アジア・マップ Vol.02 | モンゴル

エッセイ モンゴルと私
モンゴルでカザフの装飾文化を学ぶ

廣田千恵子
(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター 日本学術振興会特別研究員(PD))
モンゴルに夢中な日々

 大学でモンゴル語を専攻したことがきっかけとなり、首都ウランバートルで語学留学をするに至ったのは2009年のこと。当時、日本の相撲界では、二人のモンゴル人横綱の存在が大きな注目を集めていた。モンゴル人力士と仲よくなれるかもという家族の軽い言葉にそそのかされてモンゴル語科を受験することにした私が、のちにモンゴルに長期留学し、さらには遊牧民の手工芸や牧畜技術を学ぶ道に進んでいくのだから、全く人生は何が起こるかわからない。

 留学を初めて間もない頃、ちょうどモンゴルに滞在していた同じ大学出身の先輩から、一緒にモンゴルの田舎を周らないかと誘ってもらった。本物の草原の暮らしを、自分の目でみてみたい。強い好奇心に駆り立てられた私は、留学先の授業を早々にさぼることに決め、先輩の旅に同行させてもらうことにした。

 先輩には本当に色んな場所に連れて行ってもらった。そのおかげで、私はモンゴルという土地が実に広大で、様々な自然環境をもつこと、そして人々の知識や技術もまたその環境に応じて多様であるということを肌で感じることができた。

 モンゴル中央部に位置するトゥブ県の牧畜民の家では、ウマに乗せてもらい、毎日草原を駆け抜けた。ウマで走ってみると、一面平らな緑と思いこんでいた草原のところどころに、実は野生動物によって作られた穴があって、それを避けて走らなければならないことを知った。草原は様々な命が共存する場所なのだ。

 南部ドンド・ゴビ県では、真夏の暑い日差しの中、目の前の景色がゆらゆらと揺れていた。それは生まれて初めて見る蜃気楼だった。井戸で水を汲めば、気が付くとどこからかやってきたラクダの一群に囲まれて驚いた。夜はゲルの外に出て、大地にこぼれ落ちてきそうな満天の星空をぼんやりと眺めながら、心地よい風に包まれて眠った。

 秋には北部フブルグル県のタイガを訪れ、トナカイを飼って暮らしている人たちと出会った。キンと冷たい風を体に受けながら、ウマやトナカイに乗って森の中を往く。澄んだ青色の空と、黄金色に輝く木々のコントラストに胸を打たれ、涙がこぼれた。オルツ(住居)に着くと、トナカイのミルク入りのお茶をいただいた。あの空間の温かさが、今は恋しい。

 あぁ、モンゴルって、すごい。どの土地も悔しいくらい魅力的で、エネルギーに満ち溢れている。どこに行っても人の笑顔に心奪われ、自分も心から笑顔になれた。また来てねといってくれることが嬉しく、ウランバートルへの帰路ではいつまた田舎に行けるかということばかり真剣に考えていた。10年以上経った今でも、あの頃のわくわくした感覚はずっと胸の奥に残っている。

カザフの刺繍布との出会い

 そうして先輩に連れて行ってもらった場所のひとつに、バヤン・ウルギー県があった。国内の最西端に位置する同県は、国内で唯一、モンゴル人よりも「カザフ」人が多く居住している地域である。まるで違う国に来たかと錯覚してしまうほど、バヤン・ウルギー県で見聞きしたカザフの言葉や生活様式は、モンゴルのものとは異なっていた。

 滞在中、ふと私の興味を引いたのは、カザフ人ガイドが見せてくれた1枚の大きな刺繍布だった。幅2メートルはある布の全体にびっしりと刺繍がほどこしてある。その布はカザフの天幕型住居の内部にかける壁掛けであるという。モンゴル人の天幕型住居の壁にはこんなに手の込んだ壁掛けはかかっていなかった。なぜ、カザフ人はわざわざ壁掛けを作るのだろう。この布は、カザフ人にとってどんなモノといえるだろう。

写真1 天幕型住居の内部。2017年撮影。

写真1 天幕型住居の内部。2017年撮影。

写真2 壁掛けトゥス・キーズ。2012年撮影。

写真2 壁掛けトゥス・キーズ。2012年撮影。

 勧められるままにその壁掛けを購入し、ウランバートルに持ち帰った。それを自室の壁にかけて生活するうちに、カザフの壁掛けに対する興味はますます高まっていった。カザフのことを知りたいならば、「カザフスタン」に行った方がいいのだろうか。けれども、田舎での旅を通じてモンゴルという場所が好きになっていた私は、モンゴルでカザフの文化を学ぶことにした。

 そして、2012年から2年間バヤン・ウルギー県に滞在し、カザフの手工芸・装飾文化についてフィールドワークをおこなった。まず、カザフ人宅を訪問し、天幕型住居の中で使われている装飾された調度品をひとつずつ記録することにした。それらが誰によって、どのような材料と技法を用いて、いつ何のために作られたのか、ということを聞き取りながら。

 そうしていくうちに、あの壁掛けのことをカザフ語で「トゥス・キーズ」というと知った。住居空間を美しく彩るトゥス・キーズは彼らにとって生活必需品であり、飾りや防寒具としての機能をもつ。その作り手はいずれも女性だった。カザフ人社会では、刺繍は女性がおこなうべき仕事として位置づけられているからだ。

 トゥス・キーズの刺繍はたいていかぎ針を用いてほどこされていた。聞けば、かぎ針のほうが針よりもずっと速く多く縫うことができるという。熟練の女性たちは、縫い目の大きさをきちんと揃えながら、一定の速度でリズムよく縫い進めていく。刺繍というよりは、布を介して編み物をしているようにも見えた。

 時々、ある家でみたトゥス・キーズと全く同じ模様のものを別の家で見かけるということがあった。刺繍布にほどこされる模様のパターンには、流行があるという。しかし、同じ模様であっても作り手が違えば、全く違うモノとなるのが手作りの面白さだろう。配色や模様のアレンジ、リボンやボタンの縫い付けなど、布のところどころに作り手のちょっとした工夫や遊び心、センスが光る。丹念に作り込まれたトゥス・キーズからは、作り手がそれを楽しんで作っていたであろうことが伝わってきた。

刺繍布をつうじてみる家族の形

 トゥス・キーズには、名前や年代が縫われているものがある。「○○のために縫った」、「△△より○○へ」、「思い出××年」。それらの名前やメッセージは、たいていそのトゥス・キーズが母親から子供へと贈られたものを示すものだった。カザフ人にとってトゥス・キーズは、暮らしの道具であると同時に、家族や我が子の幸せを願って作られる贈物なのだ。

写真3 母よりと書かれたメッセージ。2012年撮影

写真3 母よりと書かれたメッセージ。2012年撮影。

 一方で、市場に行くと、トゥス・キーズが山積みになっているのを見かける。2000年以降、バヤン・ウルギー県の観光化が進む中で、壁掛けは現地の人々の現金収入手段のひとつとなっていた。全く抵抗なく売りに出す人もいれば、現金は必要だけど、母親が作ってくれたものを売ることに躊躇する人もいる。そこで、近年私はモノと一緒に家族の写真を撮らせてもらうという取り組みを始めた。お節介かもしれないが、彼らがいつかそれを売ったとしても、せめて写真に思い出が残れば、と。

写真4 母から贈られたトゥス・キーズの前で。2017年

写真4 母から贈られたトゥス・キーズの前で。2017年

写真5 結婚当初のことを語ってくれた夫婦。2017年

写真5 結婚当初のことを語ってくれた夫婦。2017年

写真6 娘と母、嫁ぐ娘のために作ったトゥス・キーズと共に。2017年

写真6 娘と母、嫁ぐ娘のために作ったトゥス・キーズと共に。2017年

 写真を撮るとき、そのトゥス・キーズが作られた背景を聞かせてもらうようにしている。その作り手や家族と過ごした時間を思い出すからだろうか、話をする人々の表情はいつも穏やかだ。カザフ人にとってこの布はどのようなモノかという問いは、次第にこの人たちにとって家族とは何だろうという問いに変わっていった。社会構造や系譜などではない、それぞれにとっての家族の形、そして、生き方。ひとつでも多く知るために、私のフィールドワークは続いていく。

廣田千恵子「《エッセイ》モンゴルと私 モンゴルでカザフの装飾文化を学ぶ」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, MN.2.02 (2024年4月9日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/mongol/essay01