アジア・マップ Vol.03 | インドネシア
《総説》
ソーシャルメディアが変える政治の風景
民主主義の後退とソーシャルメディア
ソーシャルメディアがわれわれの生活に欠かせないインフラとなって久しい。チャットやビデオ機能を用いた家族や友人とのコミュニケーション、通学や通勤途中の情報収集や手軽なエンターテイメントとしてなど、もはやソーシャルメディアなしの日常を想像するほうが難しいだろう。
ソーシャルメディアの浸透とともに、政治のあり方も変わってきた。ソーシャルメディアは、声なき声を拾い集め、ひとつの大きな力にすることができる。こうしたことから、過去十数年あまりにチュニジアを皮切りとした「アラブの春」、香港の「雨傘革命」、ミャンマーの「春の革命」など、各地の民主化運動の拡大においてソーシャルメディアが大きな役割を果たしてきた。
しかし近年では、その便利な特性によって、ソーシャルメディアが民主主義に悪影響を与える事例の方が目立つようになってきた。誰もが安価なコストで発信できるソーシャルメディアは、真偽が不確かな情報を蔓延させることになった。また、ソーシャルメディアに埋め込まれた、個人の属性や嗜好に合わせた情報をつねに得ることができる仕組み(アルゴリズム)も深刻な問題を生んでいる。アルゴリズムに基づいて偏重した情報や意見が継続的に表示されるため、特定の世界観や政治的主張を信じ込み、他の意見に耳を傾けなくなってしまう。そして違う志向を持つ集団とのあいだで、社会の分断が生まれるのである。
さらに、こうしたソーシャルメディアの性質を政治家や政党も利用するようになっている。彼らはソーシャルメディアを自らの主張や宣伝のために使うだけでない。巨額を投じて、特定のユーザー層をターゲットとした扇動や意見の誘導を行い、彼らへの支持に結びつけようとする。また、政府が批判的な個人を取り締まる例もあとをたたない。
ソーシャルメディアの利用が世界でももっとも活発な国のひとつであるインドネシアももちろん、例外ではない。インドネシアは、1998年のスハルト体制崩壊以降、インドとアメリカに次ぐ世界第三の民主主義国となり、「民主化の優等生」といわれてきた。そして、民主化改革を逆行させようとする政権の動きがあると、ソーシャルメディアから抗議運動が広がり、これを止めたことが何度もあった。この国では、ソーシャルメディアが民主主義を機能させるための必要不可欠なインフラとなっているのである1
ところが、2014年に始まったジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)政権の10年間には、 ソーシャルメディアの民主主義への悪影響が顕著になった。ジョコウィが再選を目指した2019年大統領選挙では、フェイクニュースが横行し、候補者への支持をめぐって深刻な社会の分断が発生した。また、政府がその批判者をソーシャルメディア上の発言によって逮捕するなど、表現の自由が制限された。そして、2024年の大統領選挙では、ジョコウィが事実上後継者として指名したプラボウォ・スビアントが、ソーシャルメディア対策に巨額を投じて圧勝したのである。この選挙でプラボウォは、これまでの自身の来歴や評判をバーチャルに形成された「新たな人格」によって塗り替えることに成功した。ただし新政権が発足すると、次第に醜悪な権力のありさまに目が向けられるようになり、ソーシャルメディアは政府監視の役割をとり戻しつつある。
本論は、インドネシアを事例に、ソーシャルメディアがどのように国家や巨大な資本の道具となり、これがいかに反転しうるのかを、2024年大統領選挙をめぐる動きからみていきたい。
生活に密着するソーシャルメディア
インドネシアにおけるソーシャルメディアの浸透度は世界でも有数といえるほど高い。まずは2024年に発表された国際的な調査を踏まえて、ソーシャルメディア利用の特徴を確認しておきたい2。
インドネシアにおけるソーシャルメディア浸透の背景には、安価なスマートフォン(スマホ)の普及がある。現在まで高速インターネット回線が整っている家庭は稀であり、自宅でのネットサーフィンももっぱらパソコンよりスマホが使われる。多くの人にとって、スマホとインターネット、ソーシャルメディアは同時にやってきたといえるだろう。そして、インドネシアのライフスタイルに合わせたアプリが充実している。たとえば、最寄りの駅までのバイクタクシーの手配、夜食のナシゴレンの注文といったちょっとした用事にもスマホが手離せない。こうしたことから、インドネシアの人々は1日平均じつに6時間あまりスマホの画面をみつめている。そして、スマホ利用の約半分の時間はソーシャルメディア上でのコミュニケーションに費やされる。メッセージのやり取りだけでも、相手や目的によって複数のアプリを使い分けるなど、平均で1人当たり約8種類のプラットフォームを利用している。
こうなると当然のようにニュースの情報源もスマホ頼みになる。テレビを情報源とする人はすでに半数を切っており、ましてや新聞など旧来のプリントメディアにいたっては1割を下回っている。
インドネシアにおけるソーシャルメディアプラットフォーム別の利用率(2024年)
順位 | 名称 | 利用率 | ニュースの情報源としての利用率 |
---|---|---|---|
1 | 72% (-10) | 46% (-5) | |
2 | YouTube | 65% (-13) | 41% (-7) |
3 | 52% (-7) | 35% (-3) | |
4 | 49% (-14) | 29% (-8) | |
5 | TikTok | 44% (+5) | 29% (+7) |
6 | X | 20% (-13) | 12% (-9) |
利用率のカッコ内は前年比
出典:Newman et al. (2023, 2024)から著者作成
インドネシアではソーシャルメディアのなかでもメッセージングサービスのWhatsAppの利用がもっとも頻繁である。そして、WhatsAppは主要なニュースの情報源としても機能している。というのも、家族や友人間の連絡や会話の手段だけではなく、趣味、政治、宗教活動にいたるまで情報共有のツールとしてWhatsAppのグループ機能を使う。大統領選挙の動向、上司からの仕事の連絡、家族とのやりとりまで、同じアプリに分け隔てなく情報が入ってくる。
そんななか、近年若い世代のあいだで急速に利用者を増やしているのが、動画共有サービスのTikTokである。他の主要プラットフォームが利用率を下げるなか、一人勝ちの様相である。TikTokは、もとよりスマホでみやすいように、縦長の画面が採用されている。短時間の動画に特化しており、これをスクロールしていくことで関連する動画を見続けることになる。そして、動画の制作も手軽にスマホでできることから、無名の個人がつぎつぎと「バズる」動画を作ったり、「インフルエンサー」となったりしている。日本でもおなじみのダンス、お笑い、メイクやファッションのほか、インドネシアでは分かりやすい宗教講話も人気である。
以上のように、インドネシアではソーシャルメディアの利用が非常に活発であり、それに反比例して既存メディアの影響力が低下している。その背景には、人口の若さがある。有権者のなかでも、じつに半分以上が1980年以降に生まれたミレニアル世代とZ世代である。さらに、日本のような政治活動におけるソーシャルメディア利用の細かな法的な規制はない。このため、選挙運動においてもソーシャルメディアがおおいに活用されてきた。
「強者の武器」としてのソーシャルメディア
インドネシアの選挙運動では、公然とTシャツや生活必需品がばら撒かれる。選挙当日の早朝に金銭を配布しに来る通称「夜明けの襲撃」も一般的である。しかし、有権者が多い大統領選挙においては、金品のばらまきには限界がある。このためイメージ戦略がより重要になってくる。プラボウォ・スビアント現大統領は、過去2回の選挙で辛酸を舐めた経験から、2024年2月の大統領選ではがらりとイメージを転換した。
これまでのプラボウォは、「強い指導者」像を前面にだしてきた。たとえば2014年選挙では、カリスマ性を演出するためにヘリコプターでスタジアムに降り立ち、魔力があるとされる短剣を腰に差し、馬に騎乗して行進した。強く行動力のある指導者として、外国に天然資源が「流出」していると扇動的に警告し、国内の汚職には上からの一刀両断で解決すると言い放った。しかし、対立候補の陣営からは、短気で「怒ると携帯電話を投げつける」といった逸話が流布された。有権者がもっとも多いジャワでは、礼儀正しさや低姿勢が美徳とされるため、不評だった。さらに、元軍人のプラボウォには、かつて人権侵害に深く関わった疑惑があった。強い指導者像には影がついてまわったのである。
そこで、2024年選挙においては、過去のプラボウォを知らない若者をターゲットに、TikTokを利用した大々的なキャンペーンを行った。舞台上でぎこちなくもノリよく踊るプラボウォや、AI(人工知能)で生成された親しみやすいプラボウォのアバター(分身)、若者たちによるプラボウォのダンスのアレンジ、さらにはプラボウォに忠誠を尽くすイケメンのボディーガードなどの動画が数多く作成された。そして、これを拡散するためのインフルエンサーや無数のユーザーが動員された。こうした動画は、プラボウォの柔和で「かわいい」一面を強調し、また彼を支持することがカッコいいことであるという風潮を作ることを意図していた。それは熱狂的な支持というより、プラボウォに対する楽観的な雰囲気を醸成するといった方が現実に近いであろう。こうしたソーシャルメディア戦略は大成功し、選挙では若い世代ほどプラボウォに投票した人が多かった(Indikator 2024)。少なくともこの選挙においては、ソーシャルメディアは資金力がものをいう「強者の武器」となった。
2024年大統領選で当選したプラボウォ・スビアントが踊る動画は、動画共有サービスTikTok上で話題となり、若者の有権者の支持に大きな影響を与えた。
出典:https://www.tempo.co/politik/gemoy-prabowo-pemilih-muda-804685 (2025年2月20日閲覧)
選挙期間中にプラボウォ陣営への批判がなかったわけではない。とくにYouTube上では批判的なポッドキャストや選挙不正を告発する番組に注目が集まった(見市 2024)。しかし、これらは選挙の動向にはほとんど影響を与えなかった。莫大な資金が注ぎ込まれたソーシャルメディア対策に加え、現職のジョコウィ大統領の支援により貧困層向けの食糧援助がプラボウォに利するように配分された。さらに、多数派の政党や宗教組織も勝ち馬に乗った。つまり、圧倒的な資金力と国家機関の後ろ盾により、プラボウォ当選のために情報、物品、組織が動員されたのであった。
抵抗のメディア
しかし、選挙が終わると、ソーシャルメディアのトレンドはプラボウォ新政権への批判に傾くようになっていった。プラボウォ政権発足100日を迎えた2025年2月には、「#とりあえず(インドネシアから)出ていこう」というハッシュタグによって、新政権への失望が示された。こんなインドネシアなら、外国に出稼ぎや留学した方が良いというわけである。さらには「#暗闇のインドネシア」とともに、喪服のように黒いシャツを着た学生や市民社会組織の活動家らが、全国の街頭で政権に対する抗議活動を展開した。
「#暗闇のインドネシア」の横断幕を掲げる抗議運動
出典:https://news.detik.com/foto-news/d-7789550/potret-massa-indonesia-gelap-hitamkan-patung-kuda(2025年2月23日閲覧)
新政権への反発のきっかけは、政府による予算の再編成であった。「予算効率化」の名のもとにさまざまな予算がカットされ、政府の持ち株会社に投資目的の資金を集中する方針が示された。前後して、国立大学の授業料値上げや家庭用の小型プロパンガス販売規制が不評を買っていた。多くの人々は「予算効率化」とそれに前後する政策を関連させ、直感的に汚職の可能性や一握りの既得権層がますます肥えることをイメージしたのである。
さらに、直前に開かれた与党の集会におけるプラボウォの演説は、彼が大衆のことなど念頭にない権力者であるという印象を強化させた。プラボウォは、居並ぶ前大統領親子や連立政権の指導者たちを一通り持ち上げたうえ、前大統領に感謝する歌を会場全体で歌うよう指揮した。他方で、政権への批判の声を汚い言葉で罵った。聴衆のウケを狙ってか、あえて小声で汚い言葉を繰り返したのである。会場を埋め尽くした党員のなかですら、居心地の悪い雰囲気が漂っていた。
こうした状況のなかで、2人組の無名の覆面メタルロックバンド・スカタニをめぐる事件が起こった。問題となったのは彼らの曲「Bayar Bayar Bayar」である。この曲は、なにかにつけてひとびとから金を支払え(bayar)と要求する警察を揶揄したものだった。この曲を問題視した警察がバンドを脅迫した結果、2人はInstagram上で身元を明かしての警察長官への謝罪とストリーミングサービスからの曲の取り下げ発表したのである。さらに、ボーカルの女性はこの件で小学校教員の職を解雇された。なお、バンド名のスカタニとは、直訳すれば「農業が好き」であり、ジャワの田舎町出身の2人の素朴なイメージを反映している。加えて、バンド名はアラビア文字のロゴで表現されており、アラビア語では「彼らが私を黙らせる」という意味にもなる(Media Suara Gong 2025)。まさに、「彼ら」=権力者に黙らされた素朴な若者に共感が集まったのである。
新政権の傲慢さを象徴するようなこれらの出来事は、ソーシャルメディアで広く関心を集めた。「Bayar Bayar Bayar」は抗議運動のテーマソングとなり、多くの学生たちを街頭へと導いた。こうして、ソーシャルメディア上で築かれたプラボウォに対するひとびとの淡い期待や楽観は、やはりソーシャルメディアから急速に遠のいていったのである。
「Bayar Bayar Bayar(支払え、支払え、支払え)」を歌いながらデモをする若者たち
出典:https://www.instagram.com/p/DGVDlY2S05D/?hl=ja (2025年2月28日閲覧)
ソーシャルメディアは、文字通り、社会の中身を伝える媒体である。権力の偏在や権力者による支配の限界も映し出す。大統領選挙の期間中は、大規模な富と政治権力がソーシャルメディアに注がれ、社会からの反発や批判はかき消された。しかし、その後に起こった政府批判のうねりは、ソーシャルメディアのコントロールの限界とともに、インドネシアにおける市民社会の強靭さを示している。そして、われわれは日本やほかのどこかにいても、ソーシャルメディアを通してインドネシア社会の動静を知り、参加すらもできるようになった。
忘れてはならないのは、ソーシャルメディアが拾うことができない声や、かき消してしまう声があることである。現在までインターネットへのアクセスがないひとびとも2割以上いる。また、ソーシャルメディア上の盛り上がりが実際の運動や政治的変化に結びつかないことや、逆にソーシャルメディアを迂回して政治が動くことも多々ある。スマホの画面だけでは分からない社会の動きを知るために、われわれはまた現地へと足を向け、人々と直接会話をするのである。
注釈
1インドネシアを含む東南アジアの事例を集めたものとして、見市・茅根編(2020)を参照。
2本節のデータは、ことわりのない限り以下の2つの国際的な比較調査報告書に基づいている(Reuters Institute 2024)(We are. social 2024)。
参考文献:
Indikator 2024. “Rilis Exit Poll Pemilu 2024: Basis Demografi dan Perilaku Pemilih” 14 February. https://indikator.co.id/wp-content/uploads/2024/02/Rilis-Exit-Poll-Pilpres-2024-Indikator.pdf
Media Suara Gong 2025. “Makna Terselubung dari Logo Band Sukatani” 24 February. https://suaragong.com/makna-terselubung-dari-logo-band-sukatani/
Newman, Nic et al. 2023. “Reuters Institute Digital News Report 2023” Reuters Institute for the Study of Journalism. https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/digital-news-report/2023
_____ 2024. “Reuters Institute Digital News Report 2024” Reuters Institute for the Study of Journalism. https://reutersinstitute.politics.ox.ac.uk/digital-news-report/2024
We are. social 2024. “Digital 2024: 5 billion Social Media Users” 31 January. https://wearesocial.com/jp/blog/2024/01/digital-2024-5-billion-social-media-users/
見市建 2024.「政治YouTuberの台頭とインドネシアの民主主義」『IDEスクエア』https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2024/ISQ202420_021.html
見市建・茅根由佳編 2020.『ソーシャルメディア時代の東南アジア政治』明石書店.
書誌情報
見市建《総説》「ソーシャルメディアが変える政治の風景」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, ID.1.01(2025年5月8日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/indonesia/country01/