アジア・マップ Vol.02 | ヨルダン

ヨルダンの「例外的」な観光・経済都市アカバ

臼杵悠
(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 ジュニア・フェロー)

 ヨルダンと言えば、首都アンマンである。人口のおよそ4割が集まり、社会・経済・政治における圧倒的な中心地であるからだ。しかしヨルダンには、アンマンに次いで、またアンマンとは全く異なる意味で「特別」な都市が存在する。それがヨルダン最南端の都市アカバだ。いったいアカバの何が「特別」なのだろうか。端的に表すなら、アカバにはヨルダン国内唯一の港があることだ。このため、ヨルダン政府はアカバを戦略的に重要な都市と位置付けている。ヨルダンではアカバ湾と呼ばれるこの海は、ヨルダンだけではなく、エジプトとサウジアラビア、そしてイスラエルとも接している。

 私にとってのアカバのイメージは「高級な観光地」である。ヨルダンに訪問する際はアンマンを拠点にすることが多い。そのせいか、アンマンからバスで4時間ほどとは言え、あまりアカバに行くことがない。ヨルダンの長期滞在時には数度行くことがあったが、その主な理由は観光目的であった。同じくヨルダン南部の県マアンに位置し沙漠が広がる有名な観光地ワーディー・ラムに行った後、そのまま南に向かい、アカバで海を楽しむという観光客も多い。アカバではヨルダン国内では滅多に食べられない海鮮料理を食べることができるので、それを楽しみに行く人もいる。ただし、もちろん生で食べられることはなく、レストランで提供されるのはたいてい揚げた魚である。ヨルダン人はあまり魚料理を好まないようで、アカバで夕食を共にした際、食欲があまりわかないのか何とも言えない顔で食べていた。

 アカバ湾沿岸には外資系の高級ホテルが立ち並ぶ。このようなホテルにはたいてい各ホテル専用のビーチがあり、観光客はそこで泳ぐことができる。料金を払うとホテルに宿泊していなくても利用できるビーチもあり、ダイビングなども楽しめる。もし海沿いのホテルに泊まることができたならば、アカバ湾を一望することができる。アカバ湾の向こう側には、ワーディー・ラムを連想させる岩山が連なる。ヨルダンのイメージを代表する岩山とあまりイメージにはない海とのコントラストが、アカバを表しているとも言えるだろう。ちなみに、一度ひょんなことからアカバの某外資系高級ホテルに泊まらせてもらったとき、部屋のトイレの立て付けが悪く、中から鍵をかけたら開かなくなったことがあった。なぜか外からは開くことができたのでことなきを得たが、1人で部屋にいたら長時間閉じ込められてしまったかもしれない。このあたりはヨルダンの別の場所でも身に覚えがある出来事であり、少し安心してしまったことを覚えている。

 さらにアカバには別荘が集まる高級住宅地がある。住宅の所有者もしくはその関係者しか入ることができない区画もあり、富裕層はそこで休暇を過ごすという。一方で、多くのヨルダン人が楽しむのは、無料で利用できるパブリックビーチであり、多くの家族連れで賑わっていた。他にスワンボートに乗ることができる場所もあった。とはいえ、きれいさや設備という点では、やはりホテルが所有するビーチの方が安心できるかもしれない。

ホテルから見えるアカバ湾。左にはヨルダン国旗が見える。(2011年1月15日筆者撮影)

ホテルから見えるアカバ湾。左にはヨルダン国旗が見える。(2011年1月15日筆者撮影)

多くの人で賑わうアカバのパブリック・ビーチ(2015年9月19日筆者撮影)

多くの人で賑わうアカバのパブリックビーチ(2015年9月19日筆者撮影)

 アカバは観光の点で重要な地域であるが、国家経済の点からも重要である。貴重な貿易港があり、ヨルダン住民の主食である小麦がアカバ湾にやってきたことがたびたびニュースになる。また2001年にアカバ経済特区(Aqaba Special Economic Zone、通称ASEZ)が制定されている。2007年にはヨルダン統計局がアカバ市の開発や投資計画に役立てることを目的に、アカバ市のみを対象とした全数調査を実施した。このことからも、政府がアカバを極めて重要な都市と考えていることがうかがえる。しかしながら、経済的な恩恵を受けているのはアカバ経済特区とほぼ重なるアカバ市だけであると言えるだろう。行政区的にはアカバ県があるものの、アカバ市と県内の他の都市とでは経済構造が全く異なっている。

 労働市場を見ても、アカバはヨルダン国内の他の都市とは異なった特徴を持つ。というのも、男性居住者の割合が極めて高く、その多くが労働者だからである。つまり、アカバには単身の出稼ぎ目的で一時的に働きにきている人が多いことが推測される。統計調査を行う際、アカバだけ質問用紙の回収率が低いことが多いという。おそらく、統計局のスタッフが各家庭を訪ねる時間帯である日中は家にいないのだろう。あるいは、頻繁に家族の元へ帰ってしまっているのかもしれない。ヨルダン人が週末、帰省するのは珍しいことではない。アンマンの大学に通っていた友人はマアン出身であり、毎週末必ず片道3時間かけて家へと戻っていた。

 アンマンはヨルダンを代表していると言われることが多い。その一方で、アカバには国家にとって大切なライフラインである港があり、しかも多くの労働者を吸収する場所でもある。その点で、アカバは国内の他の都市にはないものを持っている。もしかしたら、アカバに長期間住めばまた違った顔が見えることもあるかもしれない。しかしいずれにせよ、アンマンとは違い、アカバが国家と社会いずれにとっても「例外的」な都市であることには変わりないだろう。

夕暮れ時のアカバ市内の様子(2011年1月15日筆者撮影)

夕暮れ時のアカバ市内の様子(2011年1月15日筆者撮影)

臼杵悠「《エッセイ》ヨルダンの都市 ヨルダンの「例外的」な観光・経済都市アカバ」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, JO.4.02(2024年4月23日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/jordan/essay03