アジア・マップ Vol.03 | カンボジア
《エッセイ》カンボジア紀行
スヴァイリエン州の精油ほか
筆者は近年、カンボジアのスヴァイリエン州において、メラルーカと呼ばれる植物から蒸留される精油の生産状況に関する調査に参加している。メラルーカは、東南アジアからオーストラリア北部にかけて広く分布する常緑樹で、少なくとも3000種の属種を含んでいる。その樹木は屋根葺材や足場杭として、その樹皮は地方部では松明の燃料として、現在でも使われている。そしてその葉からは、精油を蒸留することができる。メラルーカ精油は、フェイスオイルやボディーオイルとして用いられるほか、虫除けにも使われる。日本でも「ティーツリーオイル」という名称のオイルが販売されているが、これがメラルーカ精油である。しかし、そのほとんどがオーストラリア原産のもののようだ。吹き出物に効くらしい。
スヴァイリエン州は、首都プノンペンの南東に位置する。ベトナム側に突き出るような形状から「オウムの嘴」と呼ばれた。ベトナム戦争時には物資の補給路として使われたり、戦いの舞台となったり、空爆や枯葉剤の散布の対象となったりした。1979年に、ヘン・サムリンの要請を受けたベトナム軍がポル・ポト政権を打倒すべく侵攻した際には、この地を通過している。以降、1989年にベトナム軍がカンボジアから撤退するまで、スヴァイリエン州はベトナムの強い影響下にあり続けた。以降同州では、カンボジアとベトナムの友好関係を祝する記念式典が毎年のように行われている。
カンボジアの首都プノンペンからスヴァイリエン州までは、国道1号線を使って自動車で約3時間かかる。かつては道中のメコン川を渡る際に船に乗る必要があったが、2015年にネアックルン橋(通称:つばさ橋)が日本の援助で架けられて以降、随分と移動が楽になった。国道1号線は、アジアハイウェイの一部にして、ベトナムとタイをつなぐ南部経済回廊を形成する国際幹線道路であり、大型トラックが絶えず行き交っている。
国境沿いには複数の検問所が設置されている。そのなかでも、カンボジア側のバヴェットとベトナム側のモクバイをつなぐ検問所が、特に栄えている。プノンペンとホーチミンを結ぶ国際バスは、もっぱらここを通過する。スヴァイリエン州の東端に位置するバヴェットには経済特区が設置されており、外国資本によって縫製工場やカジノ、ホテルが現在では立ち並び、特殊詐欺などの国際犯罪の拠点にもなっているときく。2025年11月には、ベトナム人グループによる銃を用いた裁判所襲撃事件も発生した。
スヴァイリエン州内においてメラルーカの自生地や精油を蒸留する場所は、国道1号線やバヴェットから少し離れたのどかな田園地帯に位置する。赤土の道の上を鶏や牛が歩いており、油断すると牛の糞を踏む。成犬に追いかけられることもあれば、生まれたばかりの子犬が足元にまとわりついてくることもある。州内に大規模な精油の生産工場はなく、メラルーカの枝葉を入手できる人々が、それぞれに自前の蒸留装置を使って小規模な生産を続けている。筆者らは、彼らに対して質問票を用いた調査を行っている。
調査は未だ継続中であるが、およその傾向として以下のことが見えてきた。メラルーカの枝葉の収穫にしても蒸留にしても多くの時間と労力を費やす必要があり、それに釣り合う収入が得られていない可能性がある。収穫したメラルーカの枝葉を水と共に火にくべて、出てくる蒸気を冷水で冷やすことで油を抽出するという、大まかな蒸留の手順自体はどの生産者においても共通しているが、それぞれの過程で必要とする時間などについては千差万別である。いずれの手作りの蒸留装置も大枠では同じような形状をしているものの、冷水タンクの数などの細かいところを見ていくと、生産者ごとに様々な工夫がなされている。この装置については、労働時間の短縮や精油の質の向上という点において、改善の余地があるように見受けられる。メラルーカ精油は重要な収入源だが、それに収入のすべてを依存する家庭はなく、ほかにも米をつくっていたり、工場勤めをしていたりと、多様な収入手段を持っている。なお調査対象地域では、道が必ずしも舗装されているとは限らないため、雨期になると道が冠水し、移動がままならないことがある。さらなる詳細については、調査の進展を待ちたい。
2025年11月上旬のことである。その日の調査が一段落した後、村の集会所でお昼ご飯に招かれた。ちょうど水祭り(ボン・オム・トゥーク)の二日目にあたる日であった。水祭りは、雨期が終わる時期三日間かけて開催されるお祭りで、特にプノンペンでは大規模なボートレースが開催される。しかし2025年にはタイとの軍事衝突が生じたため水祭りは大々的には祝われず、人々に時間的な余裕があるため、この時期に調査を入れることにしたのであった。
この日は、お月見の日でもあった。集会所では、仏陀と思しき絵を祀ったお月見台が東へ向かって設置されていた。ココナツやバナナも供されており、幾本もの線香が置かれてあった。日中にあって月はまだ見えないが、集会所には老若男女が集まっていた。村の皆で一緒に食べるために炊き出しが行われており、同伴にあずかった。オンボックと呼ばれる、収穫したばかりの餅米を乾燥させたものをまず食べさせてもらった。お月見の日に供される特別なものということなので、日本でいう月見団子にあたるだろうか。ココナツの汁と一緒に食べるが、フレーク状のシリアル食品のようで、これはまだ美味しい。ほかにも、普通の米からつくられる麺や、そのスープ、付け合わせの野菜、ライギョの頭を揚げたものが出てきた。いずれも、カンボジアのどこででもいつでも見かける料理である。ところが、スープの味も見た目も薄い。確認したところ、他地域では一緒には使われないターメリックの根とガランゴーの根の両方が含まれている一方で、他地域では必須と言えるほどに使われるココナツの汁が入っていないという。また付け合わせの野菜についても、他地域では見られないミズオジギソウが供されていた。ここに、スヴァイリエン州の食の特徴が垣間見えているのかもしれない。
スヴァイリエン州の食については今回の調査の対象には含まれていないものの、ほかにもこの一帯には他地域では見られない独自の食があるときく。また、住民の大半が仏教徒である一方で、イスラームを奉ずるチャム族もわずかながら居住しているという。これからスヴァイリエン州で進めていくメラルーカ精油の生産状況に関する調査の傍らで、この地の食や宗教についても探っていくことができれば楽しかろうと考えている。
書誌情報
馬場多聞《エッセイ》「カンボジア紀行 スヴァイリエン州の精油ほか」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, KH.10.03(2026年3月19日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/cambodia/essay01/