アジア・マップ Vol.02 | インド
《総説》インドという国
インド音楽文化の『つながり』と『ひろがり』
半世紀ほど前、アメリカ西海岸におけるカウンター・カルチャーの旗手であったグレートフル・デッドのドラマー、ミッキー・ハートと、最高峰のインド人タブラー奏者ザーキル・フセインとのドラム文化を融合するコラボレーションが行われた1。グレートフル・デッドといえば、デッド・ヘッズと呼ばれた熱狂的なファン層を従え、アメリカの若者文化のムーブメントの一角を担った伝説的バンドである。彼らはコミューン生活を送りながら、サイケデリックスとよばれる幻覚ドラックを摂取し、変性意識状態の中で、既成概念にとらわれることのない音楽表現を模索していた。1曲の演奏が30分以上に及ぶフリーセッションになることも多かったグレートフル・デッドのライブ演奏は、アメリカのロック史上において、精神世界を探求した音楽表現として異彩を放っている2。(写真1)
さて、グレートフル・デットの内面世界を探求した音楽と、瞑想的で精神世界と深く結びつくインド音楽は、表現の方向性が合致しているようである。しかし、興味深いことに、両者の間には決定的なアプローチの違いがある。ハートが音楽演奏におけるサイケデリックスの使用を、音楽の創造プロセスに役立つものとして肯定しているのに対し、フセインはインド音楽の伝統においては、心と体の純粋さを保つことによってこそ、音楽の本当の深みや精神性に達することができると反論している。フセインは、なにか物質に頼ることなく、訓練や瞑想を通じて、その状態に到達するのがインド音楽なのだと主張しているのである。
この両者のやりとりの中に、インド音楽の、あるいはインドの技芸文化の「本質」が描かれているのでないか。西洋的二元論の世界では、身体と精神は対峙する概念として認識されている。しかしインド音楽では、身体を駆使し、極限まで運動機能を鋭敏化させ、繰り返し音のフレーズを体に沁みこませることによって、音楽表現の可能性を拡張し、最終的に表現の自由を獲得するのである。そこでは、身体と精神は地続きであり、訓練によってこそ深淵なる精神的な音楽世界を表現することが可能だ、と考えられているのである。メロディー理論ラーガとリズム理論ターラという、たった二つの理論を駆使し、数百年もの間、枯渇することなく、新しい表現を生み出してきたインド音楽は、心技体を通して変性意識状態に奏者と聴衆を導く、音の魔術なのである。
インド音楽理論の発展史インド音楽と一言に言っても、そこにはさまざまなジャンルの音楽が含まれる。その中で、古典音楽として人々に認識されているものは、大きく北インドのヒンドゥスターニー音楽と南インドのカルナータカ音楽である。端的に言って、ヒンドゥスターニー音楽とカルナータカ音楽の違いは、即興演奏の占める割合の違いである。前者は後者に比べ、圧倒的に即興的であり、一期一会の音楽表現を重視している。では、なぜ同じインド音楽でありながら、北と南でこのような違いが生じたのだろうか。それは、ヒンドゥスターニー音楽が西アジアからインド亜大陸に入ってきた、ペルシャ文化の影響を受けたからに他ならない。ペルシャとインド、あるいはイスラムとヒンドゥーという二つの文化思想が出会い、ぶつかり、溶け合ったところに、ヒンドゥスターニー音楽という類稀なる芸術音楽が形成されたのである。
では、西アジアからインドに流入したペルシャの影響とは、具体的にはどのようなものだろう。例えばこれまで書かれたペルシャ語の音楽書を読むと、インドのリズム理論は、ユーラシア大陸の西、ギリシャの音楽文化にまで辿ることが可能である。ギリシャの哲学者ピタゴラスは、天体や数と音楽の関係を深く思索した人物として有名であるが、その他にもアリストクセノスやプトレマイオスといった多くのギリシャの哲学者が、音楽を科学的に捉え、理論体系化した。そのような伝統は、アッバース朝のアラブの哲学者に引き継がれ、イスラームの韻律論に影響を与えながらリズム理論として体系化されていく。アル・キンディーやアル・ファーラビーといった、著名なイスラーム知識人達によって構築されたリズム理論は、イスラームが東へと勢力圏を拡大していくに従い、インド大陸にまで伝播された。そこで、古代から続くサンスクリット文化と出会うことで、インド音楽のリズム理論が形成されたのである。
さて、そのターラを端的に言い表すなら、それは、重層化されたリズム層を行き来しながら、緊張と緩和を生み出すリズム理論である。時には数学的に、時には詩的にリズムをずらし、組み替え、さまざまな「リズム遊び」を展開しつつ、変化自在に音楽を生み出す。この音楽芸術を成り立たせている理論が、ユーラシア大陸を横断してきた音楽文化の融合の結果であると考えると、ヒンドゥスターニー音楽が古くから西洋と東洋を行き来する人々によって作り上げられた、ユニバーサルな音楽文化であったことがわかる。
世界に伝播した都市音楽このように長い歴史を持つヒンドゥスターニー音楽であるが、その発展は都市文化と関係が深い。それは、この音楽が、ムガル朝時代の宮廷において発展したからだ。この時代、さまざまな地域の知識人や芸術家が、デリーやアーグラーなどの首都に集結して、都市文化が発展した。現在でも、インドの音楽家の憧れである声楽家、ターンセーンなどが宮廷で、鎬を削っていた時代である。そのような都市型のヒンドゥスターニー音楽は、各地から流れ込んでくる新しい文化的要素を常に取り込んで、各時代に合った音楽に更新されていった。近代になってもその傾向は変わらず、さまざまな発展が起こった。
西洋音楽で使われていた鍵盤楽器は、ハルモニウムという楽器としてヒンドゥスターニー音楽の主要な旋律楽器になったし、ギターやトランペットなどでラーガを演奏することも珍しくなくなった。サントゥールというカシミール地方の伴奏楽器でしかなかった打弦楽器は、稀代の音楽家シヴ・クマール・シャルマによって主流のメロディー楽器として生まれ変わった。(写真2)
また、ラーガやターラの表現も、日進月歩で改革されていく。師匠に習ったことをそのままコピーして演奏するのは、この音楽に限っては芸術性の高い音楽とは見なされない。新しいラーガやターラの解釈、聴いたことのないテクニックなど、オリジナリティーをいかに発揮するかが音楽家としての評価に関わるのである。どこまでも増幅し、どこまでいっても尽きることのないイマジネーションに彩られたヒンドゥスターニー音楽は、国境を越え、いまや世界に広がっている。(写真3)
現在、日本にも多くのインド音楽奏者が存在している。インドで現地のインド音楽家の中で活躍する日本人奏者や、日本にいながらにインドと深く関わりながら、新しい表現を模索する音楽家もいる。それぞれのスタンスで、千差万別にインド音楽に向き合い、この音楽文化を盛り上げている。長い歴史の中で、新しい文化を貪欲に吸収してきたインド音楽の「創造のスパイラル」は、いまでも力強く、世界を旋回しつづけているのである。創造することをやめない純粋な心をもった楽師達に、インド音楽はいつでもその門戸を開いている。
1彼らのプロジェクトの中でも、Planet Drumは世界中のドラム文化を取り込んで、音楽作品として作り上げる壮大なプロジェクトとして、ワールドミュージックの文脈においても先駆的なものである。https://planetdrum.com/zakir-hussain/
2グレートフル・デッドのライブの多くがInternet Archiveにて視聴可能である。当時のカウンターカルチャーの音楽文化の状況をリアルに伝える音源として大変貴重な記録宝庫といえよう。https://archive.org/about/
3「清掃人カースト」に属する人びとについては、彼らが「清掃人カースト」として分類されてきた歴史や、「清掃人カースト」すべてが清掃業に従事してきたわけではないという事実を知っておく必要があるが、ここでは便宜上、「清掃人カースト」という言葉を用いている。ただし、このことは、「清掃人カースト」と呼ばれる人びとがもつ、歴史的かつ社会文化的な多様性を否定するわけではないことを、ここで断っておきたい。
書誌情報
井上春緒《総説》インドという国「インド音楽文化の『つながり』と『ひろがり』」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, IN.1.02(2025年1月7日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/india/country/