アジア・マップ Vol.03 | インドネシア
《総説》
インドネシア・プラボウォ政権の始動
2024年10月20日、プラボウォ・スビアントがインドネシアの第8代大統領に就任した。プラボウォといえば、スハルト元大統領の娘婿として、また陸軍特殊部隊司令官として、スハルト政権下(1966〜1998)で権力の中枢にいた人物である。スハルト政権の末期に、反政府活動家の拉致や監禁を指揮した責任を問われ、1999年に軍籍を剥奪された。
陸軍特殊部隊司令官の時のプラボウォ少将
(出所 プラボウォのホームページ)
民主化の到来で、プラボウォの政治生命も終わりかと思われていたものの、2008年には自らの政党(グリンドラ党)を設立し、政治の表舞台に返り咲いた。以後、3度の大統領選敗北を経て、2024年2月の4度目の挑戦で念願の地位を手にした。副大統領には当時のジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領の長男ギブラン氏を擁立し、ジョコウィ時代の継続を訴えて大統領選挙に勝利した。その政権移行から6ヶ月が経ち、徐々に新政権の性格が明らかになりつつある。この半年を振り返り、プラボウォ政権の政治・経済・外交の特徴を考えてみたい。
プラボウォ大統領就任式にて、ジョコウィ(左)と言葉を交わすプラボウォ
(出所 LIPUTAN 6)
まず政治面では、プラボウォ政権は史上まれに見る「超巨大連立」に支えられている。主要政党のうち8党が与党として政権に参加し、野党として残ったのはメガワティ率いる闘争民主党(PDI-P)のみ。この連立政権による内閣は「肥満内閣」(Kabinet Gemuk)と懸念されてきた。閣僚数は前政権の34人から48人へと大幅に増加し、副大臣は56人にのぼる。統治の効率化よりも権力分配が優先された結果で、プラボウォは政権基盤を安定させるため、ジョコウィ前大統領を支持していた与党系政党のみならず、大統領選で対立候補を支持した政党も巻き込んで、かつてない規模の超党派連立を形成した。その結果、閣僚ポストは各党派への「政治的報酬」として配分された。
この巨大連合は、政権運営の安定をもたらす反面、国会における健全な対立やチェック機能を弱める結果となっている。例えば、2025年3月に可決された国軍法改定案では、軍の非軍事分野での役割拡大が盛り込まれたが、国会ではほとんど反対の声が上がらず、市民社会勢力は「文民統制の原則を揺るがす」と批判を強めた。各地で学生や市民団体が抗議デモを行ったが、プラボウォ政権は強硬な姿勢を崩さなかった。
国軍法改定案に反対する学生デモ
(出所 Kompas.com)
プラボウォ大統領は公の場で「民主主義にも礼節が必要だ」と繰り返し述べている。これは、反対意見の自由な表明を制限しようとする姿勢とも解釈され得る。さらに、彼は過去に大統領選の直接投票制に反対した経緯を持ち、現在の直接地方首長選も見直すべきと発言していることから、民主選挙の後退を懸念する声も根強い。
次に経済面を見てみよう。プラボウォは就任直後から、年8%成長という野心的な目標を掲げた。子どもへの無償給食の全国展開や、鉱物資源の川下化(ダウンストリーミング)政策の継続など、「国が前に出る」経済運営が目立つ。たとえば、ニッケルやボーキサイトなどの鉱物資源は、従来は原料のまま輸出されていたが、前政権の政策を継承し、国内での加工・製錬を義務付けることで、インドネシアに付加価値を出そうとしている。この方針により、電気自動車の電池用資源の生産でインドネシアは世界的な重要拠点となりつつある。ただ、こうした資源ナショナリズムの裏には、環境破壊や地域住民との対立といった負の側面も潜んでいる。特にニッケル精錬所の建設に伴う森林伐採や大気汚染は深刻で、環境NGOからは「持続可能性を欠いた成長戦略」との批判が寄せられている。
加えて、プラボウォ政権は国内市場を保護する目的で、パーム油や砂糖などの農産品についても輸出より国内加工を優先する方針を示している。これらの政策は雇用創出につながる可能性がある一方で、国際的な自由貿易の原則と対立し、対外関係の悪化や報復関税のリスクも孕んでいる。
一方で、プラボウォ政権が打ち出した政府系ファンド「ダナンタラ」は、大手国有企業を次々と傘下に収め、大統領府の直接管理下に置くものだ。この動きは「国家資本主義」の加速と捉えられ、市場では「民間部門との競争が歪められるのでは」と警戒されている。実際、この発表後に株式市場が急落し、外国人投資家が資金を引き上げる動きも観測された。
また、米アップル社に対してローカルコンテンツ比率の遵守を迫り、iPhoneの新製品の販売を一時禁止する強硬姿勢を見せたのも象徴的だった。最終的にアップル社はインドネシア国内での投資拡大に同意し販売再開となったが、こうした交渉手法は他の多国籍企業にも「規制リスク」として映った可能性がある。
さらに、無償給食制度の導入や新首都建設の継続といった大規模支出に対して、財源が追いついていない。政府は予定されていた11%から12%への消費税率の引き上げを見送ったが、それにより年間70億ドル近い歳入を失ったとされる。インフレと通貨下落への懸念も高まっており、富裕層の間では資産を暗号通貨や海外口座に移す動きが加速している。
政権のフラッグシップ政策である無償給食制度の実施を視察するプラボウォ
(出所 グリンドラ党ホームページ)
ジャカルタ証券取引所は2025年3月に入り、年初から20%近い下落率を記録した。ルピアの対ドル相場も一時1ドル=17,000ルピアを突破し、これは過去最安値水準に近い。中銀は為替市場への介入を行ったが、限界があることが示された。市場の信認を取り戻すためには、財政規律と透明性のある経済運営が不可欠だが、現在の政権にはそれを担保する制度的な仕組みが弱いとの指摘がある。
外交面では、プラボウォ大統領はジョコウィ時代に比べはるかに積極的だ。2024年11月には早速中国を訪問し、習近平主席と会談した。その直後にアメリカにも飛び、バイデン大統領(当時)と会談を行うなど、大国外交で存在感を示した。また、インドネシアは2024年末にBRICSへの加盟を表明し、同時にOECDにも加盟申請を行うなど、東西両陣営にアプローチする姿勢を見せている。これは「どちらにもつかず、どちらからも利益を得る」というグローバルサウスの外交の典型でもあろう。
ジャカルタを訪問した石破総理との首脳会談
(出所 首相官邸)
しかしその一方で、外交方針の一貫性に疑問符が付く場面も多い。たとえば南シナ海をめぐる中国との共同声明では、中国の主張に配慮したと受け止められる表現が含まれており、直後にインドネシア外務省が釈明する事態となった。ASEAN内でも、ミャンマー問題に関する外相会合に閣僚を派遣せず、地域外交への積極性が問われた。
外交面では「舞台志向」とも評されるプラボウォの行動だが、その舞台裏での調整力や戦略性には課題も多い。外務省と大統領府の方針が一致していない場面も散見され、外交政策の整合性をどう取っていくかが今後の焦点となる。
このように見てみると、プラボウォ政権の半年間は、「安定の名の下に批判の声が抑え込まれた政治」、「国が経済を握る国家資本主義的モデル」、「積極的だが方向性に乏しい外交」という特徴が浮き彫りになっている。ジョコウィ時代の実務志向から一転、理念や演出に重きを置くプラボウォ時代の幕開けは、インドネシアに新たな緊張感と可能性をもたらしている。今後、彼の政治が民主主義の制度的基盤をさらに掘り崩すのか、それとも強いリーダーシップのもとで新たな均衡を築くのか。インドネシア社会の目が、厳しく、そしてどこか期待を込めて、プラボウォを見つめている。
書誌情報
本名純《総説》「インドネシア・プラボウォ政権の始動」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, ID.1.04(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/indonesia/country04/