アジア・マップ Vol.02 | モンゴル

《総説》
モンゴルの牧畜―伝統・社会主義・現在

冨田敬大(神戸大学・人間文化研究機構 特命助教)

 「モンゴル」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。ネットで試しに検索すると、草原、家畜、天幕(ゲル)といった画像が数多く表示される。これは英語のMongoliaでも同じで、この国が牧畜のイメージと分かちがたく結びついていることを示している。

 現在、民族としての広義のモンゴル人は、モンゴル、中国、ロシアという三つの国にまたがって暮らしている。これは国境が固定化される以前から、モンゴル人たちがヒツジやウマなどの家畜とともに移動性の高い生活を送ってきたからにほかならない。生態学的に比較的均質な草原地帯での家畜飼育を生活基盤とし、13世紀以来、モンゴル系言語、仏教、シャーマニズムなどの共通の文化的特徴を有するこの地域を、Humphrey と Sneath(1999)は「内陸アジア」とよび、長い歴史をもつ文化経済圏であると定義した。しかしながら、内陸アジアでは、20世紀以降、国家による定住化政策や経済開発により、牧民の移動性は総じて低下している。こうしたなか、モンゴルでは、他地域に比べて、より柔軟で機動的なシステムを保持しているといわれる(Humphrey and Sneath 1999)。それは、モンゴルの牧畜が他地域に比べて「後進的」であることを意味するわけではなく、その近代化の過程で伝統的な知識や実践にもとづいた独自の発展を模索してきたことに関係している。

モンゴル草原における“遊牧”
 牧畜とは、人間が動物の群れの繁殖を様々な労働によって手助けし、その動物が生み出す乳、肉、皮、毛などの畜産物を利用する人類の生業様式の一つ(湖中 2009)、である。モンゴルの牧畜を表す言葉として、古くから「遊牧」の語が用いられてきた。遊牧とは、移動の一形態である遊動(遊)と牧畜(牧)という次元の異なる概念が組み合わさった言葉であり(松井 2001)、牧畜のなかでもとりわけ移動性の高いタイプを指すものである。遊牧は、英語でnomadismと訳されることが多いが、特定の文化的イメージを伴うため、mobile pastoralismとすべきだという指摘もある(Humphrey and Sneath 1999)。この遊牧における移動性の高さは、広範囲に点在する水や草などの資源を利用するのに有利なだけでなく、気温や降水量が変動しやすい乾燥地の自然条件にも適応的である。実際の牧民の移動パターンは、地形、気象条件、水、土壌、植生などに応じて異なり、山岳地帯、平原地帯、砂漠地帯という大きく3つに区分される(Marchina et al, 2022)。

 牧畜の対象となる家畜は、群れをつくる性質をもった有蹄類である。モンゴルでは、ヒツジ、ヤギ、ウシ、ウマ、ラクダの五種類の動物をマル(家畜)とよび、イヌやブタ、ニワトリなどと区別している。家畜は小家畜(ヒツジ・ヤギ)と大家畜(ウシ・ウマ・ラクダ)に大別され、小家畜は主に食料や生活資材を得るために、大家畜はさらに騎乗や輸送手段として用いられる。いずれの畜種においても、去勢オスは役畜として重要であるばかりでなく、そのメスから乳をしぼり、乳製品をつくるなど、個別地域の生態環境に応じて、家畜の組み合わせに違いはあるが、多種類の家畜を雌雄ともに多角的に利用する点で共通している(小長谷 2007a)。また、こうした種・性・年齢などに応じた細やかな家畜の群れの管理は、牧民が家畜の個体性を認知・識別することによって可能になっている(小長谷 2007b)。近年では、住居の構造や食事、精神性、身体的相互行為など日常生活のあらゆる面で家畜と人間の複雑な絡み合いがみられることが指摘されている(Fijn 2011 ; Marchina 2021)。

 食料としては、「赤い食べもの」と総称される肉類と「白い食べもの」と総称される乳製品類がある。肉類およびその加工品は、牧民の栄養補給と満足感に必須の食品であり、長期的な計画のもとで、屠殺・加工・保存・消費している(風戸 2020)。また、家畜の頭数を減らすことなく日常的に摂取できる乳製品も重要である。搾乳は一年中行われているわけではない。乳は、母畜が妊娠・出産してはじめて分泌される。搾乳期間は、初夏から秋・冬にかけてというのが一般的である。夏は豊富な乳量を背景に、多様な乳製品があふれる。一方、冬には、越冬食料として準備したばかりの肉がある。乳製品は保存食として残しておいたものを少しずつ食べる。肉と乳製品はともに季節性の強い食品であり、これらを季節的に食べ分けることで、効率的な食料の確保が可能になっている。ただし、モンゴルの牧民は決して自給自足的な食生活を送っているわけではない。中国との交易により、穀類や茶などが古くから食生活に組み込まれてきた(尾崎 2017)。

 モンゴルの牧畜は、乾燥・寒冷という極限環境に適応した生産・生活様式だといえるが、そうした家畜飼育や畜産物利用のあり方が、時代を超えて不変であるかのように考えることは正しくない。およそ70年に及んだ社会主義(1924~1991年)の経験は、現代のモンゴル牧畜を理解するうえでも重要である。

社会主義下の牧畜の産業化
 第二次世界大戦以後、あらゆる畜産物が、食品・工業原料としてソ連を始めとする社会主義国に輸出されるようになった。国内でも、都市のインフラ整備や工業化が進み、都市人口が増加したことにより、肉や乳製品などの食料需要が急速に高まった。1950年代末からは、農牧業協同組合(ネグデル)や国営農場(サンギーン・アジ・アホイ)のもとで家畜の飼育や畜産物の生産が行われた。地方では、土地・家畜・人からなる生産要素の統合的管理を可能にするために(Undargaa 2017)、牧民の移動を規制する行政領域が縮小し、基本的には郡やその下位区分にあたる行政区ごとに完結した土地利用システムがつくられた(冨田 2017)。ここでは、干ばつや寒雪害(ゾド)をはじめとする環境変化によるリスクに対し、防寒施設や井戸、栽培飼料への依存が高められるなど、全体として牧畜の定着化が進められた一方で、国あるいは地域単位での緊急避難のための移動(オトル)や刈草の備蓄・供給がもしもの時の備えとして機能していた(Fernandez-Gimenez 1999 ; 中村 2015)。ただし、モンゴルでは、旧ソ連や中国などと比べて、農業部門と牧畜部門の結びつきはそれほど強くなく(Sheeny, 1993 ; 小長谷・渡邊 2012)、実際は各地域の自然環境に応じた家畜利用や季節移動のパターンが維持されたと考えられる。

 協同組合における収入の大部分を占めたのが、肉(家畜生体)の国家調達である。モンゴルでは、1960年代以降、牧畜業の国内生産額が右肩上がりに増加してきた。一方で、家畜頭数は横ばいか、1980年代には減少傾向にあった。つまり、家畜頭数が伸び悩むなかで、畜産物の過剰な国家調達が行われた(Tomita 2021)。このしわ寄せは、一般の人びと(特に牧民)に及んだ。政府は、農牧業協同組合や国営農場の労働規律を強化するとともに、上限を超える家畜所有者の摘発や個人所有の家畜にも畜産品の供出を課すなど、家庭内での畜産物の自足的な消費に制限を加えた。その一方で、農牧業協同組合では、乳・乳製品の域内消費と域外流通を併存させるための仕組みとして、家畜種や季節、家畜の所有関係に応じた乳・乳製品の使い分けがあり、それらが集団化期を通じて維持された(冨田 2020)。

 すなわち、社会主義時代のモンゴルでは、都市・工業化に伴う人口構造の変化や気候変動などの課題に、伝統的な牧畜システムを基盤とした独自の発展を模索してきたということができる。ただし、研究者のあいだでも、集団化期の牧畜政策に対する評価は定まっておらず、放牧地の利用・管理をめぐっても、行政再編により牧民の移動範囲が大幅に縮小し、生態資源へのアクセスが制限されるなかで、公的な制度と慣習的な仕組みが補完的に機能し維持されたという立場(Fernandez-Gimenez 1999 ; 2004 ; Undargaa 2016)から、両者のせめぎ合いによって資源分配や紛争解決のための慣習的なメカニズムが弱体化したという立場(Bazargul et al. 1993 ; Mearns 1993 ; Müller 1995)まで幅がある。

“市場の時代”の牧畜経営をめぐる課題
 1990年代初頭に農牧業協同組合が民営化されたことに伴い、モンゴルでは、およそ半世紀にわたり続いた畜産物の国家調達が基本的に終わり、自由契約、自由価格による取引が開始された。これにより、それまでの集団化された牧畜労働から、各世帯が個別に牧畜経営を行うようになった。モンゴル語で「市場の時代(ザハ・ゼーリーン・ウィ)」といわれるこの三十年ほどの間に、牧畜業を中心とした農牧業の経済に占める割合は徐々に低下し、現在は鉱業や卸・小売業に次ぐ規模になっている。国内総生産(GDP)の産業別構成比を2002年と2022年で比較すると、鉱業は9.8%から23.6%へと顕著な増加がみられるのに対して、農牧業は18.9%から12.8%に減少している。一方で、労働人口のおよそ四分の一が農牧業に従事するなど、地方の人びとにとって家畜飼育は今なお重要な生活手段となっている(鉱業従事者が全労働者のわずか5%に過ぎないのとは対照的である)。とはいえ、長期的にみれば、牧畜業が雇用の受け皿となった移行当初の状況とは異なり、農牧業従事者は2009年の34.7%から2022年の24.9%へと減少傾向にあり、特に若者の牧畜離れが深刻である。

 このような状況にありながら、家畜の総頭数は2022年末に7,112万頭に達し、過去最大の頭数を更新するなど、市場経済化以降、家畜頭数は概ね右肩上がりに増加している。社会主義時代(集団化期)には、家畜頭数はほぼ横ばいで、3000万頭を超えることはなかった。あたかも市場化が牧民の生産意欲を高めた結果のように思えるが、事態はそう単純ではない。背景として、畜産物を売却するための市場がないことや、牧民自身の経営戦略が変化していること(家畜頭数を増やしつつ、より多くの経済的利益を得ること)などがあげられる。また、家畜頭数の急増は、植生への悪影響をもたらし、干ばつや寒雪害の被害が拡大する遠因となっている。社会主義時代には、年間4万トン程度の食肉や300万頭程度の生態家畜が輸出されていたというが(小宮山 2017)、2017年の食肉の輸出量は28,900トン(9割をウマ肉の輸出が占める)と、社会主義時代の水準を下回っている。食肉の輸出が滞っている背景には、口蹄疫の発生などから偶蹄類(ウシ・ヒツジ・ヤギ)の畜産物の輸出が制限されていることや、輸送コストの高さ、品質の問題など複合的要因が関与している。

 牧民の減少と世帯単位の家畜頭数の増加は、経済的側面のみならず、社会・文化的な側面にも影響が及んでおり、地方では、居住単位を構成する世帯数の縮小と、草原と定住地における夫と妻子の別居のような世帯それ自体の縮小が起こっている(辛嶋 2022)。居住単位の縮小は、特定の家畜種への特化(尾崎 2019)、季節移動の小規模分散化(上村 2017)、草原と定住地の間の広域的な協業(辛嶋 2022)、乳製品加工など家事労働の簡略化(冨田 2016)といった、従来の固定的な牧畜像では捉えきれない多様な牧畜実践を生み出している。

 市場経済化以降、低迷が続く農牧業であるが、近年、持続可能な産業として再び注目が集まっている。2015年に国連で採択された持続可能な開発目標(SDGs)は、2030年までの開発計画の指針であり、従来のような経済開発と環境保全を対立的に捉えるのではなく、地球環境が安定的で回復力のある範囲内で、貧困の削減と経済成長を追求すべきであるという考え方に基づいている。モンゴルでは、この持続可能な開発目標を受けて、2016年に「モンゴル国持続可能な開発ビジョン2030」が国会で承認され、持続的な経済発展には農牧業の発展が不可欠であるという立場から、牧畜業の振興や観光開発を重視している。こうした政府の方針は、2020年5月に策定された「長期ビジョン2050」にも継承されている。現在、気候変動への対処や、国際的な競争力の強化といった牧畜業の発展に向けた様々な課題に、アジア開発銀行や国際協力機構など国際機関の援助を受けながら取り組んでいる。

 人類学者のレヴィ=ストロースは、『人種と歴史』(2001=2019)のなかで、アインシュタインの相対性理論の比喩(並行して走る列車の例)を使って、異なる文化・社会の相互理解の難しさを説明している。冒頭で挙げたモンゴルの牧畜のイメージも、一見すると、チンギス・ハーンの時代から変わっていないようにみえるかもしれない。しかし、ここで述べてきたように、過去100年に及ぶ社会経済変動と環境変化のもとで、自然・動物・人間の関係もまた大きく変化してきたのである。

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ウマ捕り竿(オールガ)を持った男性

夏の乳製品づくりの様子。チーズを天日乾燥している。

夏の乳製品づくりの様子。チーズを天日乾燥している。

ウマ捕り竿(オールガ)を持った男性

社会主義時代につくられた井戸と給水桶。現在は壊れて使用不可。

社会主義時代につくられた井戸と給水桶。現在は壊れて使用不能。

冨田敬大,《総説》「モンゴルの牧畜―伝統・社会主義・現在」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, MN.1.01 (2024年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/mongol/country