アジア・マップ Vol.01 | イスラエル/パレスチナ
21世紀年表
山本健介(静岡県立大学国際関係学部・講師)
1999年 | |
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5月 | オスロ合意で定められた5年の暫定自治期間が終了。 |
9月 | イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)がシャルム・シャイフ覚書(ワイリバー協定II)に調印。イスラエル軍の追加撤退やパレスチナ人の囚人解放、最終地位交渉の予定などが確認。 |
9月 |
パレスチナ解放人民戦線(PFLP)の指導者アブー・アリー・ムスタファーが32年の亡命を経てヨルダンから西岸地区へ帰還。 |
2000年 | |
7月 | アメリカ政府の仲介により、イスラエルのバラク首相とパレスチナ自治政府のアラファート大統領がキャンプ・デーヴィッドで直接交渉を開始。エルサレムの主権問題などをめぐり交渉は決裂。 |
9月 | イスラエルの野党リクードの党首アリエル・シャロンが警察関係者とともにハラム・シャリーフ/神殿の丘へ入構。 |
9月 |
パレスチナ人の諸党派がイスラエル治安部隊などへの武装闘争を開始。第二次インティファーダ(アクサー・インティファーダ)が勃発。 |
2001年 | |
1月 | エジプト・シナイ半島のターバーでバラク首相とアラファート大統領が直接交渉を開始。エルサレムや国境線、難民などの問題で妥協点が探られたが、最終合意には至らず。 |
2月 | イスラエル首相選挙が実施。リクードの党首アリエル・シャロンが首相に選出。 |
10月 | アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領がパレスチナ国家樹立への支持を公言。 |
2002年 | |
3月 | サウジアラビアの提案により、アラブ首脳会談で「アラブ和平イニシアティブ」が採択。アラブ諸国とイスラエルの和平条件として、イスラエルが全占領地から撤退し、パレスチナ国家が樹立されること、難民問題に対する公正な解決がなされることなどを挙げた。 |
3月 |
イスラエル政府がヨルダン川西岸地区の再占領を実行(「防衛の盾」作戦)。ラーマッラーのパレスチナ自治政府大統領府でアラファートが軟禁状態に置かれる。 |
4月 | イスラエル治安部隊がジェニンの難民キャンプとナーブルス旧市街に侵攻し、武装勢力との激しい交戦に展開。 |
6月 | イスラエル政府が西岸地区とイスラエル領のあいだに分離壁の建設を開始。 |
2003年 | |
3月 | アメリカ人の人権活動家レイチェル・コリーがヨルダン川西岸地区でイスラエル軍のブルドーザーの下敷きになり死亡。 |
4月 | アメリカ政府がイスラエルとパレスチナの二国家解決案に向けた「ロードマップ」を発表。パレスチナ自治政府には暴力行為の停止を求め、イスラエル政府には入植地建設の停止などを要求。 |
7月 | イスラエルの国会にあたるクネセトで「市民権およびイスラエル入国法」が制定。配偶者の一方がイスラエル国籍、他方がヨルダン川西岸・ガザ地区の住民である場合の家族統合を原則禁止。 |
10月 | パレスチナ自治政府の高官ヤースィル・アブドラッボとイスラエルの左派政治家ヨシ・ベイリンが「ジュネーヴ合意」を発表。入植地のイスラエル領への併合や難民帰還権の放棄など論争的な内容を含み、大きな批判を浴びた。 |
2004年 | |
3月 | ハマースの創設メンバーで精神的指導者だったアフマド・ヤースィーンがイスラエル軍によって殺害。 |
4月 | ヤースィーンの後任としてハマースの代表となったアブドゥルアズィーズ・ランティーシーがイスラエル軍によって殺害。 |
11月 | ヤースィル・アラファートが療養先のパリで死亡。マフムード・アッバースがPLO議長に就任。 |
2005年 | |
1月 | パレスチナ自治政府大統領選挙が実施。マフムード・アッバースが大統領に選出。 |
9月 | ガザ地区からユダヤ人入植者とイスラエル治安部隊が撤退。 |
11月 | シャロン首相がリクードから離党し、中道の新政党カディマを結成すると宣言。 |
2006年 | |
1月 | 脳疾患を患ったシャロン首相に代わり、副首相のエフード・オルメルトが首相に就任。 |
1月 |
パレスチナ立法評議会選挙においてハマースの選挙リスト「変化と改革」が最多議席を獲得。イスラエルやアメリカをはじめとする欧米諸国はパレスチナ自治政府への援助停止を決定。 |
3月 | イスラエル総選挙が実施。エフード・オルメルト率いるカディマが第1党の座に就く。 |
5月 | ファタハとハマースの軍事部隊のあいだで武力衝突が発生。 |
2007年 | |
1月 | サウジアラビア政府がハマースとファタハの和解を仲介。マッカ合意が調印。 |
3月 | マッカ合意に基づき、イスマーイール・ハニーヤを首班とする連立内閣が結成。 |
5月 | ファタハとハマースの軍事部隊のあいだで武力衝突が再発。 |
6月 | ハマースがガザ地区のファタハ勢力を制圧し、支配権を掌握。イスラエルによるガザ封鎖が開始。 |
6月 |
パレスチナ自治政府アッバース大統領は非常事態宣言を発出。ハニーヤを首相から解任し、サラム・ファイヤードに組閣を要請。 |
11月 | アメリカの仲介により、イスラエルとパレスチナ自治政府の代表団がアメリカのアナポリスで直接交渉を開始。継続的な交渉実施を約束。 |
2008年 | |
9月 | 汚職問題などの訴追を受けたオルメルト首相が退陣を発表。 |
12月 | イスラエルは27日にガザ地区への大規模攻撃を開始(第一次ガザ戦争)。 |
2009年 | |
1月 | イスラエルが18日に停戦を発表し、主要な戦闘が終了。一連の武力衝突により、パレスチナ人1,400人、イスラエル人13人(3人の外国籍者を含む)が死亡。 |
2月 | イスラエル総選挙が実施。カディマとリクードがほぼ同数の議席を獲得。 |
3月 | リクードの党首ベンヤミン・ネタニヤフが労働党や「イスラエル我が家」などと連立内閣を発足。 |
9月 | 国連がガザ戦争の検証報告書(通称「ゴールドストーン報告」)を発表。イスラエルとハマースの双方に人権侵害があったと指摘しつつ、パレスチナ人の市民を標的としたイスラエル軍の苛烈な攻撃に批判を向けた。 |
2010年 | |
2月 | イスラエルがヨルダン川西岸地区の町ヘブロン(ハリール)にあるイブラーヒーム・モスク(マクペラの洞窟とも呼ばれる)とベツレヘムにある預言者ラケルの廟をユダヤ民族遺産として認定。 |
6月 | トルコの人権活動団体などを主体とするガザ地区への支援船がイスラエル軍によって拿捕。交戦のなかでトルコ人9人が死亡。 |
9月 | アメリカ政府の仲介により、イスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ自治政府のアッバース大統領の会談が実施。双方の優先事項が揃わず、協議は決裂。 |
2011年 | |
3月 | 「アラブの春」に触発され、被占領地に住むパレスチナ人の若者たちがファタハとハマースの分裂解消などを求める運動を展開(通称「3月15日運動」)。 |
3月 |
イスラエルの国会に当たるクネセトで予算財団法(通称「ナクバ法」)が制定。「ユダヤ的かつ民主的国家」としての性格に疑義を呈する活動組織への資金提供を停止する権限がイスラエル政府に付与。 |
9月 | パレスチナ自治政府が国連への加盟を申請。 |
10月 | パレスチナ自治政府がUNESCOに正式加盟。 |
11月 | イスラエルとハマースが捕虜交換に合意。2006年に誘拐されたイスラエル兵ギルアド・シャリトの解放を条件にパレスチナ人の囚人約1,000人の釈放が決定。 |
2012年 | |
2月 | ハマースはシリアのダマスカスにあった政治拠点をカタールのドーハに移転。 |
11月 | イスラエルは14日にハマースの軍事指導者アフマド・ジャアバリーなどを殺害し、ガザ地区への大規模攻撃を開始(第二次ガザ戦争)。22日にエジプト政府やアメリカ政府の仲介により、停戦が成立。一連の武力衝突により、パレスチナ人165人、イスラエル人6人が死亡。 |
11月 |
国連総会でパレスチナ自治政府に対し非加盟国のオブザーバー国家資格を付与することが決定。 |
12月 | ハマースの政治局長ハーリド・ミシュアルがエジプトの仲介でガザ地区を初訪問。ハマースの結成記念集会で演説。 |
2013年 | |
6月 | ベイルートで開催されたアラブ・アイドル第二回大会でガザ地区出身のムハンマド・アッサーフがグランプリを受賞。 |
7月 | アメリカの国務長官ジョン・ケリーの仲介でイスラエルとパレスチナ自治政府の直接会談が実施。 |
2014年 | |
6月 | ファタハとハマースの合意により、ラーミー・ハムダッラーを首班とする挙国一致内閣が結成。 |
6月
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ヨルダン川西岸地区で3人のユダヤ人入植者がパレスチナ人に誘拐される事件が発生。数週に及ぶ捜索の後、ヘブロン(ハリール)近郊で遺体が発見。 |
7月 | エルサレムで16歳のパレスチナ人青年がユダヤ人に誘拐され、焼殺される事件が発生。 |
7月 |
イスラエルは8日にガザ地区への大規模攻撃を開始(第三次ガザ戦争)。 |
8月 | エジプト政府の仲介により、イスラエルとハマースのあいだで停戦が成立。一連の武力衝突により、パレスチナ人約2,100人、イスラエル人71人が死亡。 |
10月 | エルサレム旧市街で過激なシオニスト活動家であるイェフダ・グリックの暗殺未遂事件が発生。イスラエル政府はハラム・シャリーフ/神殿の丘の一時閉鎖を指示。 |
2015年 | |
3月 | イスラエル総選挙が実施。リクードが第1党の座を維持。アラブ系政党が結成した「統一リスト」が13議席を獲得し、第3党に躍進。 |
9月 | エルサレムのハラム・シャリーフ/神殿の丘で活動する市民団体をイスラエル国防大臣が非合法化。これに反発したパレスチナ人とイスラエル治安当局が聖域内で衝突。 |
10月 | ハラム・シャリーフ/神殿の丘での騒乱を受け、ヨルダン川西岸地区で抗議運動が活発化。イスラエル軍に対するナイフを用いた刺傷事件などが頻発。一部で「クドゥス・インティファーダ」と呼称される民衆蜂起に発展。 |
11月 | エルサレムに端を発する騒乱を受けて、イスラエル国内のイスラーム運動が非合法化。イスラエル政府は運動の関連団体を全面的に閉鎖。 |
2016年 | |
6月 | イスラエルのギルアド・エルダン公安相が従来の慣例に反し、ユダヤ教徒がラマダーン月最終10日間にもハラム・シャリーフ/神殿の丘を訪れることを許可。パレスチナ人からの大きな反発を招く。 |
7月 | イスラエルの国会にあたるクネセトでNGO資金透明化法が制定。50%以上の資金を外国ソースから得ているNGOに対し、登録と報告を義務づけ。占領政策に批判的な国内の人権NGOに圧力をかける狙いがあるとされる。 |
2017年 | |
5月 | ハマースが「一般原則と一般方針の文書」を発表。1988年の憲章を更新し、ムスリム同胞団の支部という記述や反ユダヤ主義的な文言を削除。 |
5月 |
ハマースのガザ代表を務めてきたイスマーイール・ハニーヤがハーリド・ミシュアルの跡を継いでハマース政治局長に就任。 |
7月 | ヨルダン川西岸地区の町ヘブロン(ハリール)の旧市街地区がUNESCOの世界遺産(危機リスト)に登録。 |
7月 |
イスラエル政府がハラム・シャリーフ/神殿の丘の入場口に電子検問所を設置。これを拒絶するパレスチナ人が抗議行動を展開。数週後にイスラエル政府が電子検問所を撤収。 |
12月 | アメリカのドナルド・トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都として認定。自国の大使館をテルアビブからエルサレムへ移転すると発表。 |
2018年 | |
1月 | アメリカ国務省がUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への資金拠出の大幅減額を発表。 |
3月 | ガザ地区で帰還権の承認とガザ封鎖の撤廃を要求する「帰還の大行進」が開始。毎週末に数万人のガザ住民がイスラエル国境に向けて行進。 |
5月 | 在イスラエルのアメリカ大使館がテルアビブからエルサレムへ移転。 |
7月 | イスラエルの国会にあたるクネセトで「基本法:ユダヤ民族国家イスラエル」が可決。ユダヤ民族のみが自決権を有すると規定し、公用語の一つだったアラビア語を「特別な地位にある言語」に格下げ。 |
8月 | アメリカ国務省がUNRWAへの全拠出金の停止を発表。 |
9月 | アメリカ国務省がワシントンDCのPLO事務所の閉鎖を発表。 |
2019年 | |
2月 | ハラム・シャリーフ/神殿の丘にある「ラフマ門ホール」の利用権をめぐり、イスラエル治安当局とパレスチナ人の対立が発生。 |
4月 | イスラエル総選挙が実施。リクードの党首ベンヤミン・ネタニヤフに組閣が要請されたが、連立交渉が頓挫。 |
9月 | イスラエル総選挙が実施。元軍人のベニー・ガンツが率いる「青白連合」とリクードがほぼ同数の議席を得たが、いずれの党首も組閣協議に失敗。 |
2020年 | |
1月 | アメリカのドナルド・トランプ大統領がイスラエルとパレスチナの和平案として「繁栄への平和」を公表。入植地の温存や主権を備えたパレスチナ国家の否定など、イスラエルの立場に寄り添う内容が多く、パレスチナ人から非難が寄せられた。 |
3月 | イスラエル総選挙が実施。「青白連合」のベニー・ガンツンツ党首とリクードのベンヤミン・ネタニヤフ首相が連立政権の樹立に合意。 |
3月 |
新型コロナウイルス感染症の感染拡大を受けて、ヨルダン・ワクフ省傘下のエルサレム・ワクフ管理局がハラム・シャリーフ/神殿の丘への一般信徒の入構停止を決定(ラマダーン月を挟み6月1日まで継続)。 |
5月 | エルサレム旧市街近郊で自閉症を持つパレスチナ人のイヤード・ハッラークがイスラエル警察によって射殺。警官の停止命令に従わなかったためとされるが、警察による過剰な暴力の事件として司法問題に発展。 |
9月 | アメリカ政府の仲介により、イスラエルがアラブ首長国連邦(UAE)とバハレーンとのあいだで国交を樹立。三大一神教の始祖に因んで「アブラハム合意」と通称。 |
2021年 | |
3月 | 東エルサレムのシャイフ・ジャッラーフ地区に住む複数のパレスチナ人世帯に対し、エルサレム地方裁判所が立ち退きの勧告を発布。パレスチナ住民がオンライン・キャンペーンや抗議運動、座り込みなどを開始。 |
3月 |
イスラエル総選挙が実施。リクードが第一党となり、ベンヤミン・ネタニヤフに組閣が要請。 |
4月 | 国際人権NGOのHuman Rights Watchがイスラエルを「アパルトヘイト国家」と表現する報告書を発表。 |
4月 |
パレスチナ自治政府の大統領マフムード・アッバースは5月開催予定のパレスチナ立法評議会選挙と7月開催予定の大統領選挙の中止を決定。 |
5月 | ハラム・シャリーフ/神殿の丘で連日にわたりイスラエル治安当局とパレスチナ人が激しく衝突。 |
5月 |
ハマースやイスラーム聖戦運動がガザからイスラエル領内にロケット攻撃を開始。イスラエル軍も空爆で応酬。10日後にエジプトなどの仲介で停戦合意が成立。一連の武力衝突により、パレスチナ人200人以上、イスラエル人13人が死亡。 |
6月 | 組閣に失敗したネタニヤフに代わり、総選挙で第2党となった「未来がある」のヤイル・ラピド党首が、右派政党ヤミナと連立内閣を発足。ヤミナのナフタリ・ベネット党首が首相に就任。 |
9月 | イスラエル北部にあるギルボア刑務所に収監されていたパレスチナ人6人がトンネルを掘り脱獄に成功。10数日後に脱獄した囚人全員が逮捕され、再び収監。 |
2022年 | |
4月 | ハラム・シャリーフ/神殿の丘でイスラエル治安当局とパレスチナ人の衝突が発生。 |
5月 | ジェニンでイスラエル軍とパレスチナ住民の衝突を取材していたアルジャジーラの記者シーリーン・アブー・アークラがイスラエル軍の銃撃を受け死亡。 |
7月 | アルジェリア政府の仲介により、数年ぶりにファタハの代表アッバースとハマースの代表ハニーヤが公の場で対談。 |
8月 | イスラエル軍がガザを拠点とするイスラーム聖戦運動の軍事指導者を殺害。2日間にわたり両者のあいだで武力衝突が発生。 |
9月 | 東エルサレムにある100以上のパレスチナ系学校が、イスラエル政府によるカリキュラムの強要に反発し、ストライキを実施。 |
書誌情報
山本健介「イスラエル/パレスチナ21世紀年表」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, IL.3.04(2023年5月24日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/israel/timeline/