインスリンが十分分泌されない「インスリン分泌不全」と、各臓器のインスリン受容体の働きが悪い「インスリン抵抗性」の二つに分類される[図1]。向はその中でも日本をはじめアジアに多いといわれる前者に重点を置き、インスリン分泌のメカニズムを分子レベルで詳細に解明するとともに、糖尿病によって障害されるβ細胞内シグナル部位を同定し治療に有効な物質や作用を探索している。

図1 2型糖尿病の2つの要因

その中で向はインスリン分泌不全の糖尿病治療薬の一種であるスルホニル尿素(SU)薬やインクレチン薬の作用機序を次のように明らかにしている。「血中のグルコースは膵臓のβ細胞内で代謝され、ATPと呼ばれるエネルギーを産生します。このATPによってATP感受性カリウム(KATP)チャネルが閉じ、電位依存性カルシウム(Ca2+)チャネルが開くことで細胞内に流入したCa2+がインスリンの分泌を刺激する。これがインスリン分泌の仕組みです。ところがβ細胞内のATP産生が障害されることが原因でインスリン分泌不全に陥ります。この場合、ATPがないためにKATPチャネルが閉じられず、インスリン分泌を刺激することができません。SU薬は直接KATPチャネルを閉じることでインスリンの分泌を促しますが、SU薬が効かない臨床例があり、それはATP産生が極度に低下している場合であることがわかりました。また、インクレチン薬も本来ならば別の経路でインスリン分泌を増やすものですが、糖尿病でみられる酸化ストレスを軽減することによりATP産生を増やすことも最近の研究で明らかになりました」。

さらに最近は、ヒトの身体が血糖値を厳格に調節するメカニズムを解き明かすため、生体でのβ細胞の存在の仕方に着目している。向によると生体で膵臓内のβ細胞は単独で存在するのではなくランゲルハンス島(膵島)という細胞群で存在し、インスリンを分泌している。「この膵島を分散してβ細胞を単一にすると膵島内に存在している時よりもインスリンを分泌する能力が低下しています」。向はマウスのβ細胞を組織化するため、β細胞群で培養した偽膵島を作製し、β細胞を単層培養したものとグルコースによるインスリンの分泌量を比較した[図2]。「その結果、グルコースに応答したインスリンの分泌量は、偽膵島の方が単層培養したβ細胞の4倍以上になりました」。この結果から向は、膵β細胞は互いに密接して細胞間で協調的に作用することでインスリン分泌能を高め、必要な量のインスリン分泌に対応していると推察した。続く研究で、細胞間の協調性にβ細胞から突出している一次繊毛が関与している可能性について検討している。

図2 グルコース応答性インスリン分泌の違い

こうした分子レベルの研究の一方で、向は一般の人が取り組むことができる糖尿病の予防策や血糖値の抑制法についても科学的に検証している。その一つがインスリン分泌を促す食品の探索だ。例えば南米原産の芋やゴーヤの血糖値降下作用を調べ、その作用機序の解明に取り組んでいる。

また最近血糖値をより効果的に下げる運動法についてもこれまでにない知見を提供した。

「通常血糖値は食後約30分でピークに達した後、約2時間をかけて定常状態に戻ります。しかし食後の短時間で血糖値が通常以上に急上昇し、その後正常に戻る場合があります。この『血糖値スパイク』を起こす人は糖尿病をはじめさまざまな疾患になりやすいという指摘があります」。これに対し、向は食事を終えた15分後から15分間運動すると血糖値のピークが下がることを実証した[図3]。さらにはロイシン、イソロイシン、バリンからなる分岐鎖アミノ酸BCAAを摂取してから運動すると血糖のピーク値を下げるだけでなく、血糖値抑制効果を持続させられることも実験で確かめている。

糖尿病は、重症になると神経障害や網膜症、腎症などQOL(Quality of Life=生活の質)を著しく低下させる合併症を引き起こし、心筋梗塞や脳梗塞など命に関わる疾病にもつながっていく。向の研究は新たな治療法や薬の開発に役立つとともに、草の根からも糖尿病予防・治療に寄与している。

図3 運動と栄養素による血糖値抑制効果

向 英里MUKAI Eri

生命科学部 准教授
研究テーマ

糖尿病の病態解明とその治療と予防に向けた研究

専門分野

生理学一般、病態医化学、代謝学、内分泌学