アジア・マップ Vol.01 | アフガニスタン
アフガニスタン21世紀年表 1999~2022年
山根聡(大阪大学大学院人文学研究科・教授)
1999年 | |
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9月 | アメリカ、前年8月にケニアとタンザニアで発生したアメリカ大使館爆破事件に関し、実行犯がターリバーン政権の下に隠れたため、アメリカ政府が身柄引き渡しを要求、ターリバーン政権がこれを拒否したため、経済制裁を課す。 |
11月 | 国連はアフガニスタンに対する制裁を加える。 |
2000年 | |
10月 | アメリカ、米国艦船への攻撃の首謀者がウサーマ・ビン=ラーディンと特定された場合はアフガニスタンに攻撃すると警告。 |
11月 | 国連、アフガニスタンの代表権をラッバーニー元大統領に委ねる。 |
11月 | ターリバーンと北部同盟、和平会談に合意。 |
12月 | 国連、アフガニスタンへの制裁を強化、ターリバーン職員のアフガニスタンからの出国を禁止。 |
2001年 | |
1月 | アメリカの裁判所で、ケニアやタンザニアでの米国大使館爆破事件の容疑でウサーマ・ビン=ラーディンを本人不在のまま起訴、裁判開始。 |
2月 | バーミヤーンの大仏像がターリバーンにより破壊される。 |
北部同盟のアフマド・シャー・マスウード将軍が自爆テロにより殺害される。 | |
9月 | 9.11同時多発テロがアメリカで発生し、米軍や北部同盟によるターリバーンへの攻撃により、10月、ターリバーン政権が崩壊。 |
12月 | ボン会議により暫定政権樹立、ハーミド・カルザイ議長が選出される。統治機構政治プロセス(ボン・プロセス)による民主化を進めることで合意。 |
2002年 | |
1月 | 東京で「アフガニスタン復興支援に関する国際会議」開催。 |
ザーヒル・シャー元国王がイタリアから帰国。 | |
5月 | 国連安全保障理事会、2002年12月までの任期で国際治安支援部隊(IASF)派遣を決定。 |
6月 | 緊急ローヤ・ジルガ(大会議)開催、カルザイ暫定行政機構が首班に選出され、主要閣僚人事が承認される。 |
7月 | アブドゥル・カディール副大統領がカーブル市内で襲撃され死亡。 |
2003年 | |
8月 | NATOがカーブル市内の治安維持を開始。ヨーロッパ以外の国での初の活動となる。 |
12月 | 憲法制定ローヤ・ジルガが開催される。 |
2004年 | |
1月 | 大統領の権限を強めた新憲法が発布され、国名は「アフガニスタン・イスラーム共和国」となる。 |
10月 | 第1回大統領選挙実施。カルザイ大統領が得票率55.4%で選出される。 |
2005年 | |
9月 | 第1回下院議会、30年以上ぶりの県議会選挙実施。 |
12月 | 第1回下院議会、30年以上ぶりの県議会選挙実施。 |
2006年 | |
1月~2月 | ロンドンでのアフガニスタン復興支援会議で、5年で総額100億ドル以上の寄付が集まる。 |
5月 | 米軍の攻撃で複数の市民が死亡し、カーブル市内で反米デモが続く。 |
10月 | NATOはアフガニスタン全土の治安維持を担当することとなる。 |
2007年 | |
3月 | パキスタン政府は、ターリバーンの幹部ウバイドゥッラー・アーフンドを逮捕したと発表。 |
5月 | アフガニスタンとパキスタンの国境地域で両国軍の間で激しい戦闘となる。 |
7月 | ザーヒル・シャー元国王が死去。 |
7月 | ガズニ州で韓国人キリスト教宣教団体がターリバーンに誘拐される。2名が殺害され、残りは釈放される。 |
2008年 | |
6月 | ターリバーンがカンダハールの刑務所を主劇、350人以上の兵士を開放する。 |
7月 | カーブル市内のインド大使館が自爆テロに遭い、40人以上が死亡、140人が負傷。 |
8月 | ターリバーン、フランス兵10名を殺害。 |
9月 | アメリカ、4500人の兵士を追加投入。 |
10月 | ドイツ、アフガニスタンへの派兵を2009年まで延長し、兵士数を1000人から45000人に増員。 |
2009年 | |
2月 | アフガニスタン選挙委員会は、カルザイ大統領による4月の大統領選挙実施を却下し、8月実施を決定。 |
8月 | 第2回大統領選挙実施。 |
11月 | カルザイ大統領が得票率56.4%で再選を決める。2位のアブドゥッラー候補は決選投票を辞退する。 |
2010年 | |
2月 | ターリバーンの軍事司令官がパキスタン国内で逮捕される。 |
9月 | 第2回下院議会選挙。投票率は40%。 |
2011年 | |
1月 | 下院議会開会。 |
5月 | ウサーマ・ビン=ラーディンがパキスタン国内で米軍特殊部隊により殺害される。 |
9月 | 高等和平評議会議長のブルハーヌッディーン元大統領が自爆テロにより殺害され、ターリバーンが犯行を認める。 |
2012年 | |
7月 | 「アフガニスタン支援国会議」が東京で開催される。カルザイ大統領、国連事務総長等55か国25の国際機関等が参画。 |
12月 | カーブル、ナンガルハール州、パクティア州、ロガール州で同時テロ発生、11人が死亡。 |
2013年 | |
4月 | ターリバーン創始者ムハンマド・ウマルがパキスタンのカラーチー市内の病院で死亡。 |
6月 | ターリバーン、カタール首都ドーハに事務所を設置する。アメリカやアフガニスタン政府との協議を開始。 |
2014年 | |
4月 | 第3回大統領選挙および第2回県議会選挙実施。アシュラフ・ガーニ元財務相とアブドゥッラー元外相による決選投票となる。 |
6月 | 大統領選挙決選投票。ガーニ元財務相が首位となるが、投票不正が指摘され、アメリカの仲介によって9月にガーニ大統領が選出される。 |
8月 | 米軍の撤退が完了する。 |
ガーニ大統領、アブドゥッラー行政長官による挙国一致内閣が成立。 | |
12月 | 国際治安支援部隊の任期が終了し、翌年からアフガニスタン治安部隊への治安維持権限が委譲される。NATOは支援を継続。 |
2015年 | |
7月 | ターリバーン代表団がアフガニスタン政府とパキスタンの首都イスラ―マーバードおよび近郊の町マリーで和平に向けて初の公式協議。 |
ターリバーン、創始者ウマル師の死去を認め、アフタル・マンスール師が最高指導者となったことを発表。 | |
2016年 | |
1月 | アフガニスタン、パキスタン、中国、アメリカが4か国調整グループ(QCG)を結成し、和平交渉を開始するも、ターリバーンは拒否。 |
5月 | 米軍、パキスタン国内でターリバーンの最高指導者マンスール師を殺害。ハイバトゥッラー・アーフンザーダが最高指導者となる。 |
2017年 | |
6月 | アフガニスタンが主導する和平協議「カーブル・プロセス」会合が実施される。 |
2018年 | |
2月 | 「カーブル・プロセス」第2回会合開催、ターリバーンに対し無条件の和平対話が呼びかけられる。 |
6月 | イスラームの断食明けの際にアフガニスタン政府とターリバーンの間で停戦が実施される。 |
10月 | 第3回下院議会選挙実施。 |
2019年 | |
4月 | 第3回下院議会閉会。 |
4月 | 和平諮問ローヤ・ジルガ開催。ガーニ大統領はターリバーンに停戦を呼び掛ける。 |
9月 | 第4回大統領選挙実施。ガーニ候補が得票率50.6%で1位、アブドゥッラー行政長官が2位で39.5%。アブドゥッラー候補は選挙の不正を訴えて結果を拒否。 |
12月 | 東部ジャラーラーバードを中心に灌漑事業等NGO活動を展開していた中村哲医師が殺害される。 |
2020年 | |
2月 | ドーハにおいて、アメリカとターリバーンの間で和平合意が成立、共同宣言が発出される。9月から本格的な和平交渉が開始される。 |
3月 | ガーニ大統領就任式。アブドゥッラー元外相は独自に大統領就任を宣言。 |
4月 | 和平諮問ローヤ・ジルガ開催。ガーニ大統領はターリバーンへの停戦を呼び掛ける。 |
5月 | ガーニ大統領とアブドゥッラー元外相の間で政治合意が成立、アブドゥッラー元外相は国民和解高等評議会議長に就任。 |
9月 | 第4回大統領選挙実施。ガーニ大統領が最多得票を得るが、アブドゥッラー元外相が不正を指摘して選挙結果受け入れを拒否。 |
アフガニスタン政府とターリバーンの間で、カタールでの和平交渉が開始される。 | |
2021年 | |
4月 | アメリカのバイデン大統領は駐留米軍の完全撤退を発表。 |
7月 | ターリバーン代表団がロシアや中国を訪問。 |
8月 | ターリバーン、首都カーブルを制圧、新政権樹立。 |
8月 | ターリバーン、首都カーブルを制圧、新政権樹立。 |
9月 | ターリバーン政権は暫定内閣の人事を発表。 |
書誌情報
山根聡「アフガニスタン21世紀年表 1999〜2022年」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, AF.3.02 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/afghanistan/timeline/