アジア・マップ Vol.03 | ジョージア

《総説》
ジョージア文学史と日本語翻訳

五月女颯(筑波大学人文社会系 助教)

はじめに

 ジョージア文学と聞いて、読者の皆さんは何を思い起こすだろうか。

 ……おそらく何も。というよりも、ジョージアという国そのものも、一般的な日本人にとってはほとんど馴染みのない存在だろう。ジョージアで話されるのはジョージア語であるが、例えばインド・ヨーロッパ語族やテュルク語族などの言語グループには属さない独立した言語であり、そうした言語的障壁もまた、ジョージアという国やジョージア文学への距離を遠くしている。しかしながら、これまで少なからずジョージア文学が日本語訳されてきており、この記事ではその蓄積をまとめつつ、ジョージア文学史を概観してみたい。

中世文学

 12世紀から13世紀初頭にかけて、ジョージアはその歴史の黄金時代を迎え、なかでも女王タマルの治世はその歴史の黄金時代だとされている。そのタマルへ捧げられたのが、ジョージア文学史上最大の作品とみなされている、ショタ・ルスタヴェリ『豹皮の勇士』である。『豹皮の勇士』は、主人公アフタンディルとタリエルのあいだの友情と、彼らの恋人との愛をめぐる英雄叙事詩であり、アラブとインドを舞台に物語は展開する。

 『豹皮の勇士』の日本語訳は、これまで2人の訳者によって3つのバリエーションが出版されている。すなわち、袋一平による『虎の皮を着た勇士』(講談社、1955年)と『虎皮の騎士』(理論社、1972年)、それから大谷深による『豹皮の勇士(逐語訳版)』(DAI工房、1990年)である(虎と豹の違いにも注意されたい。学説によれば、より正しいのは豹であるとのこと)。

 第一の『虎の皮を着た勇士』は、世界名作全集のうちの一巻として、世界文学の名だたる傑作のなかに(なぜか)収められている。ロシア語翻訳者である訳者によれば、底本は、1937年のルスタヴェリ生誕750周年記念事業の一環として、著名なルスタヴェリ研究者シャルヴァ・ヌツビゼによって1941年に出版されたロシア語の訳本と、詩人・翻訳者ギオルギ・ツァガレリによって1955年に出版されたロシア語訳であるという。元の叙事詩はもちろん韻文であるが、この日本語訳は散文で訳されている。

 また第二の『虎皮の勇士』については、訳者の袋一平が、トビリシで開かれた、1966年のルスタヴェリ生誕800年記念式典へ出席したこと、同行事の記念出版としてイオルダニシヴィリのロシア語逐語訳 (1933; 1966) が再版されたこと、またロシアの東洋学者ニコライ・コンラドの『東洋と西洋』(1966; 日本語訳1969) において取り上げられた「東方ルネッサンス」の影響を受けたことが示されている。こちらは、先述の『虎の皮を着た勇士』とは異なって韻文で訳されていることが特徴である。

 第三の『豹皮の勇士(逐語訳版)』は、ロシア文学研究者による訳であり、同じくイオルダニシヴィリの逐語訳を底本としている。しかし、そのタイトルに示されているとおり、こちらは訳文の読みやすさを重視した袋訳に対して、韻文を保ちつつもなるべく現テクスト(といってもロシア語訳だが)の意味をそのまま残そうとする逐語訳となっていることが特徴であろう。

 では、それぞれの訳はどのようになっているだろうか? 以下に比較する。

 袋一平訳

 愛——それは名状しがたく神聖で美しい力。

 愛——それは欲情とは無縁のもの。

 愛と情欲——そのあいだには巨大な深淵があり、

 これら二つをたがいにもつれさせてはならない。

 大谷深訳

 愛——それは、この上なく美しいが、認識することの難しいものである

 愛——それは、欲情と比ぶべくもない(似てもいない)、何か別のものである。

 愛と欲情とはまったく別物で、その間には大きな深淵がある。お互いを混同してはいけない。私の言ったことをよく聞くのだ。

 筆者訳

 愛は美にして、知るは難し、

 愛は別のもの、欲と比べるべくもない——

 愛は別、欲は別、その間には大きな境、

 誰も互いを交ぜるなかれ、私の言葉を理解すべし

 袋訳と大谷訳は同じ底本を参照しているから自然なことだが、言葉遣いなど互いにある程度似通っていることがわかる。袋訳は読みやすさや詩としてのリズムを重視したからか、元のテクストから一定の省略などが見られ、反対に大谷訳は逐語訳であるから、文意はより正確に拾われているが、他方で詩としての美的な価値は失われている(仕方ない)ことがわかる。しかし、どちらの訳も詩を通読するのに十分耐えうるだけの強度を保っていると言えるだろう。

近代文学

 ルスタヴェリ『豹皮の勇士』が書かれた黄金時代ののち、ジョージアは暗黒時代に突入する。モンゴル勢力の襲来と、ペルシャ、オスマンというイスラームの両勢力に挟まれ、ジョージアは困難な時代を長らく経験することになる。

 事態が変わるのは18–19世紀、折しもロシア帝国が南下政策によりその勢力権を黒海沿岸やコーカサス地方にまで伸ばしていた時期であり、宗教的な同一性からジョージアはロシア帝国と接近することになる。一時の保護国化を経て、1801年、ロシア帝国はジョージアを併合する。

 このような社会・政治的背景のもと、ジョージアの文学史的な発展もまた、ペルシアの文学的伝統からロシアのそれへと変遷することになる。ほぼロシア文学史と軌を一にして、19世紀前半、ジョージアでもロマン主義の時代を迎える。代表的な詩人として、中将としてロシア帝国軍に仕官し、詩人プーシキンとも交流を持ったアレクサンドレ・チャヴチャヴァゼ (1786–1846)、同様にロシア軍に仕官し、晩年にはトビリシ市長にもなったグリゴル・オルベリアニ (1804–1883)、そして夭折の詩人ニコロズ・バラタシヴィリ (1817–1845) などが挙げられる。

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トビリシの街を眺めるバラタシヴィリ像(筆者撮影)

 19世紀後半は、リアリズムの時代だ。約半世紀にわたってロシアとムスリム山岳民の間で続いたコーカサス戦争 (1817–1861) が終結する頃、ジョージア人貴族の子弟たちが大量にロシア留学をするようになり、大学で得た進歩的な知識をジョージアへ持ち帰ると、それをもとに旧世代を批判しつつ、識字運動や新聞・雑誌の発行、演劇振興などを通してロシアの支配下にあったジョージアの社会改良を目指して言論活動を行うようになる。東ジョージア・カヘティ地方出身のイリア・チャヴチャヴァゼ (1837–1907) と、西ジョージア・イメレティ地方出身のアカキ・ツェレテリ (1840–1915) は、そうした新しい世代を代表する作家であるが、そのうち前者の初期の短編「旅行者の手紙」は、筆者による日本語訳が拙著『ジョージア近代文学のポストコロニアル・環境批評』(2021年、成文社)に所収されている。同作は、ロシア留学を終え帰国の途にある語り手=チャヴチャヴァゼが、ジョージアの現状を目の当たりにして、どのように国や民族に対して奉仕することができるかを考える、旅行記風のマニフェスト的作品である。

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トビリシ・ルスタヴェリ通りに立つイリア・チャヴチャヴァゼとアカキ・ツェレテリの像(筆者撮影)

 同時期、コーカサスの山岳地帯出身の作家・詩人たちの活躍も目立つようになる。アレクサンドレ・カズベギ (1848–1893) はロシア国境の町ステパンツミンダの貴族の出身だが、ロシア留学後、羊飼いとなって山野を駆け巡り、周囲を驚かせた。その体験をもとにした「ぼくが羊飼いだった頃の話」をはじめとして、カズベギはロシア帝国の支配下で抑圧・蹂躙され困窮するジョージア(ないしコーカサス)の山岳民を描いており、その作品群のうちいくつかの短編は、『アレクサンドレ・カズベギ作品選』(三輪智惠子訳、成文社、2017年)に読むことができる。未訳だが長編小説も書いており、『父殺し』はスターリンが青年期に愛読したという「いわくつき」としても知られている。

 ヴァジャ=プシャヴェラ (1861–1915) は、カズベギと並んで著名な山の詩人である。ジョージア北部プシャヴィ地方・チャルガリ村の聖職者の家庭に生まれた詩人は、ロシア留学後、数年間の教職生活ののちに生まれ故郷の村へ戻り、農民然として暮らしながら詩作を続けた。その作風は、方言を用い、自然の事物を擬人化するなど、言うなれば宮澤賢治的である。彼の代表的な叙事詩や、宮澤賢治風の童話などは、『祈り——ヴァジャ・プシャヴェラ作品集』(児島康宏訳、冨山房インターナショナル、2018年)に、画家はらだたけひでの挿絵とともに収められている。

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チャルガリ村のヴァジャ=プシャヴェラ記念館前に置かれた首像(筆者撮影)

 20世紀に入ると、リアリズムからモダニズムへ移行し、同時にロシアのみならず西欧との関係もより一層深まってくる。パリへ留学ののち、民族解放運動にも参加したミヘイル・ジャヴァヒシヴィリ (1880–1937)、ドイツで学び、息子ズヴィアドはソ連解体後の初代ジョージア大統領となったコンスタンティネ・ガムサフルディア (1891–1975)、タルトゥやライプツィヒで学び、20年代は政治・文壇の中心で活躍するも1931年に亡命を余儀なくされたグリゴル・ロバキゼなどが、代表的な作家として挙げられる。これら作家の長編小説では、ガムサフルディア『巨匠の右手』(児島康宏訳、未知谷、2025年)が翻訳されている。

 また、ロシア革命後、赤軍の侵攻までの3年間 (1918–21)、ジョージアが独立するという歴史上の画期をなす出来事もあり、革命を逃れてきたロシアの詩人などを含めアヴァンギャルドや未来派、シンボリズムなどのモダニズム文学は大いに興隆した。1916年に西部の中心都市クタイシでは、シンボリスト集団「青い角杯」が創設された。中心人物は詩人ティツィアン・タビゼ (1895–1937)、パオロ・イアシヴィリ (1894–1937)、作家のギオルギ・レオニゼ (1900–1966)、そして先述のグリゴル・ロバキゼ (1880–1962) などがいるが、これらシンボリストは1937年の粛清により多くが犠牲になった。また、当初は「青い角杯」へ参加していたがのちに脱退した人物として、20世紀を代表し、現在でも非常に人気の高い詩人ガラクティオン・タビゼ (1891–1959) がいる。残念ながら、これら詩人の作品は日本語訳が(今のところ)存在しない。

ソヴィエト/ポストソヴィエト文学

 第二次大戦後のソヴィエト時代を代表する作家として、ユーモア作家ノダル・ドゥンバゼ (1928–1984) がいる。ドゥンバゼは父が1937年に粛清の犠牲になり、母は流刑となったため、ジョージア西部グリア地方の祖父母の下で幼少期を過ごした。1972年にはジョージア作家連盟の書記長に就任し、1975年にはショタ・ルスタヴェリ賞を受賞している。

 ドゥンバゼは当時からジョージア国内のみならずソ連内でよく知られた作家で、日本語訳も、本記事で列挙している作家のなかで最も多く出版されている。特に児童小説家として日本でも知られていたようで、ソ連期にはロシア語からの重訳として、ノダル・V・ドムバーゼ『母さん心配しないで』(北畑静子訳、理論社、1985年)、ノダル・ドゥムバーゼ『太陽が見える』(喜田美樹訳、佑学社、1991年)がある。また、ジョージア語からの直訳ではノダル・ドゥンバゼ『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』(児島康宏訳、未知谷、2004年)がある。第二次世界大戦でジョージアは大量の犠牲者を出したが、本作にもこの点がよく現れている。

 (ここでジョージア政治についての余談を——ドゥンバゼの娘のケテヴァンは、与党「ジョージアの夢」所属の元国会議員であったが、2023年9月4日に文学・文化的な各種事業を行う「作家の家」の所長に就任した。元々の文脈として、当時の文化大臣テア・ツルキアニの強権的な文化行政への反発が根強く、この所長就任についても作家などから大きな反発が上がった。2024年10月の国政選挙への大規模抗議が続くなか、イギリスのジョージア文学研究者(そしてチェーホフ研究の大家)で、The Literature of Georgia: A Historyの著書もあるドナルド・レイフィールドは、2025年3月11日、「作家の家」による「感謝賞」の受賞を拒否するという出来事も起こった。)

 その他、黒海で溺れていたロシア人の子を救出しようとして悲劇的な死を遂げたグラム・ルチェウリシヴィリ (1934–1960) や、ジョージア北部の山岳地帯出身で、映画監督と作家の二足の草鞋を履いていたゴデルジ・チョヘリ (1954–2007) なども、ソヴィエト期の文学として挙げられるだろう。先の項で挙げたジャヴァヒシヴィリから、ルチェウリシヴィリやチョヘリまで、20世紀に活躍したジョージアを代表する作家たちの短編をまとめたアンソロジーとして、『ジョージア(グルジア)20世紀短篇集』(児島康宏訳、未知谷、2021年)がある。

 また児童文学では、ドゥンバゼとならんでオティア・イオセリアニ (1930–2011) の作品も日本語訳が存在する。この作家は、ジョージア西部のイメレティ地方出身であり、児童文学のほか戯曲も創作している。代表作『ダチの物語』は、邦題『世界でいちばんつよい赤んぼう』(宮川やすえ訳、文研出版、1982年)としてロシア語からの重訳であるほか、『ダチの物語——東欧ジョージアのちょっと変わった男の子のおはなし』(児島康宏訳、Kindle、2024年)が新たな翻訳として読むことができる(なおオティアの孫はこれまたオティアという名の青年なのだが、その妻ヌツァは筆者の古い知人にしてインフルエンサーであり、おそらくはその妻の働きでこの新たな邦訳が製作されたものと思われる)。同様に児童文学から、編集者としても活躍し、1971年にショタ・ルスタヴェリ賞を受賞したアルチル・スラカウリ (1927–1997) の「サラムラの冒険」(児島康宏訳)が翻訳され、『小学館世界J文学』(小学館、2022年)に収録されている。

 1991年のソヴィエト解体後、ジョージアを含むコーカサス地方は混乱に包まれる。1990年代ではジョージア国内では、ジョージア内戦やアブハジア紛争、南オセチア紛争、国外ではナゴルノ=カラバフ紛争やチェチェン紛争が起こり、2000年代以降も、2008年のジョージア=ロシア戦争や、2020–23年にかけて断続的に起こったナゴルノ=カラバフでの紛争など、地域は火種を抱えつつ今日に至っている。

 アカ・モルチラゼ (1966–) は、ジョージアで最も有力な文学賞「サバ」の小説部門を6度受賞し、また2024, 25年にはトビリシ国立大学がノーベル文学賞に推薦している、現代ジョージア文学を代表する作家である。ナゴルノ=カラバフ紛争の係争地へ迷い込む主人公の一人語りのデビュー作『ナゴルノ=カラバフへの旅』(1992) や90年代の混沌とした首都トビリシを軽いタッチで描く『パリアシヴィリ通りの犬たち』(1995) などの小説のほか、短編「僕の妻の小説」(児島康宏訳)が『翻訳文学紀行 IV』(ことばのたび社、2022年)に所収されている。

まとめ

 ここまで、中世のルスタヴェリ『豹皮の勇士』から現代文学まで、ジョージア文学史において重要な作家・詩人とその日本語翻訳について概観してきた。もちろん、本稿で取り上げたほかにも様々な詩人・作家がジョージア文学史には存在するが、しかし主要な人物や作品については、その日本語訳とともに紹介することができたのではないだろうか。

 日本語訳は、ジョージア文学史上最大の詩人ルスタヴェリ『虎皮の騎士』に始まり、ソ連時代はルスタヴェリのほか児童文学が中心として、ロシア語から翻訳されてきた。他方、2000年代に入って、現地で学ぶなどした訳者が、ジョージア語から直接翻訳するようになった。ソ連圏の非ロシア語文学への注目は、その(ネオ)帝国主義的性質を鑑みると、今後一層重要なものとなるだろう。

書誌情報
五月女颯《総説》「ジョージア文学史と日本語翻訳」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, GE.1.01(2025年10月3日掲載)  
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/georgia/country01/