アジア・マップ Vol.03 | 中国

《人物評伝》
牟宗三(1909-1995)

藤井倫明(九州大学人文科学研究院 准教授)

Ⅰ. はじめに

 現代新儒家を代表する人物であり、近現代の中国で、最も独創性的な思想家の一人として評価されている。「現代新儒家」とは、中国の伝統思想(とりわけ宋明理学)の根本精神を継承しつつ、西洋の思想・文化の長所(科学や民主制度)を積極的に認め、中国独自の内発的な現代化を模索した思想家たちを指す。彼らは反共産主義の立場から、香港や台湾を拠点に思想活動を展開した。牟宗三のほか、唐君毅(1909-1978)、張君勱(1886-1969)、徐復観(1904-1982)などが、新儒家を代表する人物として挙げられる。この新儒家のグループは中国共産党統政権による独裁や唯物論、西洋近代合理主義に基づく中国伝統精神文化への批判という、当時の政治的・文化的状況に対して強い「憂患」意識を抱き、1960年に「為中国文化敬告世界人士宣言(中国文化のために謹んで世界の人々に伝える宣言)」を発表した。この宣言では、(1)中国の歴史文化の特色、(2)中国哲学の中国文化における位置づけ、(3)中国哲学と西洋哲学の相違、(4)中国において発展した「心性の学」の意義、(5)中国文化の内部から如何にして科学と民主制度を創出し得るか、(6)世界の文化が相互に学び合い融通し合うための道筋、といった問題が取り上げられていた。そして、こうした課題こそ、まさに牟宗三が生涯にわたって一貫して取り組み、解明しようとした学問的テーマに他ならない。

Ⅱ. 牟宗三の生涯

 牟宗三は、辛亥革命が起こり中華民国が成立する2年前の1909年4月25日、山東省栖霞県の農村に生まれた。1927年に北京大学予科に入学し、2年後に北京大学哲学科へ進学。大学時代には、バートランド・ラッセル(1872-1970)やアルフレッド・ホワイトヘッド(1861-1947)の論理学に関心を寄せるとともに、易学の研鑽にも励んだ。とりわけ、在学中に熊十力が馮友蘭に語った「良知(=実践理性・道徳本心)は仮定されたものではなく、実在し、現実に発露し、直接に実感されるものである」という言葉を耳にし、大きな衝撃を受ける。この体験を通じて牟宗三は、中国哲学を道徳的内省によって真理を体得する「生命の哲学」として再認識し、自身の中国哲学観の方向性を定めることとなった。

 大学卒業後は、広西の梧州中学、南寧中学をはじめ、華西大学、中央大学、金陵大学、江南大学、浙江大学などで教鞭を執り、研究者としての地歩を固めた。この時期には、西洋哲学、特に論理学や認識論の研究に取り組み、その成果は『邏輯典範(論理の構造)』(1941)として結実した。1940年代以降、研究の中心が西洋哲学から中国哲学へと移り、新儒家として儒教的人文主義の再建に尽力するようになる。

 1949年、中国大陸を離れて台湾へ渡り、台湾師範学院(のちの台湾師範大学)や東海大学などで12年間にわたり教育活動に従事し、多くの人材を育成した。1958年元旦には、唐君毅らと「為中国文化敬告世界人士宣言」を発表した。

 1960年、台湾を離れ香港へ移り、香港大学や新亜書院(のちの香港中文大学)で教鞭を執る。1968年に唐君毅の招きで香港中文大学に着任し、1974年に66歳で退職するまで在職した。この間に、『政道与治道』(1961)、『才性与玄理』(1963)、『心体与性体』(全3冊、1968-69)、『智的直覚与中国哲学』(1971)などの代表作を次々と発表し、学術界に大きな影響を与えた。

 退職後は香港の新亜研究所を拠点としつつ、香港と台湾を往来し、台湾各地の大学や研究機関で講学・公演を行った。晩年も旺盛な研究・執筆活動を続け、『仏性与般若』(1977)、『従陸象山到劉蕺山』(1979)、『円善論』(1985)などを刊行。また、カントの三批判書――『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の全訳という偉業を成し遂げ、儒・仏・道三教と西洋哲学(特にカント哲学)を高次元で統合、調和させ、独自の円熟した哲学体系を築き上げた。

 1992年、香港から台北に移住。1995年4月12日、87歳で逝去。晩年の牟宗三は、自らの人生を次のように振り返っている。「大学で学問を始めてから六十年、一貫して取り組んできたのはただ一つのこと――それは中国文化の生命を省察し、中国哲学の前途を切り開くことであった。」まさにその人生は、中国文化の精神の究明と中国哲学の再構築、現代化に身を賭したものであったと言えるであろう。

Ⅲ. 牟宗三の学問と思想

 牟宗三が目指した中国独自の現代化とは、中国哲学の精髄、すなわち「道統」(=道徳的形而上学)を基盤とし、そこから内発的に「学統」(=科学)と「政統」(=民主制度)を生み出し、三者を統合して、現代にふさわしい円満な精神文化を構築することであった。彼が生涯をかけて取り組んだのは、「道統」の自覚とその哲学的解明、そして「学統」「政統」の理論的分析と創出の道の探求であった。中国には、徳性と功業を兼ね備えた人物を「内聖外王」と称する伝統があるが、牟宗三は「道統」を「内聖」に、「学統」と「政統」を現代版「外王」、すなわち「新外王」に対応させ、現代中国の課題は、「内聖」を継承しつつ「新外王」を創出することにあると考えた。

 牟宗三は、中国哲学と西洋哲学との根本的相違を以下のように捉えている。西洋哲学の主たる関心は「外延真理」(extensional truth)、すなわち自然界や物質世界といった外在的対象の原理の探求にあり、その思考は主客を分ける二元論に立脚している。このため、西洋においては論理学や数学、自然科学(=学統)、さらには民主制度(=政統)が発達した。一方、中国哲学の関心は「内在真理」(intensional truth)、すなわち宇宙の根本原理(=天道)、生命の実相に向けられている。そして、宇宙の根本原理は人間に「性」として与えられ、内在しており、それは現実の中で「良知」という道徳心として顕現すると考えられてきた。中国哲学においては、人間が内省を通じてこの道徳心を自覚し体現すること(「逆覚体証」)によって、宇宙の原理および生命の真相に触れることが可能であるとされる。これはすなわち、人間は誰もが「道徳」(=実践理性)という通路を通じて、「形而上」の本体、すなわちカントの言う「物自体」の「叡智界」へと到達し得るという立場である。こうした理解に基づき、牟宗三は中国哲学を「道徳的形而上学」と規定した。カントにおいては、現象界に属する有限者たる人間が叡智界に到達することは不可能とされていたが、中国哲学においてはその門が開かれていることになる。牟宗三は、この点において中国哲学が西洋哲学に優っている要因を見出している。

 牟宗三において、中国哲学の本質は、道徳学がそのまま形而上的な世界、つまり魂、生命の真相に触れる宗教と結びついている点にあり、それは真の自由、安心の境地を目指す「生命の学問」、あるいは天を志向する「無執の存在論」(現象界への執着を離れた本体界を志向する存在論)とも言い得るものであった。そのため、中国においては、心のあり方、人間としての生き方を探求する道徳学が発達し、西洋のように、自然界を対象化し、客観的にその構造・原理・法則などを知性(=理論理性)によって探求する物理学、数学、論理学、自然科学などは発達しなかった。

 牟宗三は、西洋哲学を、主客や本体界と現象界の二元的分離に基づいて展開された「執の存在論」(現象界に執着し現象界を志向する存在論)と捉え、そこから物理学や自然科学が発展した要因を読み取っている。彼は『大乗起信論』の「一心開二門」という構造と、カント哲学の分析を手掛かりに、世界は「真如門」(=叡智界、道徳宗教の世界、無執着の世界)と「生滅門」(現象界、科学・世俗の世界、執着の世界)とで成り立っているとした。前者は中国哲学、後者は西洋哲学が追求してきたものであり、この二門は断絶したものではなく、一つの心(「真常心」、「如来蔵自性清浄心」、「本心」)の異なる現れであり、根源的には統一されていると考えた。

 人間は究極的には「真如門」を志向すべき存在であるが、同時に現象界に生きる存在でもある以上、「生滅門」における探求も不可欠である。西洋における科学や民主制度は、まさにこの「生滅門」における探求の成果である。したがって、牟宗三は、理想社会を実現するためには、「生滅門」の次元における「学統」(科学)と「政統」(民主制度)もまた必要であるとした。さらに、こうした「学統」や「政統」は、外来の思想として単に移植されるべきものではなく、中国自身の「道統」の内部から自ら生み出されるべきであると考えた。そのために彼が提唱したのが、「良知の坎陥」、すなわち「良知」の自己否定――カント的な表現を用いれば、「実践理性」(道徳理性)から「理論理性」への転換――という方法であった。

 中国哲学の立場(「道統」)においては、「良知」(道徳心、実践理性)を通路として、主客一体の円満(超俗的)な世界(叡智界)に直接到達するという構造をもっており、そこでは主客二分の現象界の原理への探求は完全に捨象されていた。つまり、伝統的な中国哲学は、その構造上、「科学」や「民主制度」を自ら生み出し得ない立場にあったのである。そこで、牟宗三は、本来は本体界とつながる高次元の道徳心として位置づけられる「良知」(実践理性)が、あえて自らを低次元の世俗的知性(「理論理性」)へと貶め、レベルダウンし、変容することによって、現象界の次元で機能し得るようになるならば、中国においても「科学」と「民主制度」を創出することは可能であると考えた。それは、「内聖外王」の脈絡から言えば、「内聖」の根本理念(道徳理性-本体界)を一度自ら否定し、異なる理念(理論理性-現象界)を受け入れることによって、「新外王」を生み出していくという方法であった。牟宗三が提出したこの「良知坎陥」説に対する評価は一様ではないが、中国がいかにして内発的に近代化を遂げ得るのかという問題を、哲学的かつ原理的な次元で考察したものとして、注目に値する論であると言えよう。 

 こうした問題意識の下、牟宗三は宋明儒学の伝統に再注目し、「道統」の所在を明らかにする過程で、「三系統説」と呼ばれる独自の見解を提唱した。従来、宋明儒学は、朱子学(理学)と陽明学(心学)の二系統が拮抗して展開したと理解されていたが、牟宗三は次の三系統に分類した。(1)周濂渓・張横渠・程明道とそれを継承した胡五峰・劉蕺山の系統、(2)陸象山・王陽明の系統、(3)程伊川・朱子の系統。そして牟宗三は、(1)(2)を、内向的省察を第一義とする「縦貫系統」であると見なし、これを「宋明儒の大宗」(嫡流、正統)と位置づけた。対して(3)の朱子学系統を、外向的認識を重視する「橫摂系統」として区別し、傍流と見なした。朱子学は、歴史的には体制教学として広く受容されてきたわけであるが、その「格物窮理」という学問方法が、「外延真理」を知的に探求する方法に類似しており、「良知」(道徳心)の発露を通して「内在真理」を自覚していく「道徳的形而上学」の立場と異なっていると判断したからであった。牟宗三は、胡五峰・劉蕺山、陸象山・王陽明の思想に「生命の学」、「道徳的形而上学」としての中国哲学の特質が存分に表現されていると見て評価し、それを現代において継承しようとした。これこそ彼が「現代新儒家」と呼ばれる所以である。

 牟宗三の膨大な著作・講演録は、『牟宗三全集』全33冊(聯合出版公司)として刊行されており、彼の学問と思索の全貌を知る上での貴重な資料となっている。

写真1
写真2

写真出典(2点とも):蔡仁厚『牟宗三先生學思年譜』全集本(『牟宗三先生全集』32、2003年、所収)

主要参考文献
○蔡仁厚『牟宗三先生学思年譜』、台湾学生書局、1996年。(『全集』32に所収)
○顔炳罡『牟宗三 学術思想評伝』、北京図書館出版社、1998年。
○朝倉友海『「東アジアに哲学はない」のか』、岩波書店、2014年。

書誌情報
藤井倫明《人物評伝》「牟宗三(1909-1995)」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, CN.9.08(2025年00月00日掲載) 
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/china/essay04/