アジア・マップ Vol.03 | インドネシア

《総説》
インドネシアの音楽

金悠進(東京外国語大学世界言語社会教育センター 講師)

「インドネシアの音楽」とは?

 「インドネシアの音楽」と一口に言っても、その内容は非常に多様である。ガムランなどの伝統音楽からロックまで、幅広いジャンルが存在する。ここでは主にインドネシアのポピュラー音楽について解説する。

 インドネシアを代表するポピュラー音楽の一つがダンドゥットである。マレー音楽、インド映画音楽、アラブ音楽、そして西洋音楽が混ざり合った土着的な音楽である。1970年代半ば以降、インドネシアで最も人気のある音楽ジャンルの一つとして、現在に至るまで長年愛され続けており、まさに国民的な音楽である。

 もちろん、こうした土着的な「インドネシアらしい」音楽ジャンルだけでなく、日本と同様にロックやポップスも幅広く支持されている。欧米のポップスの影響を受けたインドネシア語のポップスは、かつて「ポップ・インドネシア」として全国的な人気を集めた。1970年代にはハードロックやプログレッシブ・ロック、1980年代にはバラード調の「スローロック」などが若者の間で流行した。

 インドネシアに特徴的なのは、こうした全国区の国民的音楽であるダンドゥットと、主に都市部で愛好されるロックとの中間にあたる「地方ポップ」が1980年代に流行したことである。地方ポップは、主にスンダ語やジャワ語など、インドネシア語とは大きく異なる地方語の歌詞を用いたポップスであったり、地元を主題として歌う土着的な民謡調のポップスや、ガムランなどの伝統的な楽器を用い、現代的にアレンジしたポップスなどが含まれる。

 特筆すべきは、人口2億人を超えるインドネシアにおいて、こうした地方ポップが一つの大きなマーケットとして成立する点である。例えば、ポップ・スンダというスンダ語のポップスは、主にスンダ地方で聴かれる。スンダ語は他民族には理解できない。しかし、スンダ人はジャワ人に次ぐインドネシア第二の民族集団であり、全人口の約15%を占め、3000万人を超える市場となる。現在でも、ジャワ語歌詞のダンドゥットソングがYouTubeの再生回数2億回を超えることは珍しくない。人口大国であり、多民族国家でもあるインドネシアならではの現象と言えるだろう。

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写真1:2003年に「ドリル型ゴヤン」(激しい腰振りダンス)で一世を風靡した著名ダンドゥット歌手、Inul Daratista(出典:Irama Nusantara)

音楽と社会

 世代や民族の垣根を超えて全国的に支持されたダンドゥットであったが、社会階層の点では主に貧困層に愛好されるジャンルであった。ダンドゥットが登場した1970年代後半には、「田舎者の音楽」「庶民の音楽」としてエリート層から揶揄されることが多かった。一方で、ダンドゥットを蔑むエリート層はロックを好んだ。こうした社会階層と音楽趣味の関連性は当時は明確であったが、現在ではその階層間の分断は次第に薄れつつある。エリートがダンドゥットを聴くことが不自然ではなくなり、反対にロックが金持ちの特権ではなくなり、田舎の貧しい若者がロックに熱狂することも珍しくない。さらに、インターネットの普及により、人々は様々な音楽に出会い、アクセスすることができるようになり、ジャンル別の支持層はこれまでほど明確ではなくなってきている。

音楽と政治

 ダンドゥットやロックが1970年代以降に流行した背景には、ラジオやカセットの普及など、メディアが果たした役割が大きい。しかし、それと同様に政治の役割も見逃せない。1960年代前半、民族主義者であり初代大統領のスカルノが反帝国主義を掲げ、左翼寄りになるにつれて、ロックを「耳障りな騒音」として排斥しようとした。しかし、1965年9月30日事件後の共産主義者虐殺を経て、スハルト権威主義体制が成立すると、西側諸国との良好な関係を背景に、欧米ポピュラー音楽の流入を許可し、その後のロック人気に繋がった。

 ダンドゥットもスハルト体制期において、与党のプロパガンダとして重要な役割を果たした。スハルト政権は選挙を形式的に行う際、各地方の選挙キャンペーンにダンドゥット歌手を動員し、一般庶民からの支持を集めた。こうした政治との癒着がダンドゥットを国民音楽へと押し上げる一因となった。

 1990年代後半、スハルト体制を批判する学生運動が活発化すると、それと共鳴するかのように、パンクやメタルなどのアンダーグラウンド音楽が台頭した。1998年の民主化によって言論の自由が保障されると、パンクやメタルは堂々と反権力を掲げ、それに若者たちが熱狂し、新たなサブカルチャー空間が形成された。

 とはいえ、民主主義が定着した後も、警察がモヒカンのパンク少年たちを一斉検挙し、丸刈りにしたり、警察に批判的な楽曲を配信禁止にしたりと、表現の自由を制限する動きも見られる。こうした権力の横暴に対して、ミュージシャンたちが連帯して反対運動を行い、結果的に異議申し立ての音楽として、パンクやメタルの存在価値や人気が相対的に高まっていく現象も見られる。

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写真2:2025年2月に警察を批判した曲の配信禁止と公開謝罪を強いられたパンクバンドSukatani(出典:Jawa Pos紙の一面)

音楽と宗教

 インドネシアでは、宗教と音楽の関係も密接である。イスラーム教徒が約9割を占め、また「カシーダ」など、イスラームをテーマとした宗教音楽も一つの大きなマーケットとなっている。ただし、イスラーム教徒の中には、あくまでほんの一部ではあるが、パンクやメタル、近年ではK-POPなどの「世俗的すぎる」音楽表現に対して否定的な声もある。とはいえ、こうした声が目立つ一方で、その他の大多数のイスラーム教徒は普通にK-POPアイドルを推し、メタルやパンクのライブで暴れ回っている。西ジャワ州のガルットで2014年に結成された女子高生バンドVoice of Baceprotは、イスラーム教徒の女性が着用するヴェール「ヒジャブ」を着用しながら、激しいメタルを巧みな演奏テクニックで披露し、大きな話題となった。その後、彼女たちの活動は国内外で称賛され、欧州ツアーやアメリカツアーを実現し、2024年には同バンドのリーダーが「BBCが選ぶ100人の女性」に選ばれた。イスラームの価値観を尊重しつつ、男性支配的なメタルに風穴を開け、世界的に活躍した象徴的な例である。

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写真3:西ジャワ州ガルットが生んだ女子高生ヒジャブメタルバンドVoice of Baceprotのライブ(筆者撮影)

音楽と産業

 このように、インドネシアはその巨大な人口に加え、好調な経済成長もあり、同国の音楽産業は順調に成長してきた。しかし、これまでも、そしてこれからも、持続的な発展の障壁となっているのは著作権問題である。スカルノ時代に著作権の国際条約に批准しない方針をとったこともあり、インドネシアは概して著作権の法整備や著作権意識の社会的浸透が遅れてきたといわれている。実際、1980年代にはインドネシア産の海賊版カセットが氾濫し、それに対して欧米諸国から厳しい批判が寄せられ、国際問題に発展した。その後、国際社会からの外圧もあり、徐々に著作権の法整備が進んできたものの、依然として著作権侵害が横行しており、その歯止めには至っていない。今後、政府と音楽業界が協力し、いかにして著作権問題の解決に向かうのか、そして社会全体で著作権意識がどれほど向上していくのかが、インドネシア音楽産業の持続的な発展にとって重要である。


書誌情報
金悠進《総説》「インドネシアの音楽」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, ID.1.03(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/indonesia/country03/