アジア・マップ Vol.02 | ブルネイ
ブルネイの21世紀年表
金子芳樹(獨協大学外国語学部 教授)
1999年 |
・ブルネイ高等裁判所は、ボルキア国王の末弟であるジェフリ・ボルキア殿下が、財務相在任中にブルネイ投資庁(BIA)の公金を流用し、長期にわたり巨額の私的浪費を繰り返していたことを発表した。 ・モハメッド・ボルキア殿下(国王の次弟で外相)は、憲法の改正や議会制復帰の可能性について言及した。 ・ボルキア国王は8月に中国を訪問し、各分野での交流促進など両国関係の緊密化について合意。また、年初には北朝鮮と国交が樹立された。 |
2000年 |
・ジェフリ・ボルキア殿下の公金横領事件について、公判を経て殿下側が流用資金の全額(約150億米ドル)を返金することで和解が成立した。 ・APEC議長国として首脳会議はじめとする一連のAPEC会議を首都バンダルスリブガワンにて開催した。 |
2001年 | ・政府は、石油・天然ガス依存から脱却して経済の多角化を図る一策としてブルネイ国際金融センター(BIFC)をオープンし、海外からの金融機関の誘致に乗り出した。 |
2002年 | ・2001年9月の米同時多発テロ事件を受けて国内でのテロ対策を積極的に進めた。12月にはボルキア国王が訪米し、米政府および国連に対して対テロ戦争への協力体制の強化を表明した。 |
2003年 | ・国際金融市場進出の第一歩としてBIFCが準備を進めてきたブルネイ初の証券取引所が1月にオープンした。運営には、シンガポール企業の全額出資会社である国際ブルネイ取引所(IBX)があたる。 |
2004年 |
・独立20周年を迎え、ボルキア国王は独立以来停止されてきた立法評議会(議会)の再開を表明し、9月に国王任命の議員による立法評議会が開催された。その中で、国王の機能と議会の構成に関する憲法改正や一部議員の民選化などが決まった。 ・国王の長男で王位継承者であるビラ皇太子が結婚し、各国から4000人の招待客を招いて結婚の儀が催された。 |
2005年 |
・8月に17年ぶりの大幅な内閣改造が行われ、ビラ皇太子が首相府上級大臣に就任したほか、若手登用による人事の刷新が図られた。新たに首相府上級相、首相府エネルギー相、大蔵第二相、外務第二相が設置され、大臣14名、副大臣10名からなる新内閣が発足した。 ・野党として、従来の国民団結党(PPKB)とブルネイ人民覚醒党(PAKAR)に加え、新たに国家開発党(NDP)が結成された。 |
2006年 | ・7月にボルキア国王の60歳の誕生日を祝う式典が盛大に開かれた。国王による誕生日スピーチでは、公務員給与の引き上げとともに、石油・天然ガス資源への依存を減らすべく産業構造の多角化を進める方針が改めて強調された。 |
2007年 |
・2035年までの先進国入りを目指す長期的開発ビジョンとして「ワワサン・ブルネイ2035」が発表された。同ビジョンは3つの柱として、(1)教育を受け、高度な技術を持ち、優れた国民の創出、(2)すべての国民の生活の質の向上、(3)ダイナミックで持続可能な経済の創出を掲げた。 ・6月にボルキア国王が訪日し、それに合わせて日・ブルネイ経済連携協定(EPA)が調印された。 |
2008年 | ・同年後半から原油価格が下落したため経済成長率は0.5%のマイナス成長に落ち込んだ。産業構造の多様化に関して、エコツーリズムなどを中心とした観光産業、イスラーム圏向けのハラール食品・医療品・化粧品などの産業、石油・天然ガスを精製する石油化学産業などの育成策が進められた。 |
2009年 | ・同国史上初めて、政府高官(前開発相)が汚職で摘発された。同高官に対して高等裁判所は、政府事業の請負企業から多額の賄賂を受け取った罪で禁固7年の有罪判決を下し、独裁的体制ながらも法治を重んじる体制への移行が徐々に進み始めたことを印象づけた。 |
2010年 |
・石油・天然ガス収入運用の堅実化や財政緊縮化が進み、さらにエネルギー価格の低迷が加わって、国内経済は数年来停滞期に入っていたが、同年には、かつて開発路線を主導したペヒン・イサが立法評議会議長に選任されるなど、政府内人事などの面で開発路線への方向転換を図る動きがみられた。 ・初めての女性閣僚(文化青年スポーツ副大臣)が任命された。 |
2011年 | ・民選議員枠15議席中、4議席のみについて選挙が行われた。ただし、従来からある政府が立候補者の資格審査などで介入する地方選挙と同様の方法で実施された。また、任命議員の中に初めて2人の女性(元政府高官)と2人のグラスルーツリーダーが選ばれた。 |
2012年 | ・ブルネイにおいて特許を規定する法律として「2011年特許令」が施行され、知的財産保護に関する現代的な規程が適用されるようになった。また、特許協力条約にも加盟した。 |
2013年 | ・ASEAN議長国として一連のASEAN関連会議を主催した。南シナ海問題をめぐっては、中国とのASEAN諸国との間で行動規範(COC)の策定を進めるための合意の形成に向けてリーダーシップをとった。 |
2014年 |
・ボルキア国王は東南アジアでは初となるイスラームのシャリア刑法の導入に踏み切り、3段階に分けた第1段階(罰金刑と懲役刑のみ)の実施を始めた。これには欧米諸国から人権の観点からの批判も寄せられた。 ・若年層の失業率が過去最高の約25%に達した。 |
2015年 |
・10月の内閣改造で国王の弟のモハメッド・ボルキアが外務貿易相を退き、同ポストは国王が兼任することとなった。また、観光政策の立案・実施を担当する一次資源観光省が新設された。 ・安全保障面では、イギリスとの間で1100人の強力なグルカ兵部隊の継続維持に関する協定を締結した。 ・石油価格の下落により貿易収支は赤字となり、石油・天然ガス収入に依存する政府財政も赤字となった。 |
2016年 | ・産業の多様化を推進するための海外直接投資(FDI)の自由化と積極的な誘致によって、中国・韓国・日本などからの投資が増加した。特に、中国からは、ムアラ・ブサール橋建設、石油・天然ガスの下流産業プラント建設、中国銀行の開設など大型投資の決定・着工が相次いだ。 |
2017年 |
・ボルキア国王が即位50周年を迎え、10月の記念式典をはじめ多くの関連行事が催された。 ・ブルネイ政府と中国企業との合弁事業として、首都近郊のムアラ地区に製油所と石油化学工場を建設するメガ・プロジェクト(過去最大の中国からの投資額)に着手した。 ・9月にボルキア国王が政財界含めた過去最大の訪問団を率いて国賓として中国を訪問し、各種協定等に調印した。 |
2018年 | ・11月に中国の習近平国家主席がブルネイを訪問し、 「一帯一路」構想に基づきブルネイでのインフラ整備における協力をさらに強化する旨を表明した。ブルネイでは主要なインフラ・プロジェクトの10以上が中国との協力案件となっており、開発投資の分野で中国頼みの傾向が強まっている。 |
2019年 | ・2013年から2016年まで4年連続でマイナス成長に陥っていた経済は、2017年に好転し、2019年まで3年連続のプラス成長を達成した。ただし、失業率は依然として高止まりしており、2019年は9.1%に達した。 |
2020年 |
・新型コロナウイルス対策においては、早期に国境を閉鎖し、独自のアプリを挿入して積極的な接触者追跡と検査を実施して第1波の押さえ込みを図った。年末の政府発表では同年の感染者は合計157人、死者は4人であった。 ・コロナ禍ながらも外交の多角化に向けて、従来の欧米日諸国との関係維持に加え、対中経済関係の推進や中東地域でライバル関係にある国々(サウディアラビア、イラン、カタルなど)との外交にも積極的な姿勢がみられた。 |
2021年 |
・新型コロナ感染症の第2波が年後半に猛威を振るい、年末までに感染者数約1万5000人、死者98人に達した。 ・ASEAN議長国としてブルネイは、2月に発生したミャンマーの軍事クーデターと軍政による民主化勢力への弾圧に対する対処を求められたが、ASEAN加盟国の立場が割れるなか、打開策を打ち出すには至らなかった。 |
2022年 |
・新型コロナ感染症は年初から第3波、第4波に見舞われたが、人口の97%がワクチン接種を終えて年後半から収束に向かい、9月には各種規制が完全に解除された。 ・6月の内閣改造で大幅な閣僚の入れ替えがあり、その中で初の女性大臣が教育相として就任した。 ・産業の多角化政策の一環として設立された東南アジア最大の規模の肥料工場が操業を開始した。 |
書誌情報
金子芳樹 「ブルネイの21世紀年表」『アジア・マップ:アジア・日本研究 Webマガジン』Vol.2, TH.3.01(2024年6月11日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/burunei/timeline/