アジア・マップ Vol.03 | エジプト
《総説》
古代エジプト語とは何か
はじめに
古代エジプトといえば、壮大なピラミッドやスフィンクス、色彩豊かな壁画など、圧倒的なスケールの建築・美術がよく知られている。たしかに、こうした遺跡や芸術は目にするだけでも大きなインパクトを受ける。しかし、古代エジプトという文明を深く理解するためには、当時の人々が日々使っていた言語や、そこから生まれた文字を調べることが不可欠である。
古代エジプト語は、アフロ・アジア語族(旧称セム・ハム語族)のエジプト語派に属し、紀元前3200年頃にはすでに「原ヒエログリフ」(Proto-Hieroglyph)と呼ばれる文字体系が存在していた。この言語は、ヒエログリフ(聖刻文字)やヒエラティック(神官文字)、さらにはデモティック(民衆文字)で書かれ、ギリシア語の影響を大いに受け、ギリシア文字をベースとしたコプト文字でも書かれるようになり、現代のコプト正教会の典礼語へと連なるまでに至る。この約5,200年間は、まさに世界で最も長大な書記期間である。本稿では、古代エジプト語の時代区分や文字の特徴、解読の歴史、研究の意義などを概観し、その奥深さを探っていくことにする。
古代エジプト語の歴史区分
紀元前32世紀ころから紀元前27世紀ころまでの遺物からは、文法を調べることができる長文が発見されていない。言語学者は、この時代を「先・古エジプト語」(Pre-Old Egyptian)と呼び、紀元前27世紀以降の文法を調べることができるエジプト語の段階を古エジプト語、中エジプト語、新エジプト語、民衆文字エジプト語、コプト語の5つの段階に分ける。
1. 古エジプト語(Old Egyptian)
・使用期間: 主に古王国時代を中心とする紀元前27世紀~紀元前21世紀ころだが、第25王朝(紀元前8世紀~紀元前7世紀)でも擬古文として使用された
・主な文献: 古王国時代の『ピラミッド・テキスト』(世界最古の葬送文書)、貴族や王族の墓の自伝的碑文、クフ王のピラミッド建造を指揮した人物が書いた『メレルの日誌』など
・特徴: 宗教碑文に多く見られ、古い文法的特徴が保持されている
古エジプト語は古王国時代に中心的に使われたが、第25王朝(ヌビア系の王朝)において擬古的な文体として再び用いられた例も存在している。こうした復古的使用において、古い言語要素が後世にまで伝わっていたという点は興味深い。
2. 中エジプト語(Middle Egyptian)
・使用期間: 紀元前23世紀ころに使われ始め、中王国時代(紀元前21世紀頃~前18世紀頃)に隆盛する。その後、古典語として紀元後4世紀まで存続
・主な文献: 『シヌへの物語』や『雄弁な農夫の物語』などの文学作品、宗教文書、碑文、公的文書、日常的な文書など多岐にわたる
・特徴: 「古典エジプト語」と呼ばれ、後世の宗教文書や公的文章でも継続的に用いられた
中王国時代に最盛を迎えた中エジプト語は、最終的には紀元後4世紀頃まで文語の基準として使われ続けた。ラテン語が西ヨーロッパ世界で長く「古典語」として機能したのに近い役割を果たしていたといえる。
3. 新エジプト語(Late Egyptian)
・使用期間: 新王国時代(紀元前16世紀頃~前11世紀頃の途中である紀元前14世紀ころ)から第3中間期の終わりである紀元前7世紀ころまで
・主な文献: 行政文書、実務的手紙、法律文書、文学テキストなど
・特徴: 口語的要素が強く、古エジプト語・中エジプト語と文法体系の違いが大きい
新エジプト語は、新王国時代の後半である第19王朝から主に登場した言語形態である。宗教文書や王碑文に関しては依然として中エジプト語が使われる一方、日常の書簡や行政・法律文書などでは 新エジプト語が用いられた。文学作品も幾つか残っている。文語と口語が同時期に並行して存在した状況がうかがえる。
4. 民族文字エジプト語(Demotic)
・使用期間: 第3中間期の紀元前8世紀頃~ビザンツ帝国時代の紀元後5世紀頃
・主な文献: 行政文書、法律文書、宗教文書、文学作品、商業記録など
・特徴: ヒエラティックをさらに速筆化・簡略化した文字体系であるデモティック(民衆文字)記録され、プトレマイオス朝では主要な書記形態になった
デモティックは元はギリシア語で「民衆の」という意味合いを持つ。文字時代はヒエラティックをさらに筆記しやすくしたものであるが、この文字で書かれた言語である民衆文字エジプト語は、新エジプト語、そしてコプト語によく似ており、当時の口語を反映していると考えられる。法律や商業などの実務分野での使用が幅広く、文学や宗教、政治面でも使用が見られる。量的にも多くの文書が残っており、古代エジプトの経済活動や社会運営を知る上で欠かせない資料群となっている。ロゼッタ・ストーンの中段など、碑文にも用いられた。
5. コプト語(Coptic)
・成立と普及: プトレマイオス朝から、ギリシア文字を使ってエジプト語を書こうとする試みが進み、紀元後3世紀頃に標準的書記体系として確立
・特徴: 母音を表記できるため、古代エジプト語の音韻再建に有用
・使用期間: 3世紀頃~17世紀頃まで日常語として機能し、その後もコプト正教会の典礼語として現在に続いている。19世紀末から言語復興運動が続けられている。
コプト語はギリシア文字に、6~7字のエジプト独自の文字を加えたものである。キリスト教がエジプトに拡大する過程で急速に広まり、17世紀頃まで日常的に使われた証拠が残っている。しかし、7世紀のイスラーム帝国によるエジプト征服以降は、徐々にアラビア語が主要言語となっていったが、コプト正教会の典礼で現在でも用いられており、古代エジプト語の音声面を研究する上で極めて重要な資料である。
ヒエログリフとその解読史
ヒエログリフといえば、壁や石碑に刻まれた神秘的な象形文字を思い浮かべることが多い。実際には、人や動物、物体を象った記号が単なる絵ではなく、表音文字(基本的に子音のみ)・表語文字・ 限定符を組み合わせた複雑な体系を持っていた。古代エジプト人はこれを「神の言葉(mdw-nṯr)」と呼び、王権や宗教儀式を表す重要なシーンで広く使っていた。しかし、395年にローマが東西に分裂 したあとの、東ローマ(ビザンツ)帝国の時代には、ヒエログリフを正確に読める者はほとんどいなくなっていたと思われる。古代エジプト文字を読み書きする知識は、キリスト教の普及とともに衰退し、エジプト最南部、ナイル川の中洲であるフィラエ島などで残存した。ヒエログリフの最後の使用は紀元後394年のフィラエ島のイシス神殿で、デモティックの最後の使用は、紀元後452年の、同じくフィラエ島イシス神殿におけるグラフィートで見られる。
その後、東ローマ帝国、さらに、7世紀のイスラーム帝国によるエジプト征服後は、10世紀のイブン・ワフシーヤやアブー・アル=カーシム・アル=イラーキーといったアラブの学者がヒエログリフの解読を試みたものの、正確な解読には至らなかった。17世紀のキルヒャーをはじめ、西洋近代の学者たちもさまざまな仮説を立てたが、大きな突破口は開けなかった。転機となったのは1799年、ナポレオン遠征隊が発見したロゼッタ・ストーンである。ここには同一内容がヒエログリフ、デモティック、古代ギリシア語の三つの文字で刻まれていた。さらにフィラエ島のオベリスクなどの複数言語併用碑文も手掛かりとなり、フランスの学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンが、コプト語の知識を駆使しながら1822年に解読の礎を築いた。これによって、19世紀以降の研究で古代エジプトの宗教、文学、政治制度などが急速に明らかになっていったのである。
ヒエログリフ以外の古代エジプト語を書いた文字
古代エジプト語は、ヒエログリフ以外にも以下のような文字で書かれた。
1. ヒエラティック(神官文字)
ヒエログリフを簡略化した筆記体で、古王国時代から紀元後3世紀頃まで用いられた。主にパピルスやオストラコン(土器片)に書かれ、宗教文書や行政記録、文学作品などで広く使用された。
2. デモティック(民衆文字)
ヒエラティックをさらに速筆化・簡略化した文字体系で、行政・法律・宗教・文学など多彩な用途に使われた。プトレマイオス朝期にはエジプトの主要な書き言葉となり、実務や商取引の多くがこの書体で記録されている。
3. コプト文字
ギリシア文字24文字にデモティックを6-8文字加えたもので、母音を明示できる点が特徴的である。そのため、エジプト語の音声研究に欠かせない重要な資料といえる。
このうち、ヒエラティックとデモティックはヒエログリフと同様、表音文字・表語文字・限定符の組み合わせであり、この3種類の文字は「古代エジプト文字」と総称される。古代エジプト文字の表音文字は基本、子音文字のみであり、母音文字はない。他方、コプト文字は、ギリシア文字をベースにしているため、表音文字のみであり、母音文字と子音文字を両方備えている。これらの文字は時代や用途に応じて多様なかたちで使い分けられてきた。石碑や建造物への刻字、パピルス・土器片への筆記など、素材も用途も大きく異なる。そのため、それぞれの文字文化を総合的に検討することは、古代エジプト社会のダイナミズムをより深く理解する手掛かりとなる。そのほか、大変まれなケースであり、末期王朝時代のアケメネス朝ペルシア支配の影響と思われるが、エジプト南部のエレファンティネ島でセム系表音文字の1つであるアラム文字で書かれた古代エジプト語文献が出土している。
古代語研究の意義
1. 宗教観・世界観の解明
古代エジプト語の研究は、当時の宗教・世界観を直接知る手段である。『ピラミッド・テキスト』『コフィン・テキスト』※、『死者の書』などには、死後の世界観や神々との関わり方が描かれ、古代エジプト人の精神的基盤を具体的に示している。
※『コフィン・テキスト』とは、古王国時代と中王国時代の間の第一中間期以降を中心に棺の内側に書かれた呪文集のこと。「コフィン」は英語で「棺」を意味する。古王国時代の『ピラミッド・テキスト』が王族専用だったのに対し、『コフィン・テキスト』は王族以外も使用できるようになった。この葬送文書の、ある意味での「民主化」は、中王国時代と新王国時代の間の第二中間期以降を中心とする、パピルスに書かれた『死者の書』でさらに広がった。
2. 日常生活の把握
日常的な文書としては、私信、契約書、商業記録、行政文書などが残されている。ヒエラティックやデモティック、筆記体コプト語を用いたこれらの文書は、庶民の暮らしやビジネス、都市行政の仕組み
など、当時のエジプト社会の多面的な姿を映し出す貴重な情報源である。
3. 比較言語学へのインパクト
古代エジプト語はアフロ・アジア語族のエジプト語派に属し、同語族セム語派のアラビア語やヘブライ語など、同語族の諸言語と比較研究する上で重要な位置を占める。特にコプト語の母音表記から、ヒエログリフ時代には
明示されていなかった音韻体系を推測する作業は、語族全体の音声変化を再構築する際に大きく貢献している。
古代エジプト語研究の現状と展望
古代エジプト語研究は近年、情報技術の進歩や国際的な協力体制の充実によって、より多角的かつ高度なアプローチが可能となっている。具体的には、
・碑文やパピルス文献、オストラコン文献※、羊皮紙・紙文献(コプト語)のさらなるデジタルアーカイブ化、テキストコーパス化
※オストラコンとは、古代エジプトで筆記材料として使われた土器片や石灰岩片のこと。パピルスよりも安価で入手しやすかったため、日常的なメモや練習用、私信などに広く使用された。
・ヒエログリフ・ヒエラティック・デモティックおよびコプト文字文献写真を対象とする文字認識ソフトの開発
・3Dスキャンを用いた遺跡や碑文の高精細データ化
など、新たな研究手法が導入されつつある。古典的なフィールドワークや文献学的アプローチに加え、デジタル技術が加わることで、未解読だった断片や読みにくい損傷文字の再検討が可能となり、研究の裾野はさらに広がっている。
一方で、エジプト国内の政治情勢や文化遺産保護の課題、経済格差の問題などにより、遺物の盗掘や違法取引が依然として懸念される状況である。世界遺産としての観光開発と学術調査の両立も含め、研究者コミュニティや国際機関、エジプト当局が協力して持続可能な保護体制を築き上げることが重要な課題といえる。
おわりに
このように見ていくと、古代エジプト語の世界はきわめて多面的かつ奥深いものである。1822年のシャンポリオンによる解読の成功からおよそ200年が経過し、いまやファラオの碑文だけでなく、庶民の私信や経済活動までを詳細に解き明かせる段階に達している。しかも、デジタル技術の進化によって物理的制約が緩和され、遠く離れた場所からでも資料の高精細画像にアクセスできるように なった。2000年代以降は、Thesaurus Linguae Aegyptiae(コプト語以前の古・中・新・民衆文字エジプト語)、Ramses Online(新エジプト語)、Coptic SCRIPTORIUM(コプト語)など、オンライン上のテキストコーパスも着実に増えていっている。これらのデジタルリソースは、人が一人では一生をかけてもなしえなかった大規模なテキスト分析を可能にし、古代エジプト語研究に新たな地平を切り拓いている。特に、機械学習や自然言語処理技術の応用により、 文字の自動認識や文法パターンの統計的分析、さらには異なる時代や地域における言語変化の系統的な量的追跡までもが実現可能となってきた。これは、従来の文献学的手法と計算言語学的アプローチを融合させた新しい研究パラダイムの確立を意味している。このような技術革新は、古代エジプト語の研究をより精緻で客観的なものとし、さらには未解読の文書の解読や、失われた文脈の復元にも貢献することが期待される。
古代エジプト語の研究は、人類史の一断面を解明するだけでなく、言語とは何か、文字とは何かといった普遍的な問いに挑む学問でもある。数千年前に残された文字の痕跡を通じて「人間」という存在の営みを再確認することは、未来を形作る上でも大きな示唆を与えてくれるだろう。すでに広範に調査が行われているように見える古代エジプト語の領域であっても、新しい技術や手法によって再発見がもたらされる可能性は高い。研究は今なお進化し続けており、次なるブレイクスルーやパラダイムシフトがいつ訪れても不思議ではない。そう考えると、古代エジプト語という巨大な遺産と向き合う営みは、過去を紐解くだけでなく、未来へとつながる知的冒険でもあるといえる。
同一の内容がヒエログリフ、デモティック、古代ギリシア語で刻まれており、解読の決定的な手掛かりとなった。この写真は、大英博物館が3Dモデル共有・閲覧プラットフォームであるSketchfabにて公開しているロゼッタ・ストーンの高精細3Dモデル。
セティ一世王のレリーフの上にコプト語サイード方言で、「イエス、キリスト、主」と書かれている。ヒエログリフで書かれた中エジプト語とコプト文字で書かれたコプト語が共存する興味深い一例。
ギリシア文字を基に、エジプト独自の文字を加えたコプト文字(右側はアラビア語訳)。古代エジプト語の音韻情報を研究する上で貴重な資料である。コプト正教会をはじめとするコプト・キリスト教の典礼言語として現在も生き残っており、さらにコプト語を日常会話の言語として復活させようとするコプト語言語復興運動も19世紀後半から現代にいたるまで存在する。
この写真は、コプト正教会の典礼書の一部で、左側にコプト語、右側にアラビア語の対訳が記されている。コプト正教会では現在もこのような形式で典礼が行われており、古代エジプト語の最後の生きた姿を伝える重要な文化遺産となっている。
書誌情報
宮川創《総説》「古代エジプト語とは何か」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジ
ン』Vol.3, EG.1.01(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/egypt/country01/