アジア・マップ Vol.03 | ヨルダン

《総説》
乾燥地帯における難民の移動と居住
―世界有数の難民ホスト国ヨルダンを紐解く―

佐藤麻理絵(筑波大学人文社会系 助教)

 ヨルダン・シリア国境に押し寄せた多数のシリア人が足止めされ、国際社会や国際NGOからヨルダンに対する批判が高まりを見せたのは2014年の12月頃である(こうした状況は2014年7月頃から見られた)。荒涼とした沙漠下の真冬にあたる12月は、凍えるほど寒く、特に朝晩の冷え込みは著しい。多くは着の身着のまま、僅かな荷物を両手に抱えながら、長い道のりを徒歩でたどり着いた人々である。彼らの顔からは疲労と絶望が滲み出ているようであった。僅かな燃やせるものをかき集めて、火の前で丸まるようにして暖を取る子どもの様子が、ことさら記憶に残っている。

 2011年「アラブの春」に端を発する中東各地での反政府デモは、シリアでは泥沼の内戦に陥り、大国の関与による国際紛争の様相を呈しながら、2024年末まで続いた。その間にシリアでは、人口の約半数にあたる1300万人が家を追われ、そのうち600万人以上が国外へと逃れている。多くは隣国のトルコやヨルダン、レバノンへと逃れ、一部では欧米への流入も見られた。中でもヨルダンは、トルコに次ぐシリア難民の受入先であり、その数は150万人とも言われる。一般に、ヨルダンの難民受入は「オープン・ドア」政策と呼ばれ、彼らへ門戸を開いてきたとされる。また、その見返りとして獲得された国際援助は、難民支援に留まらず、ヨルダン人を含めた国家開発へと振り向けられてきた。但し、シリア内戦を戦う反体制諸派にイスラーム過激派の暗躍が見られ、シリアとイラクの両国に跨る形で勢力を伸ばしたイスラーム国(IS:Islamic State)の登場を背景に、ヨルダンの難民受入姿勢は硬直化していった。いわゆる難民の安全保障問題化が生じたのである。

 2014年夏頃から2016年末まで見られたシリア・ヨルダン国境付近におけるシリア難民の足止めの事態は、ヨルダンにとっては難民に紛れてイスラーム過激派の分子が国内へ入り込むのを阻止し、テロの波及を抑制するための安全保障上の措置であったと考えられる。ただし、国境付近での過酷な環境下で何日も放置されるシリア難民について、人道的な観点から多方面で批判が集まり、ヨルダンの対応は非難された。当時のヨルダン政府高官は、国境付近に留め置かれるシリア難民への支援は国際社会が模索するべきであるとして、こうした批判を一蹴してきた。

 シリア、ヨルダン、さらにはイラクの内陸部にまたがるようにして横たわるのが、シリア沙漠である。そういえば、井上靖の著した作品に「シリア沙漠の少年」という題名の詩がある。詩に登場するのは「羚羊の群れといっしょに生活していた」少年であるが、これはおそらく北アフリカや中東地域の乾燥・半乾燥地帯やステップ地帯に広く野生種として分布するガゼル(Gazelle)のことであろう。ウシ科の一種でありながら見た目は羚羊に近い。ガゼルはアラビア語で女性の優美さを表現する際に比喩として用いられるなど、何かと頻繁に登場する動物の一つである。しなやかな身体を揺らしながら、颯爽と優美に飛び回るガゼルの生きるシリア沙漠は、その大部分を土漠が覆う。その地表は文字通り土や粘土が混ざり合って構成されている。場合によっては足を取られ、命の危険をももたらす砂沙漠と違い、土漠は比較的歩きやすい。国境付近に押し寄せたシリア難民の多くが徒歩で移動したことは、土漠であるが故に可能となる人の移動形態の一つと言えるだろう。但し、遮るものが何も無いのは沙漠の種類を問わず同じであり、気温の日較差も顕著であるから、灼熱や強風に見舞われれば、命に関わることもあり得る。

 一連の事態は、乾燥地における人の移動の特性と、彼らの生存条件の双方を明確に提示するものである。すなわち、乾燥地の生態環境には、その大半を占める沙漠の存在が挙げられ、夏場の日中は灼熱の太陽に照りつけられ、冬場は特に朝晩の冷え込みが激しく、年中を通して著しい日較差を有する気温の存在が人々の移動と生存を規定するという点である。とりわけ難民の移動と生存は、こうした乾燥地の規定要因に左右される上に、内戦や紛争に起因する非自発的な要素が加わることで、さらに困難な環境下にあるといえるだろう。

 シリア・ヨルダン国境に押し寄せた彼らは、後にイラク国境にも近いヨルダン北東部ルクバーン地域に移送され、ピーク時には10万人もの人々が暮らしていた。遠隔地であるルクバーンは周囲から隔絶され、清潔な水や十分な食料の不足した、劣悪な環境であることが報告されている。(なお、2024年末のシリアにおけるアサド政権崩壊を受けて、2025年2月時点でルクバーン難民キャンプの約7割の住民がシリアへ帰還したと推計されることが報告されている。Reliefweb, 9 Feb 2025)

 乾燥地ならではといえる難民の様相としては、もう一つ、「都市難民(Urban Refugees)」の存在が挙げられる。国境を無事に越え、ヨルダンに到着したシリア難民の多くは、都市に居住していることが知られる。難民キャンプに居住するのは全体のわずか2割程度であり、残りの8割ほどは北部イルビドや首都アンマンを中心とした都市部に集中する。都市には難民の活用可能な資源が豊富であることに加え、中東地域では、単に都市を取り囲む沙漠地帯では生存が困難であるという生態境の特性が所以でもある。「都市難民」の存在は、グローバルな規模において現代の難民の特徴の一つとして指摘され、難民は資源や雇用機会が豊富な都市を目指し居住することが明らかになっている。

 ヨルダンには1948年の「ナクバ(大破局)」を受けて流入したパレスチナ難民が都市を拡張してきた歴史があり、元は難民キャンプであった場所も、都市の一部へと変貌している。元難民キャンプの名残は、極端に細い街路や建て増しされた家屋の数々、急な階段が張り巡らされる様子に垣間見ることが出来る。こうした地区は、後に都市へとたどり着いた一部のイラク難民やシリア難民を受け入れ、外国人労働者も吸収しながら、現代の大都市圏を形成していった。シリア難民の都市部での暮らしは一様ではないものの、首都アンマンにおいては東アンマンを中心に居住が見られ、近年の物価高を背景に居住地はさらに南東部へと広がりを見せている。

 都市には大規模なインフォーマル経済圏が広がり、特にサービス業や建設業などの分野で日銭を稼ぐ難民の姿が確認できる。一方で、正規の雇用を獲得したり起業をしたりして、社会上昇を遂げつつある難民の姿も珍しくない。加えて、都市には数々の市民社会組織やモスクによる支援、難民同士の相互扶助が展開されており、「都市難民」を下支えしている。周縁部に留まるよりも、より良い雇用機会や支援が得られると考える難民が、難民キャンプや地方都市を後にして、大都市に集まるのであろう。無論、沙漠に留まる事ができないのは上述のとおりである。

 言うまでもなく、都市には電気や水道網が整備され、人々の生活インフラは充実している。ただし、乾燥地に位置するヨルダンは慢性的な水不足にあり、気候変動の影響も年々深刻化する中で、水資源の安定的な確保は目下の課題とされてきた。ヨルダンは、雨季にあたる冬場の11月から3月頃までを除いて一年中乾燥した気候で、7月や8月の最も暑い時期の気温は40度以上に達することもある。ヨルダン渓谷や高原地帯では年間降水量が400〜600mmになるが、国土の9割以上の地域で200mm以下であり、世界で最も水資源の乏しい国の一つとされる。大量の難民流入が、既に逼迫している水需給をさらに悪化させたことは言うまでもない(また、近年では突発的な豪雨が頻発し、雨が地表を流れてしまうために洪水の被害が深刻化している)。ヨルダンが難民受入に伴う国内の疲弊した窮状を国際社会に訴え、獲得した国際援助は、水資源については、給水体制の整備や無収水対策などの推進に活用されてきた。さらには、実現すればヨルダンに年間3億立方メートルの新たな飲料水を供給し、受益人口は300万人以上を見込む、「紅海・死海淡水化事業」(通称“Red to Dead”、紅海の海水を死海に引き込み淡水化を行うもの)も始動しつつある。

 乾燥地における難民流入という事象は、ヨルダンを例に見ると、国境付近に沙漠が広がるために、シリア難民のように難民は正規の国境検問所を通らずとも沙漠下を徒歩で移動して流入する事態がおきること、国境を超えた先で彼らは主に都市へと集中すること、という特徴を見せる。いずれも自らの生存を確保しようとする人間の主体的な選択として自然であり、生態環境の制約を受けながらも試行錯誤した結果として生ずるものである。難民問題が安全保障化する中で、国益に沿った対応を取り、厳しい環境下に留め置かれた難民の存在もありながら、ヨルダンの対難民姿勢は一貫して「オープン・ドア」と称されるように彼らへ門戸を開くものである。様々な批判を受けながらも、その姿勢は対外的に戦略的に示され、国際社会からの援助獲得を目指す外交姿勢にも通ずる。こうした姿勢は、資源に乏しく、特に水資源においては危機的な状況にある小国ヨルダンの、生存戦略の側面としても捉えることができるのである。

写真1

一面白く見えるシリア難民を収容するザアタリ難民キャンプのキャラバン群(アンマンからマフラクへ至る道中にて筆者撮影)

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東アンマンバドル地区における建て増しされた家屋と、その間には急勾配な階段が顔を見せる(筆者撮影)※バドル地区は元難民キャンプではないが、パレスチナ難民が集住して発展してきた歴史がある。

写真3

キャンプ外の都市周縁部においてもテントに住まうシリア難民の姿が見られた(2018年当時筆者撮影)

書誌情報
佐藤麻理絵《総説》「乾燥地帯における難民の移動と居住ー世界有数の難民ホスト国ヨルダンを紐解くー」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, JO.1.01(2025年11月4日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/jordan/country01/