アジア・マップ Vol.03 | バハレーン
《総説》
AI革命時代のバハレーン
交易の要衝から金融・観光の拠点へ
2025年の大阪・関西万博に独自のパビリオンを出展した中東諸国がいずれも湾岸産油国であったことは、これらの国々の経済力の大きさを改めて示すものであったと言える1。なかでも「海をつなぐ」をテーマに掲げたバハレーンのパビリオンは、木造の帆船をイメージしたつくりで、豊かな木工技術の伝統を有する日本とのつながりを意識させるものであった。内部を巡ると、同国が交易の要衝から金融や観光の拠点として台頭するまでの歴史をひととおり学ぶことができる。設計を担当したのは今年(2025年)2月に大英博物館の改修工事をコンペで勝ち取ったことでも知られるパリ在住の建築家リナ・ゴットメであるが、彼女が生まれ育った内戦下のレバノンを尻目に――というよりも、レバノンから逃れた企業や金融機関を引き付けることで――台頭したのがほかならぬバハレーンであった。
1932年に石油採掘に成功したバハレーンは、現在の湾岸産油国のなかでは最も早くに石油の富が約束された国となった(正確に言えば、1971年の独立まではイギリスの保護領下に置かれていた)。しかし1970年代初頭には石油産出量が減少に転じたことから、バハレーン政府はこれに危機感を覚え、石油に依存しない国づくりを目指して産業の多角化に早くから取り組んだ。とくに税制優遇や外国企業の誘致を積極的に行ったこともあり、バハレーンは内戦に陥ったレバノンに代わる中東の新たな金融拠点として台頭するようになった。2000年代以降は急速な経済成長を遂げたUAE(なかでもドバイとアブダビ)の陰に隠れることも多いが、同国は今なお中東における主要な金融拠点の一角としてあり続けている。とくにスタートアップ企業への手厚い支援や、金融、なかでもフィンテック分野への積極的な投資で定評がある。2018年には近海で大規模油田が見つかっており、2022年には現行ガス田の下層に新たなガス田も発見された。採掘が進めば莫大な資金が同国に還流することが確実視されている。その意味では、今後の変化が最も期待される国のひとつと言えるだろう。
写真2 米Forbesが2025年に選んだ「中東のフィンテック50」2で26位にランクインしたバハレーン発の支払いサービスeasypay.comの本社(2025年8月11日撮影)
AI革命時代を迎えるバハレーン
さて時代はAIである。最新のテクノロジーへのキャッチアップは、他国との経済競争を勝ち抜くうえで欠かせない。湾岸産油国の場合、国内でのものづくりよりも、情報・サービスの円滑な提供や、税制優遇をもとにした企業の誘致、また国際的な発信力を重視しているところが多い。そのためテクノロジーへの順応は国家全体の改革の行方を左右しかねない重要事項である。湾岸産油国の経済拠点と言えばUAEが有名だが、最近では改革派のムハンマド皇太子が率いるサウディアラビアの動きも見逃せない。また仲介外交に積極的に取り組むカタルも、国際社会のなかで独自のプレゼンスを示している。こうした近隣諸国に対して、バハレーンはその存在感をいかに示すことができるのか。これはとくにバハレーンのような小国にとっては、国家の生存とも結びつく深刻な問題である。ゆえにAIのような新たなテクノロジーに対しては、それを傍観するよりも先手を打たなくてはいけない3。実際、バハレーン政府も来るべきAI時代を見据えて様々な施策を講じている4。
例えば、2019年には政府系のバハレーン労働基金(Tamkeen)がマイクロソフトと協力するかたちでバハレーン工科大学にAIアカデミーを設け、同国のAI分野を担う人材育成に取り組んでいる。また同基金は、2030年までに5万人の国民に対してAIに関する教育プログラムを提供するとしている。これはAI分野に対応できる人材の裾野を拡大するためにも必要な政策だと言えよう5。同時に、AIを利用する際の倫理的なガイドラインの制定も進めており、2024年にはAI規制法を策定した。さらに2025年6月には「国家AI政策」を打ち出すなど、AIに関する政策を矢継ぎ早に進めている。
AIの分野を強化したいのは他分野との相乗効果が見込めるためでもある。例えば、バハレーンは2024年10月に湾岸産油国のなかで初となるビットコイン投資ファンドを立ち上げている。仮想通貨に対して慎重な姿勢を見せるイスラーム諸国も少なくないなかで、バハレーンの動きはこの分野で他国に先んじたいという強い意思の表れと言えよう。2025年2月には仮想通貨の技術的基盤であるブロックチェーンを活用した世界初の「ブロックチェーン駆動型都市」を目指すとも宣言している。それを実現するためにも、AIの活用は欠かせない。
もっとも、これらは過去の政策の延長線上で理解されなくてはいけない。先に述べたように、ドバイの台頭に危機感を覚えたバハレーン政府は、2007年に巨額の資金を投じて金融の拠点ファイナンシャル・ハーバーを整備した。翌年には「経済ビジョン2030」を発表し、デジタル化を通じた効率的な行政や経済の実現を掲げ、大規模な国内改革に邁進中である。とくに金融・フィンテックに力を入れたいバハレーン政府は、この分野を強化すべく、2018年にフィンテック企業のための拠点(バハレーン・フィンテック・ベイ)も設けている。
併せてバハレーンをより開かれた国に変えるべく、空港の大々的改修も行い、旅客収容能力や利便性の向上を図っている――実際に筆者がコロナ禍前(2017年)にバハレーンを訪れた際には空港でのビザ取得がやや面倒だった記憶があるが、先日(2025年8月)同国を訪れた際には空港が新しくなっており、ビザの取得も入管の窓口でクレジットカードを出せばすぐに発行されるなど手続きが簡略化されていた。さらに最近ではバハレーン西部にデジタルシティの建設も予定されている。こうした大胆かつスピーディーな改革が可能なのは小国であるがゆえの強みであろうか。
変わるバハレーンの変わらぬ街区を歩く
このように、バハレーンでは政府が主導するかたちで国内の改革が次々と進められており、そうした変化は国内の随所に見て取ることができる。その一方で、旧市街を歩けば以前と変わらぬ街並みも広がっている。バハレーンに暮らす人々の約半数は外国籍である。最も多いのがインドからの労働者であり、聞くと20年以上にわたって働き続けている人も少なくない。
バハレーンとインドとのつながりは古く、両者の関係は石油採掘よりもはるか以前に遡る。旧市街地の一角に佇むシュリ・クリシュナ寺院は、19世紀初頭にグジャラート出身のバニヤ商人たちが建てたもので、こうした建造物からも両者の人やモノの往来の歴史を窺い知ることができる――そのため、インドのモディ首相が同所を以前表敬した際には、建物の改修や用地拡大の費用として420万ドルを投じることを表明している。今日、バハレーンに暮らすインド系の労働者の多くは自国よりも高い収入が見込めるがゆえにバハレーンで働いているのであろう。同時に、彼らが長く働き続ける理由には、インドとバハレーンとの歴史的なつながりや、長年かけて築かれてきた彼らの生活空間があるように思われる。
バハレーンの経済成長には、外国からの労働者が不可欠である。その彼らをよく知るためには、単なる働き手としてだけでなく、バハレーンにおける多文化主義の伝統や労働者たちの衣食住を取り巻く環境をも広く見ておかなければいけない。
また外国人労働者を除くと、バハレーンの国民の大勢を占めているのがシーア派系住民である。しかしながら、バハレーンを統治しているのはスンナ派のハリーファ家であり、そのため国内の政治や経済の実権はその身内(≒スンナ系の人々)に集中している――誤解なきように言えば、完全に宗派で分断されているわけではなく、スンナ派系住民のなかにも貧富の差がある。「アラブの春」(2011年)の余波がバハレーンに及んだ際、抗議運動の中心にシーア派住民が多かった事実は、そのなかに「取り残されている」という思いを抱く者が多かったことを示している。ゆえに、政治的権利の実現や経済格差の是正をいかに図っていくかは、同国の安定した発展を考えていくうえで重要な問いである。2011年の抗議運動は武力で鎮圧され、その後のバハレーンでは強権的な統治が強まったことが指摘されている。だが、バハレーンが国として発展していくうえでは、国民の大半を占めているシーア派住民を置き去りにするのは得策とは言えない。国内の亀裂や分断をいかに解消していくことができるのか。これはバハレーンにとっての重要な課題である。
バハレーンで進むAI革命の行方は、政府が進める政策だけではなく、社会の側からの検討も必要である。というのも、テクノロジーは政府が上から導入を図れば必然的に社会に根付くというものではないからである。AIという新たなテクノロジーをバハレーンの社会がいかに受け入れ、それをもとに国づくりがどのように進んでいくのか。バハレーンにおけるAI革命の行方を、社会との動態を意識しながら見ていく必要があるだろう。
謝辞
本研究はJSPS科研費23K11557の助成を受けたものです。また冒頭の万博に関する部分については、サントリー文化財団による「知海を泳ぐ」研究会と関連するエクスカーションの成果を取り入れて書いています。
注釈
1関西万博のパビリオンは、大きく4つのタイプに分かれる。参加国による自由な設計が可能な「タイプA(敷地渡し方式)」は万博の華であるが、中東諸国のうちタイプA方式でパビリオンを出展したのはすべて湾岸産油国(サウディアラビア、カタル、UAE、バハレーン、オマーン、クウェート)であった。
2米Forbesによる「中東のフィンテック50(2025年)」(https://www.forbesmiddleeast.com/lists/the-middle-easts-fintech-50-2025/eazypay-com/https://www.forbesmiddleeast.com/lists/the-middle-easts-fintech-50-2025/eazypay-com/、2025年9月14日最終閲覧)
3湾岸諸国は経済分野で各国が競争しており、そうしたことはAIやデジタル分野においても見て取ることができる。例えば、2020年にはサウディアラビアが主導するかたちで「デジタル協力機構(Digital Cooperation Organization、略称DCO)」を立ち上げており、バハレーンやクウェート、オマーンなどが初期メンバーとして加わった。現在では合計16の国々がDCOに参加している。しかしながら、UAEはDCOには加盟していない。このことはDCO自体がサウディアラビアとUAE間でのデジタル覇権のための道具と化していることを示しているように思われる。バハレーンの場合、それ以外の国々と比べてサウディアラビアとの協調路線を重要視している。だが、サウディアラビアが民間企業や外国企業の誘致を進めるなかで、両国間で企業の奪い合いが生じる可能性がないかと問われれば、そうではないだろう。サウディアラビアと協力しつつも、国としての独自色をいかに打ち出すのかがバハレーンにとって目下の課題となっている。
4AI分野でバハレーンが中東地域における主導的役割を担うことを目指すとする記事(https://www.cio.com/article/191083/qanda-how-bahrain-plans-to-be-a-regional-ai-leader.html、2025年9月14日最終閲覧)
5バハレーン労働基金が2030年までに5万人のAI人材を育成するとする計画を報じた記事(https://www.tradearabia.com/News/432297/Tamkeen-plans-to-train-50,000-Bahrainis-tin-AI-by-2030-、2025年9月14日最終閲覧)
書誌情報
千葉悠志《総説》「AI革命時代のバハレーン」『アジア」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, KW.1.01(2025年11月13日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/bahrain/country01/