8つの学域

言語コミュニケーション学域

言語コミュニケーション学域

LANGUAGE AND COMMUNICATION PROGRAM

ことばとコミュニケーションに関わる
多様な問いを探究し実践する

コミュニケーション表現専攻では、多様なコミュニケーションの分析と実践を行います。また、新しいメディア環境における小説や歌、アナウンス、広告など、言語表現も対象とします。
言語学・日本語教育専攻では、“ことば”を用いた思考やコミュニケーションを客観的に分析します。また、日本語を外国語として学ぶ人たちへの言語教育を、異文化間コミュニケーションの考えに基づいた実践から学びます。
こうした学びから、自己と他者との関係性を再発見し、グローバル社会や新しいメディアに対応できる次世代型コミュニケーション能力を養います。

COLUMN

教育・研究の“リアル”を発信、教員コラム

コラムを見る

漫才は、どうしてあんなに面白いのか。 秘密を探る中で見つけた情報伝達の新概念。

漫才が嫌いという人は、たぶんいないでしょう。日本では漫才は娯楽の一つであり、TVやYouTubeなどで日々の癒しとして楽しんでいる人も多いのではないのでしょうか。でも私にとって漫才は、単なる娯楽ではありません。人が言葉や身振り、ジェスチャーなどを使って、どのように他者とコミュニケーションするかを分析する大切な研究素材なのです。

漫才は、いってみれば漫才師さんが舞台の上で内輪話をしているようなもの。では、なぜ私たちは他人の単なる内輪話を見て面白いと感じるのでしょうか。疑問に思った私は、大学にプロの漫才コンビを招き、演技の様子を映像に記録。2人の視線がどこを向いているか、体をどこに向けて話しているか、誰に話しかけているのか、全体の時間配分を計測し、データを分析しました。結果は、とても興味深いものでした。演技中、2人の視線は8割近くがコンビの相方に向けられるのに対して、体の向きは9割以上が観客に向けられたままだったのです。

この研究からわかったことは、漫才がボケとツッコミの内輪話というスタイルをとりながらも、漫才師たちが体を常に正面の客席に向けることで観客との距離感をなくし、見ている人との暗黙の了解の中で情報や感情を伝達する新しいコミュニケーションスタイルを持っているということです。だからこそ私たちは、舞台の上の会話を面白く感じるのでしょう。私たちが家族や友人と話をする時、知らない人が聞いていると想定して話をする人はいません。日常の会話や内輪話は、その場にいる人だけのプライベートなもの。それに対して漫才では、視線を直接の対話者である相方に向けながら、姿勢だけは第三者の観客に向けるという指向の二重性によって、本来2人の閉じた空間での会話を外に解き放ったものにしているのです。私はこれを情報伝達の新しい概念(スタイル)ととらえ、「オープンコミュニケーション」と名付けました。

オープンコミュニケーションは、障害を持つ人や幼い子どもでもとけ込みやすい情報伝達の手段として、さまざまな分野への応用が期待されています。たとえば今私が取り組んでいるのは、対面のコミュニケーションが難しい自閉症スペクトラム障害(ASD)への応用研究です。第三者のやりとりを見せることで必要な情報や気持ちを伝えるオープンコミュニケーションの考え方を活用すれば、人と直接向き合う会話に気後れする子どもでも無理なく必要な情報を得たり、効果的な勉強ができるかもしれません。同じように統合失調症や事故などで脳に重大なダメージを負った高次脳機能障害の患者さんへの支援の方法についても、試行錯誤しながら研究を続けています。

一方大学では、このオープンコミュニケーションの概念や方法論を、学生のみなさんに分かりやすく伝えるために、他大学にはない独特でかつ面白いと感じてもらえるような課題をいくつも用意しています。たとえば「コミュニケーション表現法応用Ⅰ」では、私が書いた学術エッセイの内容を、2人の架空の登場人物による対話の形式に直した脚本を作成し、それを講義内で実演してもらっています。どんなシナリオにするかは、アイデア次第。テレビ番組をヒントに先生と生徒の質疑応答形式にする人がいれば、仲良しの友だち2人の対話劇に仕立てる人もいます。一人称のエッセイを対話形式に翻訳できるのは、文章自体が対話性を含んでいるから。脚本づくりの課題を通じて、学生はオープンコミュニケーションの考え方を肌で学んでいきます。

岡本 雅史

コラムを見る