アジア・マップ Vol.03 | インドネシア

《総説》
インドネシア映画

西芳実(京都大学東南アジア地域研究研究所 准教授)

 日本に暮らす私たちにとってインドネシアはとても身近になった。インドネシアを訪問する日本人は年間約52万人、日本を訪れるインドネシア人も年間約50万人で、留学や就労で日本に滞在するインドネシア人も15万人を超える。対面で出会うだけでなく、ビデオ通話などで出会うことも容易になっている。

 仕事や勉強の場で付き合う上で、さらに友人として付き合う上で、相手のことをさらに知りたいと思うことだろう。相手の国の政治や経済や歴史を学ぶだけでなく、人々の暮らしぶりや考え方をもっと知りたいと思ったならば、その国で作られた小説を読んだり映画を見たりするのが格好の方法である。

 インドネシアは年間100本以上の映画が制作される映画大国である。国際映画祭で賞を取るような映画もあれば、国内各地のショッピングモールに併設されたシネマコンプレックスで何か月も上映されて数百万人の観客を集める映画もある。テレビでは毎日のように過去の人気映画が放映されているし、アート性の高い映画を上映するミニシアターもあり、映画は国民文化の一部としてインドネシアの人々の日常生活の中に位置付けられている。

 東京国際映画祭や大阪アジアン映画祭をはじめ各地の映画祭でその年の旬のインドネシア映画が紹介されているほか、ホラーやアクションといったジャンル映画を中心に劇場公開されるインドネシア映画も増えている。福岡市総合図書館はインドネシア映画の古典作品を多く収集していて定期的に上映会を行っている。オンライン配信サービスも含めれば、日本でインドネシア映画を見る機会はこの数年で格段に増えてきている。

 ここでは、日本で視聴しやすい映画を中心に、代表的なインドネシア映画をいくつか紹介したい。はじめにインドネシアの建国から1998年政変までの時期に制作された古典的な映画から5作品、ついで1998年政変を経て国産映画産業が再興する中で浮き彫りになった3つのテーマに即した3作品を紹介する。最後に、2024年に公開された作品をいくつか取り上げて、3つのテーマがその後にどのように受け継がれているかを紹介する。

1.クラシック名作5作品:1950年代~1990年代
 インドネシア映画は、インドネシア国家・国民の形成・発展と足並みをそろえる形で発展してきた。

 インドネシアという国は、大小さまざまな島に暮らす人々が、オランダによる植民地支配を経験する中で自分たちはインドネシア人であるという意識を持つようになり、第二次世界大戦中の日本軍による占領統治の後、再占領を目論むオランダに対する独立戦争と外交交渉を通じて独立を勝ち取った。

 インドネシアで最初に映画が制作されたのは1920年代で、これはインドネシア各地の青年たちが自分たちは母語や文化の違いにかかわらず1つのインドネシア人であると宣言したのとほぼ同じ時期である。これ以降、映画はインドネシアの国民的メディアとして、娯楽から文化・芸術、教育、プロパガンダまで幅広く活用されてきた。

 建国から50年あまりは、1945年にインドネシアの独立を宣言した初代大統領のスカルノと、オランダに対する独立戦争に参加して国軍で実績をあげた第2代大統領のスハルトのもとで、国民意識の醸成や国家制度の整備が進められた。この時期の映画には、オランダの植民地支配を否定する革命を通じて建国されたインドネシアという国をどのように構想するか、また、自分たちは何者で、どのような社会秩序をめざせばよいかといった普遍的な問いが透けて見える。そのような映画の中から5作品を紹介する。

 『血と祈り』(1950年、ウスマル・イスマイル監督)は、独立戦争中のインドネシア国軍のある部隊に焦点を当て、その行軍の様子を描いた作品である。インドネシア国軍はオランダと戦って独立を勝ち取ったが、その過程では、独立のあり方をめぐる立場の違いから、武装して国軍を襲撃しようとする民衆を鎮圧したり、国軍内で立場が違う部隊が互いに攻撃しあったりすることがあった。『血と祈り』は、戦争や革命による国つくりを経験してきたインドネシアで、独立革命は同じ社会で暮らす人どうしが互いに銃を向け合った殺し合いの上に成立したものであることを記録した作品である。

 『三人姉妹』(1956年、ウスマル・イスマイル監督)は、父や祖母とともにジャカルタで暮らす三人姉妹の長女の伴侶探しを描いたミュージカル映画である。ミュージカル仕立てになっていることと相まって、多くの観客が劇場に足を運んだ。

 亡き母にかわって家族の世話をしてきた堅実な長女、華やかなものを好み男女交際に積極的な次女、身体を動かすことが好きで快活な三女。三人は性格も好みも異なり、ときに意見の違いや競合のため喧嘩になることもあるが、互いの幸福を願っている。勤め人である父は娘たちのやりたいようにさせており、それぞれ一人前に成熟した女性たちが親や世間の目に気兼ねなく思いをぶつけあっている様子が魅力的だ。ここには1980年代以降にスハルト大統領のもとで喧伝されるような優しくも厳しく子を教え導く父の姿は見られない。

 『初恋』(1973年、トゥグ・カルヤ監督)はインドネシアの恋愛映画の古典的名作であり、劇中の名場面をまねた場面がその後の恋愛映画で多く使われている。ジャカルタの会社経営者の娘と田舎から出てきた設計技師の青年が恋に落ちるが、青年が過去に殺人罪で服役していたことがわかり、娘の親が交際に反対する。青年は娘の親が差し向けた若者との間で銃の撃ち合いになり、そこに居合わせた別の若者が巻き添えになって死ぬ。

 インドネシアでは1960年代半ばに共産主義者またはその支持者と疑われた人に対する大規模な弾圧事件があった。共産主義者の弾圧には学生も動員され、若者同士で戦うという厳しい境遇に置かれた。『初恋』には、大人たちの都合のために若者たちが殺し合いをさせられているという若者世代から大人世代に対する異議申し立てが織り込まれている。

 『ドゥルの少年時代』(1973年、シュマンジャヤ監督)は、幼いときに父を亡くした少年ドゥルが小学校に入学するまでを描く。一家を支えていた父がいなくなったドゥルは、学校に行かせてもらえないだろうし、誰かにいじめられても守ってくれる人がいないと心配するが、母の再婚相手が父代わりになることでドゥルは学校に行けるようになる。この作品には、学校は親の世代が持っていない経験や知識を子どもたちに与えてくれる場所で、教育によって子どもたちがよりよい未来に導かれるという社会への信頼と子どもへの希望が託されている。

 『チュッ・ニャ・ディン』(1988年、エロス・ジャロット監督)は、オランダの植民地支配に抵抗する戦争を指揮した実在の女性指導者を描いた作品である。舞台となったアチェ州では反オランダ戦争を率いる王族が殺され、その妻チュッ・ニャ・ディンが戦争の指揮を引き継ぐ。戦争末期、チュッ・ニャ・ディンの部下が彼女の居場所をオランダ側に伝え、チュッ・ニャ・ディンの助命と引き換えに戦争を終わらせる。チュッ・ニャ・ディンは部下を裏切り者と非難するが、部下が行ったのは長い闘争で疲弊したチュッ・ニャ・ディンの身体を気遣った苦渋の決断だった。この作品からは、戦争とは目の前にいる一人一人の命を守ることであるという思いが読み取れる。

 1965年9月30日夜に起こったクーデター未遂事件を鎮圧したスハルトは、その後に生じた混乱を収拾する過程でスカルノから大統領職の権限移譲を受けて第2代大統領に就任した。スハルトは反共と経済開発を基盤とする国家運営を進めた。1998年に退陣するまでの30余年に及ぶスハルト政権下では、スカルノからスハルトへの政権移譲の正当性を示す映画『インドネシア共産党の9月30日運動の裏切り』(1982年、アリフィン・C・ヌル)が制作されて全国の学校で繰り返し上映された。このように、映画は国が認める歴史観や国家観を反映させて政権を助けることもあった。

 映画制作に必要な資格が厳しくなって経験の浅い若者が映画を作る機会が事実上なくなっていたことや、ハリウッドや香港などの外国映画が多く入ってくるようになったことなどから、国産映画産業は低迷し、1990年代には制作本数が年間数本にまで落ち込んだ。

2.民主化・自由化の時代:2000年代~2020年代
 1998年5月、インドネシア各地で起こったデモを引きがねとして、30余年の長きにわたって統治してきたスハルト大統領が退陣に追い込まれた。民主化と自由化が進み、経験が浅い若者も映画が作れるようになると、インドネシア映画は制作本数が年間100本を超えるようになった。

 恋愛、ホラー、コメディなどのジャンル映画が花開いて多数の作品が作られた。既存の権力関係や社会規範に対する反発や逸脱のメッセージが映画に託されることもあったが、商業公開される映画は興行的な成功が求められることから、反発や逸脱のメッセージは形を変えて物語の裏地に織り込まれることもあった。

 メッセージ性が明確に示されていないものも含めて、民主化・自由化以降のインドネシア映画は、父子関係、女性と暴力、革命・政変の3つのテーマの描かれ方に注目すると、それまで定番であった物語とその語り直しを読み取ることができる。この3つのテーマは、スハルト政権下で喧伝されたインドネシア社会のあるべき姿である物語、すなわち「父は子を厳しくも優しく教え導き、それと同じように大統領は国民を厳しくも優しく教え導く」「女性は非力な存在で、力強い男性は女性を守り導くべきであり、女性はよい娘、よい妻、よい母として父や夫を支えるべきである」「インドネシアは植民地主義や共産主義などの外敵の脅威にさらされており、政府がこれらの外敵を実力で排除することでインドネシアは独立と発展を享受している」という物語であり、インドネシア社会に根強く存在する。これらの物語を読み替えて、それとは異なるインドネシア社会をスクリーンに映すことで共有しようとする挑戦的な取り組みの例として、3つの作品を取り上げる。(3つのテーマについて、より詳しくは西芳実『夢みるインドネシア映画の挑戦』〔2021年、英明企画編集〕をご覧いただきたい。)

(1)父子関係
 国民によるスハルト政権の否定は、スハルト個人に対する「ノー」であるとともに、家族主義の名のもとで父が子を教え導くように大統領が国民を教え導くという考え方に対する否定も意味していた。スハルト退陣によって各分野で民主化・自由化が進められたのはそのことをよく表している。

 ただし、強い大統領がいなくなって国民が国家運営に参加できるようになったということは、国民が国家運営に責任を負うことになったということでもある。大統領または政治家が権限を持つことをすっかり否定するのではなく、権限を与えた上で、どのように権限を持たせるのが適切かが検討されることになる。この問題はインドネシア映画では、家族に父親は必要ないのではないか、あるいは、若い男性が自分が家庭を持って父になることに悩むといったように、家族における父親の役割の描き方を通じて考えられてきた。

 『珈琲哲学』(2015年、アンガ・ドウィマス・サソンコ監督)では、カフェを経営するジョディが幼馴染でバリスタのジョディとともに「完璧な珈琲」を作ろうとし、その報奨金で父が遺した借金を返済しようと奮闘する。負の遺産を遺した父にわだかまりを抱いていた子が、成長に伴って父の生き方を理解するようになり、父を許す過程が描かれる。子が父を許すことを通じて自分が父になる道が開かれたことも意味しており、『珈琲哲学』公開の頃からインドネシア映画で若者が父になる喜びを描く作品が登場するようになった。

(2)女性と暴力
 インドネシアには、女性は弱く守られるべき存在であり、よき娘、よき妻として父や夫の保護を受けることで幸せが得られるとする考え方が根強くある。そこでは、女性が親や夫の意向と異なる自己決定をすることで禍を招き、あるいは親や夫の庇護から外れることで危険にさらされるという物語が多く語られてきた。そのことはインドネシア映画ではホラー映画の形をとって現れることが多い。

 ホラー映画の定番に、夫が出張などで村に不在のときに妻が夫以外の男に凌辱され、口封じのために殺されたり、望まぬ妊娠を苦に自死したりして、お化けになって出てくるというものがある。妻を襲った男はお化けに襲われて報いを受けるものの、最終的にお化けは調伏されてこの世を去り、それによって村に平和が訪れる。ホラー映画には、お化けに人々の前で思いを語る機会を与えることで、不遇の死を遂げた人の無念を晴らす側面がある。その一方で、お化けはこの世にいてはならない存在として厄介者扱いされており、女性は守られるべき存在で親や夫の庇護から外れると禍を招くという既存の考え方を強化する側面もある。

 『マルリナの明日』(2017年、モーリー・スルヤ監督)では、夫を亡くして一人暮らしをしていた女性が強盗に襲われて凌辱されるが、女性は逆襲して強盗の首を切り落として殺す。証拠品の生首を持って警察を訪れて強盗から受けた被害を訴えるが、警察はまともに取り合わず、強盗を殺した話に至らず女性は殺人の罪に問われることもない。性暴力を受けた女性が死なずに加害者を成敗するこの物語は、女性は夫の庇護の外では自分の命を守ることができず、名誉の回復もお化けになることでしか果たせないという考え方に対する挑戦である。

 性被害を受けた女性たちの物語の映画での語り直しは、強盗たちに殺されてお化けになった妻と出張から帰ってきた夫が共闘する『よみがえったスザンナ』(2018年、ロッキー・ソラヤ監督)、性暴力の被害者たちが連帯して集団で告発する『フォトコピー』(2021年、レガス・バヌテジャ監督)などのように、さまざまな形をとって作品化されている。

(3)戦争・政変の記憶
 1965年のスハルト政権の成立を導いたのは、クーデター未遂事件が発生し、それをスハルト率いる国軍が鎮圧したためだった。国軍は、クーデターの企ては共産主義者の陰謀によるものだとして、国民を動員して共産主義者に対する大弾圧を始めた。クーデター未遂に直接関わった首謀者だけでなく、共産主義者と疑われれば逮捕・拉致・殺害の対象になった。住民の間で共産主義者の疑いがある人を密告しあう状況が生まれ、同じ村の住民どうしが互いに疑心暗鬼になった。この状況が広がっていき、全国的に広がった恐怖の裏返しでスハルト政権が支えられてきた。

 1998年の民主化後、1965年のクーデター未遂事件が共産主義者の陰謀だったとしても、共産主義者やそれと関係した人をすべて弾圧の対象にして、殺したり公民権をはく奪したりしたことは妥当だったのかという声が上がるようになり、また、そもそもクーデター未遂事件は共産主義者の陰謀ではなく国軍の自作自演だったのではないかという疑問の声も上がるようになった。

 『フォックストロット・シックス』(2019年、ランディ・コロンピス監督)は、近未来のインドネシアを舞台にしたSF作品である。政権党がテロ被害を自作自演して、その罪を政府への抵抗組織になすり付け、国民を動員して抵抗組織を弾圧しようとするが、抵抗組織によって自作自演であることが白日の下に晒される。インドネシアで過去に起こったクーデター未遂事件とその首謀者とされた共産主義者への弾圧についても再検証する余地があることを、言外に、しかしはっきりと提示した。

 1960年代の政権交代に伴う混乱とそれがインドネシア国民に及ぼした心理的影響、そして現在に続くその余波に関して、スカルノ大統領時代にヨーロッパの社会主義国に留学していたが、政権交代後に共産主義者と疑われて自身や家族に累が及ぶのを避けるためにインドネシアに帰国できなくなった人たちを描いた『プラハからの手紙』(2006年、アンガ・ドウィマス・サソンコ監督)や、1960年代に共産主義者の殺害を行っていたことを今も誇りに思っている加害者に当時の殺害の様子を再現させた『アクト・オブ・キリング』(2012年、ジョシュア・オッペンハイマー監督)のように、直接・間接に描く作品が作られ始めている。

3.2024年のインドネシア映画
 冒頭でも書いたように、今日のインドネシアでは年間100本もの映画が作られており、その内容は多岐にわたる。ただし、前節で紹介した3つのテーマは依然として重要なテーマであり、現在もこの3つのテーマに対して新たな語り方や描き方が試みられている。2024年に公開された映画の中から3つのテーマに関わる作品を紹介する。

 父子関係に関連する作品は多いが、父や家族の役割をどのように捉え直そうとしているのか、従来の枠組みに照らすだけでは方向性をはっきり見通すことができない作品がいくつか出てきている。『あした母がいなくなったなら』(2024年、ルディ・スジャルウォ監督)は、年老いた母と4人の娘・息子たちの物語である。父は亡くなっており、長女が父の役割を引き受けようとするが、長女に指図されたくない弟や妹たちとの間で諍いが絶えない。4人のきょうだいが互いに折り合いをつける方法を見つけて関係が修復するのは母の死を通じてだった。『ちょっと違う』(2024年、ムハドゥリ・アチョ監督)は、4人の青年がそれぞれの母や恋人の期待に応えようとしてお化け屋敷を共同経営して繁盛させる。お化け屋敷で突然死した男性客の遺体を隠していたことが発覚して4人は刑務所に入れられるが、出所すると母や恋人に出迎えられる。

 女性と暴力に関連する作品として、『神よ、私の罪をお赦しください』(2024年、ハヌン・ブラマンティヨ監督)は、ムスリム女性がベールをかぶった姿で飲酒をはじめとする不品行を行う様子を映像化して話題になった。原作は小説『神よ、私が娼婦になることをお赦しください』で、イスラム教指導者や大学教師や政治家といった社会的地位の高い人たちが裏では信仰や社会的信用を利用する偽善者であることを目の当たりにした主人公が、自ら娼婦になって彼らの不品行の証拠を掴み、不信心者として告発する。

 娼婦になるのは不信心者を暴くためと自分に言い聞かせながら生き延びようとする彼女が何によって救われるのかがこの作品の見どころである。この作品はまた、信頼に値する大人や頼りになる友人が周囲にいない状況では、「よき〇〇であれ」という言葉は人を導く助けにならないことを示している。

 戦争・革命の記憶に関連する作品として、『やがて、霞立ち込めて』(2024年)は、華人系のエドウィン監督の長編第六作目の作品である。カリマンタン島のマレーシアとの国境地帯で首のない男性の死体が見つかり、ジャカルタから派遣された刑事が捜査を進めるうちに、地元警察を巻き込んだ人身売買ネットワークが明らかになっていく。自分が過去に犯した罪を警察の秩序維持のために隠蔽せざるを得なかったことを悔やんでいる刑事は、目前の犯罪の真相究明か地元の秩序維持かの間で激しく葛藤する。

 国境地帯での事件が解決して刑事がジャカルタに帰る途中、別の男性が首切り殺人の犠牲になる。犠牲者の首は広場の木に吊り下げられて発見される。その公園にはスカルノ大統領の像が立っており、男性の首とスカルノの像の頭部が重なるように映される。あたかもこの土地に地元社会の暮らしと無関係に国境を引くことで作られた血塗られた歴史の起源はスカルノにあると告発するかのようである。

 日本にいながらにしてインドネシア映画を手軽に視聴できるようになった今、まずは映画を見て楽しんでほしい。そのうえで、ここに紹介した3つのテーマを一つの手掛かりとしながら、インドネシアの人々が何を喜びとし、何に思い悩み、そしてそれをどう乗り越えようとしているのかに関心を寄せてもらえればと思う。

参考文献
西芳実 2021 『夢みるインドネシア映画の挑戦』(シリーズ混成アジア映画の海)英明企画編集。

紹介作品データ(掲載順)
①制作年、②監督、③インドネシア語タイトル、④英語タイトル、⑤日本での視聴
『血と祈り』①1950年、②ウスマル・イスマイル、③Darah dan Doa、④The Long March、⑤福岡市総合図書館フィルムアーカイブ収蔵。
『三人姉妹』①1956年、②ウスマル・イスマイル、③Tiga Dara、⑤福岡市総合図書館フィルムアーカイブ収蔵。
『初恋』①1973年、②トゥグ・カルヤ、③Cinta Pertama、⑤福岡市総合図書館フィルムアーカイブ収蔵。
『ドゥルの少年時代』①1973年、②シュマンジャヤ、③Si Doel Anak Betawi [ブタウィの子ドゥル]、⑤福岡市総合図書館フィルムアーカイブ収蔵。
『チュッ・ニャ・ディン』①1988年、②エロス・ジャロット、③④Tjoet Nja' Dhien、⑤福岡市総合図書館フィルムアーカイブ収蔵。
『インドネシア共産党の9月30日運動の裏切り』①1982年、②アリフィン・C・ヌル、③Pengkhianatan G 30 S / PKI
『珈琲哲学』①2015年、②アンガ・ドウィマス・サソンコ、③Filosofi Kopi、⑤Amazonプライム・ビデオ。
『マルリナの明日』①2017年、②モーリー・スリヤ、③Marlina, Si Pembunuh dalam Empat Babak [四幕における殺人者マルリナ]、④Marlina the Murderer in Four Acts、⑤Amazonプライム・ビデオ。
『よみがえったスザンナ』①2018年、②ロッキー・ソラヤ、アンギ・ウンバラ、③Suzzanna: Bernapas dalam Kubur [スザンナ:墓の中で息をする]、④Suzzanna: Buried Alive、⑤Netflix。
『フォトコピー』①2021年、②レガス・バヌテジャ、③Penyalin Cahaya[光を写すもの]、④Photocopier、⑤Netflix。
『フォックストロット・シックス』①2019年、②ランディ・コロンピス、③④Foxtrot Six、⑤Amazonプライム・ビデオ。
『プラハからの手紙』①2016年、②アンガ・ドウィマス・サソンコ、③Surat dari Praha、④Letters from Prague。
『アクト・オブ・キリング』①2012年、②ジョシュア・オッペンハイマー、③Jagal [屠殺者]、④The Act of Killing、⑤Amazonプライム・ビデオ。
『あした母がいなくなったなら』①2024年、②ルディ・スジャルウォ、③Bila Esok Ibu Tiada、④If Mother Is Gone Tomorrow。
『ちょっと違う』①2024年、②ムハドゥリ・アチョ、③Agak Laen、⑤Netflix。
『神よ、私の罪をお赦しください』①2024年、②ハヌン・ブラマンティヨ、③Tuhan Izinkan Aku Berdosa、④Harlot’s Prayer。
『やがて、霞立ち込めて』①2024年、②エドウィン、③Kabut Berduri [棘を持つ霧]、④Borderless Fog、⑤Netflix(日本語字幕あり)。


書誌情報
西芳実《総説》「インドネシア映画」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, ID.1.02(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/indonesia/country02/