アジア・マップ Vol.03 | 中国
《エッセイ》
出土文献の宝庫 長沙
2024年11月、初めて湖南省長沙市を訪れた。長沙は中国南方に位置し、人口は1000万人を超える。筆者は長沙への訪問を長く心待ちにしていた。それはなぜか。長沙という都市は、出土文献を研究する自分にとって、人生で必ず一度は行っておきたい場所だったからである。
出土文献とは、中国で紙が普及する前に使われていた竹簡(竹の細い札をひもで編んだもの)や木簡、帛書(絹の布)のことである。20世紀に入ってから、中国では竹簡・木簡・帛書が多数出土し、現在もなお中国各地で陸続と発見されている。出土文献の多くは、戦国時代ごろから漢代にかけて筆写されたものであり、当時の思想や歴史、文化を知る上できわめて重要な資料である。出土文献が発見されるまで、亀の甲羅などに刻まれた甲骨文や青銅器に鋳込まれた金文の他には、紙に書かれた文献しか見ることができず、それらに基づいて中国の思想や歴史が語られてきた。しかし、出土文献が発見されて研究状況が一変した。甲骨文や金文、紙の文献に書かれていなかった内容が、出土文献に含まれていたからである。出土文献には古代の人々の声が残っているため、現代の中国学においては、参照必須の資料となった。
この出土文献が見つかった地の一つに、長沙がある。1972年から1974年にかけて、長沙にある前漢時代初期の墓・馬王堆漢墓が発見された。見つかった3基の墓のうち、3号墓からは、占いから地図、『老子』、医学書に至るまで、多岐にわたる文献が出土した。筆者は、馬王堆漢墓で発見された医学系の竹簡・帛書も対象に、古代中国の身体観について研究している。博士後期課程の期間が新型コロナウィルスの流行と重なり、中国での資料調査が制限された筆者にとって、出土文献の宝庫である長沙を訪れることは夢であった。
馬王堆漢墓から出土した文献は、湖南博物院で見ることができる。博物院の近所で肉まんと豆乳を買って朝食を済ませ、現地に向かうと、筆者が観覧したのは土曜日だったこともあってか、入場ゲートにはすでに長蛇の列ができていた。小学校低学年くらいの子供から高齢者、中国に留学している外国人学生まで、多くの人が列をなす。筆者はあまりの人の多さに驚き、同行してくれた中国人になぜここまで人が多いのかと尋ねたところ、新型コロナウィルスの反動で、休日にとにかく外出したい人が多く、美術館や博物館もレジャースポットとして人気なのだと教えてくれた。入館にはインターネットでの事前予約が必要だが、筆者が観覧した「長沙馬王堆漢墓陳列」「湖南人——三湘歴史文化陳列」は無料で見ることができた。中国の博物館は入館料が不要なところが多く、文化を学ぶハードルが低いように感じる。来館者の多さには、入館料が無料であることも関係しているかもしれない。
中に入ってみると、馬王堆漢墓の展示室は薄暗い。展示物には、レプリカもあれば実物もある。室内が薄暗いのは、特に実物の展示物を保護するためであろう。これまで、筆者が出土文献を読む際には、中国の研究機関が出土文献を撮影し出版した図版資料を使っており、出土文献の実物は見たことがなかった。実物の出土文献はまだかまだかとはやる気持ちを抑えながら、展示室で副葬品を一つ一つ見ていく。そしてついに、竹簡・帛書が目の前に現れた。展示ケースには細くて小さな竹簡、今にも糸くずになってしまいそうなほど繊細な帛書があった。そこに細い筆で文字や絵が書かれているのだ。図版資料からは想像できないほど、デリケートな資料が筆者の目の前にあった。ついに実物を見られたという喜びで胸がいっぱいになった。
馬王堆漢墓の展示で人々の関心を最も引くものといえば、辛追の遺体であろう。辛追は当時の長沙の宰相・利蒼の妻とされる。馬王堆漢墓1号墓から棺に入った状態で見つかった。発見当時、全身は腐ることなく、弾力があったという。いわゆる「湿屍」である。展示室では、ケースにすら触れないようになっていたものの、棺をのぞき込むような形で辛追を見られるように配置されていた。この辛追とともに、薬草も埋葬されていた。出土物として博物院に展示されていた桂皮・花椒・杜衡などはいずれも薬として使われるものであるが、当時は香料としても用いられたようだ。薬草の出土は、医学書に見える薬物が実際に使われていたことを物語っている。
古代中国医学の英知は、出土文献に書き留められているだけではない。現代の生活にも深く根付いている。筆者は夕食を求め、夜の繁華街に繰り出した。まぶしいネオン、屋台にできる人だかり。中国ならではの光景である。店を吟味していると、ドライフルーツを売る店が目に入った。試食ができるというので、ドライフルーツの盛られた皿をのぞいてみると、そこには漢方でなじみ深い「甘草」の文字が。ミカンの皮は「陳皮」と書かれている。一部、薬の独特な風味が強い商品もあったが、ほとんどは癖のない味で美味しい。どれを買おうか悩む筆者を見た店員は、「これは咳に効く」「これは喉にいいですよ」と効能を説明してくれた。中国医学の知見が、現代中国にも息づいていることを実感した瞬間であった。
この他にも、長沙で興味深い店を見つけた。店の看板には道教の符が書かれており、「祝由」の文字も見える。「祝由」とは、符や祈祷といったまじないで病気を治す方法のことである。古代中国では、まじないによる治療も針灸や薬による治療と同じく、重要な治療法の一つであった。この店はひょうたんなどの道教関連のグッズを販売していたため、「祝由」と掲げていたのであろう。加えて、店先には「中医養生 茶」と記された看板もあり、症状に合わせた漢方のブレンド茶が飲めるようになっていた。喉にいいもの、婦人科系の症状に効くもの、胃腸を健康にするものなど、種類は豊富である。ここでも、筆者がどれを飲もうか悩んでいると、店員に話しかけられた。「舌診して、あなたにぴったりのお茶をおすすめしますよ」。話を聞くと、店主は中医薬を修めたようで、舌診、つまり舌の色や厚さなどからその人の健康状態を判断できるという。思わぬところで中国医学を再び体験でき、筆者は思わず心が躍った。筆者の舌は特に問題なく、結局自分で白きくらげ入りのジャスミンミルクティーを頼んだ。このお茶は、喉の乾燥に効き、栄養補給の効能もあるとのことだった。
日本でも針灸治療が受けられたり、漢方が買えたりと、日本人にとって中国医学は比較的身近であると思う。しかし、長沙を訪問して、現代中国において中国医学は日本以上に生活の一部となっているように感じられた。今回筆者が出会ったドライフルーツや漢方茶のように、おやつ感覚で漢方を使用したものを身体に取り入れられる光景には、中国医学の基本思想である「医食同源(医学と食事は一体である)」の考え方がまさに表れている。馬王堆漢墓から見つかった医学書の中にも、食事と養生の関係性を説く文献がある。長沙の地には、今も昔も、「医食同源」の思想がしっかりと根付いている。
書誌情報
六車楓《エッセイ》「中国の都市 出土文献の宝庫 長沙」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, CN.4.07(2025年6月16日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/china/essay02/